芭蕉の句碑
春もやゝけしき調ふ月と梅
伊勢崎市境に長光寺という寺がある。
長光寺山門
天台宗の寺である。
小柴山長光寺
左手に芭蕉の句碑があった。
春もやゝけしき調ふ月と梅
出典は『薦獅子集』(巴水編)。
元禄6年(1693年)1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にある。
『蕉翁句集』は「元禄五甲(ママ)ノとし」とする。
天保12年(1841年)3月、其日庵有物社中建立。仁井田碓嶺筆。
『はせをつか』(楓幻亜編)に収録されている。
当初は境町諏訪町の三夜堂境内に建てられたそうだ。
宝暦11年(1761年)、石原有物は上淵名村(現・伊勢崎市)に生まれる。江戸の小簑庵碓嶺に師事。其日庵と号した。
天保13年(1842年)春、81歳で他界。
碑の裏には有物の辞世に続いて、21名の追悼句が刻まれている。
是ほどの花に別れて法の旅
| 有物
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風ふくとおもふは花の散日かな
| 碓嶺
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高野素十(すじゅう)の句碑があった。
空をゆく一とかたまりの花吹雪
素十の句碑は全国で64基あるそうだが、私は初めて見た。
明治26年(1893年)、高野素十は茨城県北相馬郡山王村(現・取手市神住)に生まれる。本名は高野与巳(よしみ)。医学博士。
山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子と共に『ホトトギス』の四Sと称された。
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