高野素十


高野素十の句

   『初鴉』

   大正14年(1925年)

   百華園蠹放ち 二句

かご燈籠さげて案内や蠹放ち

灯のかげの萩を攀ぢをりきりぎりす

   昭和2年(1927年)

   横須賀軍港

初凪や艪をおすも亦一兵士

   『雪片』

   昭和10年(1935年)

   新潟へ赴任

雪の山見ゆるがせめて嬉しけれ

   昭和11年(1936年)

   弥彦神事 二句

下闇に袋のまゝの桃の店

桃青し赤きところの少しあり

   句集『雪片』より(年次不明)

元日は大吹雪とや潔し

ふるさとを同うしたる秋天下

   『野花集』

   昭和26年(1951年)

ベルツの像スクリツバの像初桜

   句一歩を憶ふ

老友の一人に僧や盆の月

病む僧の成田暑しといふ便り

   小 国

小国より又三里来て冬山家

芋水車廻るところに君と逢ふ

   阿 蘇

牧守が寒し寒しと腕を組み

末枯の牧の細道見しばかり

   熊 本

有明の海の夜寒を思ひ寝る

   君 堂

尼二人小豆莚も二枚かな

   昭和27年(1952年)

   句一歩を悼む

僧死してのこりたるもの一炉かな

炉に涙落として女僧を恋ひ

   吉 野

花吹雪吹き包みたる一木かな

空をゆく一とかたまりの花吹雪

花の山よりころげきし子供かな

   古平行

秋燕の南すわれ北航す

旅枕今日古平に盆の月

帰省子にシャコタン岬あをあをと

密漁のあわび舟とや盆の海

   函館

山の上の旧砲台の片かげり

   浅虫

銀漢の下にみちのく人等あり

旅長し海酸漿の美しき

立葵咲き終りたる高さかな

   昭和28年(1953年)

   中津、たつみ

炭籠の炭を耶馬炭かと思ふ

一本の梅満開といふ話

柔かき黄のちやんちやんこ身に合ひて

山国屋主の曰く春寒し

桜島煙を上げて春隣

初蝶のラバにつき当りつき当り

初蝶に熔岩の原鬼鬼し

   福岡、太宰府

紅梅の花群がれる枝頭かな

とびとびの紅梅の花殊に濃し

   虚子庵句謡会、虚子先生八十の賀

俳諧の心に蝶の美しく

   魚 津

川水を恋ふとはあはれ螢烏賊

旅人に今宵も網の螢烏賊

菜の花のここらも盛りすぎし旅

   中尊寺

平泉村の早乙女われに辞儀

旅人に雨の黄あやめ毛越寺

   浅 虫

浅虫の湯女にあをあを夏の海

津軽野の早乙女の皆頬冠り

   十和田湖、蔦温泉

水芭蕉白き一瓣ひろく垂れ

一叺(かます)づつ負ふ女蕨採り

蔦の温泉に蕨採り女等小酒盛り

折りくれし霧の蕨のつめたさよ

   大鰐温泉

みちのくの風景馬車に早乙女等

グズベリー青しと津軽女の摘むも

   新潟を去る

桃の木は袋掛せしままに残す

   『桐の葉』

   昭和30年(1955年)

   虚子先生九州旅行の帰途、山科橙重邸に逗留。草庵をも訪ねらる、
   立子同行。その折の五句

見えらるゝ由蝿叩一つ編む

雨少し雷少し第一夜

雷は横川に虚子は坂本に

駒繋ぎ草といふ名の夏の草

豆虫をこのふも今日もたべて旅

   住吉神社御田祭

投げ苗の御田の舞の上をとぶ

   昭和31年(1956年)

   堅 田 三句

進めゆく無月の舟の舳かな

鳰の子の萍にあと引き遊ぶ

萍のひらきて閉ぢて鳰くゞる

   余花朗居

虚子来ると萩の主のまめまめし

   三月三十日・三十一日 耶馬渓山国屋、遠入たつみ還暦祝賀句謡会

接待にわれ等夫婦もあづからん

   『芹』

   昭和32年(1957年)

   宇治平等院 二句

落慶に十人許り茶摘み女も

春風に今ゐし老を見失ふ

   法然院

むささびのとびたる春の夜を訪ひし

   九月八月 大垣 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ 芭蕉 の句碑
   建ちたる記念俳句会あり。夜、きぬ居句会 名月

昔より月に樗の二本の木

   同三十日 片山津

尾根尾根の越中鳥屋師加賀鳥屋師

   十月二日 橙重邸に虚子先生を迎ふ

虚子ここにあり曼珠沙華畦にあり

   十月二十七日 知恩院 虚子句碑除幕

善男善女行く木負ふ女行く

   昭和33年(1958年)

   呼子 金丸旅館 金丸孤舟追悼句会
   名護屋城趾を見る

枯草の甚しとも思はざる

   男山放生会 二句

放生の籠に八幡の稲雀

放生の笊のふちより鰻垂れ

   遠入たつみ句集「ふるさと」刊行祝に寄す

耶馬の句を二三調して秋高し

   昭和34年(1959年)

   三月十九日 中津 遠入たつみ

阿蘇野焼きとも角二人にて行かん

   三月二十日 小国より大観峯に到る

牧の門に五十人ほど野焼衆

牧の犬出でて野焼の火を眺め

野焼にも何かと不平二三人

   小国、耕春居着。濡れたるものを乾かし、泥まみれの靴の掃除等の介
   抱を受け、炬燵にて昼飯。小国の人々に別れ方城へ旅をつゞく。夜三
   菱方城鉱業所着。

片側に花二三本ありし坂

   常陸 袋田温泉ホテル

見しものは薺の花と馬大王

軒下に薺花咲き客を泊め

   四月八日 虚子先生御逝去

花の風危篤についで死を報ず

   桶狭間

夏木立一とかたまりに桶狭間

夏木立七つの墓のとびとびに

つつじ挿して七つの墓を弔へる

   五月三十一日 黄檗山万福寺 二句

恐らくは鉄眼忌にも豆の飯

本山の豆飯の豆皆黄也

   七月二十日、千葉鹿野山に虚子先生歯塚供養あり、笙堂厳修。真砂子、
   年尾、立子、憲二郎其他東京千葉等の諸俳句会員略八十名の参列者あ
   り。十九日登山、二十日の供養に列し午後下山。句会三回。

大いなるお萩満足避暑の寺

蜩の寺の逗留はや二日

鴫焼をよろこばれたることあれば

鴫焼を一つ一つと食べ淋し

第三十四世笙堂蝿叩

   八月十日 遠野

夏山の小村の遠野物語

   昭和35年(1960年)

   唐招提寺観月

月明の手のひら萩の一枝のせ

   中津 たつみ居を訪ふ 一句

枯蓮の田のつゞけるも変りなし

   英彦山 二句

冬山に雪舟の庭ありて古る

霧の山より薪水の恵み受く

   石山寺 源氏の間

月見えし湖見えしとも伝ふ

   昭和36年(1961年)

   十一月六日 同大会第二日 清水寺吟行

山の炉の客に大きな茸焼く

   十二月奈良医科大学を退職す。往時まことに茫々たり 三句

下総の布子子供の頃のわれ

麦蒔のちゝはゝありし頃のわれ

ふるさとのものの門田の冬日恋ふ

   二見ケ浦 三句

雄鴨雌鴨雄鴨雌鴨とつゞく見ゆ

冬波のしばらくつゝむ巌かな

冬波のむすびし巌頭かな

   土佐高知、吸江寺句会

一盆に枇杷かく盛ればかく盛れば

   夏行、永平寺 三句

門前のたうもろこしの小家かな

雨のふるたうもろこしの小家かな

婆のゐるたうもろこしの小家かな

   九月廿一日、遠入たつみ君の案内にて耶馬渓に遊ぶ

落鰻簗も終りの頃は大

   昭和37年(1962年)

   四万、日向見温泉

両の手のなめこを両の手に受けし

   下田、玉泉寺、ハリス日記 二句

蚊のことの九月四日の日記あり

秋の蚊の甚しとも一節に

   堅田 余花朗居 二句

湖へ出づる小門にいつも蝶

蕗の葉の二つづつなる草の中

   奈良、氷室神社 二句

打ち重ね打ち重ねたる浮葉かな

円座つみ重ねてありし暮春かな

   大 垣 二句

樫の木の下木因の墓も盆

秋風の吹きはじめしも豆畑

   山中 医王寺

花茣蓙といふも寝茣蓙といふも

   九月二十二日 別府大会

日々の是好日や秋茄子

   同 城島高原

秋風のかく吹く時の櫟の木

   九月二十四日 中津 遠入たつみ

十連寺柿一本は衰へし

十連寺柿の二本はよく生りし

秋晴の一日全く用のなし

   昭和38年(1963年)

   六月十六日 奥日光南間ホテル 二句

夏山の上の夏山あらあらし

夏山に枯れたる栂の林あり

   同二十二日 栂尾高山寺

夏山に鳥獣戯画の巻を舒べ

   昭和39年(1964年)

   同十日 芹吟行 石の上神宮 二句

冬紅葉布留の宮とも云ふとかや

拍手の二つひゞきし冬日かな

   同十四日 中津 たつみ

菊の虻一と花びらを立てて去る

たびたびのちやんちやんこ也黄色也

   小閑あり 高崎成田山に旧友僧松山野山君を訪ひ歓待を受け、虚子句
   碑及び「上州の任侠の炉は心安」の句一歩句碑を見る。払塵閑坊は句
   一歩流謫当時籠居せし一坊にして、ホトトギス六百号祝賀がこの寺に
   催されし時虚子先生の一泊されしところ、諸々の感深し 二句

芍薬の花よ払塵閑坊よ

小盃散乱したり夏座敷

   五月二十四日 高知、桂浜 二句

老かなし夏の潮のたゞ広く

老かなし夏の潮のたゞ青く

   昭和40年(1965年)

   十月十八日 万座温泉

十三夜酒温めよ温めよ

苦湯にも鉄湯にも客日短か

   十一月一日 福岡、志賀島

しかの島の弘(ひろ)の港の末枯るる

   同二日 志賀海神社

わだつみの神とも申す冬日和

   同十五日 加賀全昌寺、芭蕉忌

柿赤く松緑なる時雨かな

   同二十三日 水戸大会、好文亭

楼上の一人の君子冬田見る

   二十日 淡路絵島舘 ゆづり葉会

海峡を流るる潮も十二月

   堅田 余花朗君を訪ふ

つぶやける醪に耳を傾けし

   同十五日 正田稲洋の案内にて丸沼菅沼

   蚊杖、すゝむ、真一郎同行

夏の日や丸沼といふ沼ありし

夏雲や菅沼といふ沼ありし

大倒れ木大倒れ木や夏に入る

倒れ木の間々に雪残る

   同二十日 多度神社

天目一箇命(あめのまひとつのみこと)や夏木立

   同二十六日 築地本願寺 小春会

一回向又一回向夏の寺

   八月二十四日 浅虫温泉 青森句謡会
   この会には東京よりすゝむ、綺羅、夏木氏等に会同、謡をうたひ句
   を作り虚子先生を偲ぶ。

夏山に雲のかゝれる回向かな

何風といふか涼しさ風が吹く

   八月六日 軽井沢日綿山荘滞在
   福井圭児氏と小諸行、虚子先生旧居を訪ふ。与良氏の墓木拱す云々の
   虚子先生の句ありしところにて

墓木拱すと詠まれたる夏木にも

   同十三日 戸倉温泉 笹屋ホテル

草市をお花市とは美しき

秋桑に日々雲の新しき

   同十六日、十七日 中津芹百号祝賀 筑紫亭

てのひらの上に秋繭一つのせ

   昭和41年(1966年)

   同三十日 日光田母沢本館(旧御用邸)

皇后のおん階(きざはし)の無月かな

   十月二十三日 稲洋主催上州温泉めぐり 沢渡温泉 丸本旅館

旅頼り秋桑村のことを書く

旅頼りこんにやく芋のことも書く

秋桑の葉の大いさも整ひし

   十二月四日 尚美会吟行 明達寺

大時雨北安田村訪るる

   同十二日 天王寺 芹吟行

我のみの行くべきみちの下萌ゆる

こゝに又一つのみちの下萌ゆる

   同十七日 山科に雪ふる

かりそめのかりそめながら雪垣に

   二月十三日 芹吟行 関ヶ原

一僧の供養の雪の関ヶ原

   五月一日 芹九州大会 柳川 川下り

西へ西へ旅をつづけて夏の蝶

   白秋碑、帰去来の詩を刻す

帰去来はわが心にも夏の蝶

   五月八日 芹吟行会 海南市
   有間皇子の墓。「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉
   に盛る」の皇子の歌を刻す。この地に果てたりと伝ふ

椎の葉に盛りたる飯の夏らしや

   同七日 高知市外 竹林寺

たぶといふ南の国の夏木にて

   昭和42年(1967年)

   十一月一日 東尋坊一見

十人の海女の昼餉も秋の晴

   同二十二日 名古屋松風会と伊良湖岬行 三句

何もかも渥美半島茎立ちし

   杜国の墓を観音寺に弔ひ、畑村にある十坪余りの杜国籠居の趾を訪ふ

蝶々もてんたう虫も飛ばざりし

   豊橋にて

田楽のあたゝかなりし旅終る

   同九日 芹吟行 唐招提寺

もろもろの御仏花に拝まばや

御仏を讃ふる経を花に誦す

   同五日 亀戸天神 小春会

藤棚の葉の少き花多く

藤棚の花少き葉の多く

   同二十日、二十一日 芹十周年祝賀 黄檗山 万福寺 山門に第一義
   の大字大額を掲ぐ

第一義浮葉即ち平らかに

第一義浮葉即ち斜めなり

人来り去り来り去り夏木かな

   同三日 北陸芹大会 宇奈月 さとのや

雪国の篠の子といふものありし

   同四日 同、鐘釣まで黒部吟行。
   三十年前虚子先生に従ひてこの値に吟行したることあり。なつかし。

円き葉を打ち重ねたる夏木あり

夏の日の暑からざりし憩ひかな

   昭和43年(1968年)

   十一月三日 大分県山香 竺源寺

炉辺より山見る貧しからざるよ

   同八日 伏見稲荷 お火焚

朝の砌夕べの砌冬に入る

お火焚の一炎一煙かな

   同十二日 永観堂 芹吟行

残菊の或は花を重ねもし

   同十日 野崎観音 芹吟行忘年会

ある時は障子開きて雲を見る

ある時は障子開きて町を見る

ある時は障子開きて人を見る

   同十三日 熱田神宮 名古屋句会

一本の枯木の幹をまのあたり

   同二十八日 九州大会 大村城

その頃の下闇の今なけれども

大いなる夏木の幹となりし由

   六月一日 松山市 四国芹俳句大会。鹿島

花崗岩安山岩や夏の島

   西の下 虚子先生郷居のあとに再遊

西の下の秋なりし又夏なりし

   同二十三日 後楽園 東京芹吟行

笹山を二つ置きたる夏の園

   同十四日 石清水八幡宮 芹吟行

かの蝶かかの蝶か盛りなり

   昭和44年(1969年)

   一月三十一日 高橋すゝむ先生快気祝いにて中津行、たつみ

折角の我行かざれば河豚泣かん

   たつみ君は七十四 我七十七なれば

七十四七十七や梅の花

   二月八日 名古屋城 名古屋句会

この城の北の角なる梅の花

   同三十日 五台山竹林寺 高知句会

数人の君子即ち蝶を見る

一人の君子即ち蜥蜴を見る

   同八日 虚子忌 伏見御香宮

花一片一片の雨に散る

二三片二三片づゝ花の散る

   同二十四日 磯部温泉 林屋 上州俳句会

この旅や夕桑といふ言葉きく

上州の人々と今日蚕見る

上州の人々と今日桑を見る

四五本の幹集りし夏木かな

   同二十一日 あらうみ主催芹北陸大会、富山呉羽山より市振を経て
   親不知へ。 市振小島利雄氏方は「一つ家に」の折の芭蕉の泊りし
   家と推測さる。

この家といふ夏の炉を一つ見る

   同二十二日 親不知ホテル

志すところのあれば開易し

   同十三日 奈良二月堂 芹吟行

暑き日の暑きところに四月堂

   昭和45年(1970年)

   三月三日 宇佐神宮 九州芹大会

百人の大柏手や春の宮

めでたさの二つの円座なればなり

   同四日 中津、遠入たつみ

十の花二十の花のクロツカス

四つの花二つの花やクロカツカス

   同二十六日 数人と山中五盟館

僧一人女何人夏近し

桃妖といふ人のこと夏座敷

   同二十七日 敦賀より気比宮いろが浜に到る 気比の宮

一本の宮の桜の散り了り

御宮の苗代寒の畏しや

   常の宮に芭蕉の短冊 「仲秋の夜は敦賀に泊りて、雨降りければ 月い
   づく鐘は沈める海のそこ 芭蕉」あり

こゝも亦奥の細道月の浜

   同十九日、日赤近く東福寺あり通天橋に小憩、橋の突き当りは開山堂
   らし。清文同行。

通天を行く三人の盆の僧

   昭和51年(1976年)

天の川西へ流れてとゞまらず

わが星のいづくにあるや天の川

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