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文化14年(1817年)8月26日、国学者高田与清は成田不動尊に詣でている。 |
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とかくして成田の里不動尊の御あらかにまうでつく。むかし見しにはやうかはり、棟をならべ、いらかをかさねて、堂塔壯嚴たぐひなき靈場(のりのには)のありさま也。別當を成田山新勝寺といふ。眞言宗の大寺なり。 そもそも坂東に不動明王の古靈塲(みあらか)三所あり。相摸國大住郡の大山寺と、武藏國多摩郡の高旗寺と、この新勝寺となり。 |

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同十五日 成田山大本堂落慶祝賀俳句大会 新勝寺信徒会館 先住の墓にもいまは春の風 大開帳大開帳や畔を塗る 四五人の僧の仰げる春の空 下総の国の晩霜これよりも
昭和43年6月 芹 |
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成田不動尊は熊本の木原不動尊、目黒の目黒不動尊と併せて日本三大不動のひとつ。関東三十六不動霊場第36番札所である。 |
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元禄16年(1703年)、不動明王が初めて富岡八幡宮の境内で出開帳された。以来、出開帳のたびに、その様子が錦絵に描かれ出版されるほどになったそうだ。 |





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大正14年(1925年)8月24日、若山牧水は成田不動に参詣して多古町へ。 |
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昭和11年(1936年)9月6日、高浜虚子は武蔵野探勝会で成田山へ。富安風生等同行。 |
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明後昭和十三年に開基一千年を迎へ、開帳大法会を奉修する計画であるといふ成田山新勝寺は、境内に、そのための事務所を設けたりして、いつもより殊に活気づいて居るやうに見うけられた。 不動尊は酉歳生の男の守り本尊だと、昔母から聞かされた。そして僕は子供の頃真鋳のケースに納つた成田山とかいたお守りを紐で括つて肌身につけてゐたことを今も記憶してゐる。僕はあの高く険しい石段を登り、御宝前に立ちふさがつてゐる善男善女たちのうしろから、お賽銭を投げて恭しく拝礼し、俳運長久を祈つたことであつた。
『武蔵野探勝』(印旛沼から成田へ) |
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九月六日。武蔵野探勝会。成田山吟行。印旛沼を舟にて渡る。 藻の上の波は退く如くなり 藻の水に手をひたし見る沼の情 ひそやかに藻の花咲きぬ蒲の間 闇の中に見えて来るもの芋畑 |

