2015年大 分

青の洞門〜若山牧水の歌碑〜
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 再び大分県にやって来たので、耶馬渓に行くことにする。「耶馬渓」といったら「青の洞門」らしい。


 文政元年(1818年)、頼山陽がこの地を訪れ「耶馬渓山天下無」と漢詩に詠んだのが耶馬渓という名前の起こりだそうだ。

 明治43年(1910年)7月14日、河東碧梧桐は耶馬渓を訪れ、頼山陽のことを書いている。

元来山陽という人が、安芸竹原の生れで、平生目睹する山水は殆ど中国の禿山に過ぎなかった。そうして一方に東奥信越等の規模の壮大な山水も研めてもいなかった。瀬戸内海の平和な島山を標準にして言えば、この耶馬山中の筍峰相向背する光景は、直ちにその好奇心の満足を射得たに相違ない。且つ当時なおその名も揚らず、山陽自らこの景を拾い得た如く思意しては、総ての土産話が多少誇張に失すると同様、殊には支那的形容の常套弊で、筆者その人の予期以上に美名を成したものとも解釈すべき点がある。


青の洞門


青の洞門と禅海和尚

 今から230余年前、この付近は鎖渡(くさりど)と呼ばれ岩角に並べられた板を踏み、鎖を伝って通行していた。このため人馬は足を踏み外して転落し、死傷することが多かった。

 越後の僧、禅海和尚は、仏道修行のため諸国遍歴の途中、この地にさしかかり、人々が難渋するのを見て、ついにこの大岸壁を堀抜こうという一大誓願を起こした。

 和尚は、村々を廻って熱心に説いたが、これに耳をかす者は誰一人としていなかった。和尚は独り鑿と鎚を手に大岸壁に向ったのである。村人達は狂人と嘲笑したが、念力堅固な和尚の鎚の音は日に月にさえ、年を重ねるごとに洞の深さを増していった。和尚の不動心はしだいに村人の心に浸み渡り、志用を喜捨したり、洞窟で鑿と鎚を振るう者もあり、仕事は大いにはかどってきた。

 和尚の念願に率いられた多くの人々の力が合して30年、ついにこの洞門は完成した。貫通308歩(150m)、以来ここを往来する幾千万の人々は、ことごとく和尚の余徳を受けているのである。

 今ではこの洞門を堀り拡げ、処々に手を加えて旧態を改めているが、一部はなお昔の面影を留めて、禅海一生の苦心を永久に物語っている。

禅海和尚の像


 菊地寛の小説「恩讐の彼方に」で全国にその名が紹介された青の洞門は、昔、交通の難所として旅人を苦しめ、一歩道を踏みはずすと人や馬が山国川に転落死するため、これを見た禅海和尚が約30年の歳月をかけて掘ったトンネルで、宝暦13年(1763年)に完成しました。

 禅海和尚は人や馬から通行料金をとっていたといわれ、我国初の有料道路ではないかと興味が持たれます。

環境庁・大分県

「レストハウス洞門」前に若山牧水の歌碑があった。


安芸の国越えて長門にまたこえて豊の国ゆきほととぎす聴く

ただ恋しうらみ怒りは影もなし暮れて旅籠の欄に倚るとき

出典は第1歌集『海の聲』。「二首耶馬渓にて」と詞書がある。

 昭和51年(1976年)11月3日、耶馬渓中津創作支社・山国町・耶馬渓町・本耶馬渓町・三光村建立。

大悟法利雄『牧水歌碑めぐり』によれば、74番目の牧水歌碑である。

 明治40年夏、21歳まだ早稲田大学の学生だった若山牧水は、暑中休暇で郷里日向に帰省の途次、中国地方で「幾山川」の歌を遺し九州に入って耶馬溪に遊び、7月9日青部落の山国屋に旅装を解き、この2首を遺した。

(木村主税識)

牧水は耶馬渓から宇佐神宮に詣で、別府から船で日向に帰った。

 昭和5年(1930年)11月15日、種田山頭火は深耶馬渓を下った。

 十一月十五日 晴、行程七里、中津、昧々居(最上最上)

いよいよ深耶馬渓を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、七時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキの洞門まで一里、こゝから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、――深耶馬渓はさすがによかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持がさつさうとした、


 昭和31年(1956年)3月30日・31日、耶馬渓山国屋で遠入たつみ還暦祝賀句謡会。

   三月三十日・三十一日 耶馬渓山国屋、遠入たつみ還暦祝賀句謡会

接待にわれ等夫婦もあづからん

『桐の葉』

 昭和36年(1961年)、高野素十は遠入たつみの案内で耶馬渓に遊ぶ。

   九月廿一日、遠入たつみ君の案内にて耶馬渓に遊ぶ

落鰻簗も終りの頃は大

『芹』

 平成17年(2005年)3月1日、下毛郡三光村、本耶馬渓町、耶馬溪町、山国町は中津市に編入された 。

一口に「耶馬渓」といっても広いことがわかった。

日田温泉へ。

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