私の旅日記2012年

吸江寺〜吸江庵趾〜
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高知市吸江の五台山麓に吸江寺という寺がある。


史蹟 吸江庵趾


 夢窓疎石が文保2年(1318年)執権北条高時の母覚海の招きを避け、土佐に下り五台山麓に庵を建て吸江庵と名付けたという。夢窓はその後、たび重なる鎌倉からの招きを断りきれず土佐を去ったが、室町幕府を開いた足利尊氏が師事したこともあって、当庵の名は明国にも聞え、細川氏や長宗我部氏の保護を受けて栄えた。五山文学の双璧といわれた高岡郡津野庄出身で夢窓の高弟義堂周信、絶海中津をはじめ多くの高僧が訪れた。

平成2年3月 高知市教育委員会

 疎石夢窓が草庵前の浦戸湾を「吸江」と命名したことで、吸江庵と称するようになったそうだ。

元徳2年(1330年)、夢窓疎石恵林寺開基。

五台山吸江寺


臨済宗妙心寺派の寺である。

庭の片隅に芭蕉の句碑があった。


与久見連ハ薺花咲く垣根哉

出典は『続虚栗』

貞亨3年(1686年)、芭蕉44歳の時の句。

庭聖 夢窓 庵居跡


夢窓疎石は国師号を賜与されている。

1351年に死去、享年76。

昭和6年(1931年)4月、高浜虚子は吸江寺を訪れている。

又句會のあつた五臺山の麓の吸江寺の櫻も、此日は風があつたので、盛に吹き飛んでゐた。

「花の旅」

高台に「高知平和パゴダ」があった。


昭和52年(1977年)、高知パゴダ会結成。

昭和57年(1982年)10月、高知平和パゴダ完成。

ビルマ方面に於ける戦没者18万余、内高知県関係者は3000余に上るという。

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