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謡曲「善知鳥」は、殺生の罪を犯した漁師が地獄で責めたてられる苦患の有様を見せる執心の夢幻能である。 その漁師は奥州外が浜の者で、立山の凄惨の地獄に堕ちていたが、外が浜一見の旅僧に囘向を乞うて故里の妻子の前に現われ、我が子を見て小鳥を殺した罪の恐ろしさを悔い、化鳥にさいなまれる苦しみの仕型を見せて更に囘向を頼んで消えて行く。善知鳥と言うのは彼が常に捕っていた鳥の名なのである。 奥州の外が浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとうやすかた という主題歌は定家の歌と伝えられている。 善知鳥神社の社殿近くに「謡曲善知鳥旧跡之地」という碑がある。安潟と呼ばれた大きな湖沼のあとが現在の安方町であり、神社を囲む池を善知鳥沼と呼ぶなど、昔、此の地を「善知鳥の里」と言った名残を示す碑である。
謡曲史跡保存会 |

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七月二十五日 十和田四百号祝賀俳句会 みちのくの短き夏の日の盛り 浜田英一君の話に善知鳥神社は昔外ヶ浜の海近くにありて、境内にた もの木多かりし由、今は社前にたゞ一本のたもの木を存するのみ。 打ち仰ぎたるたもの木も日の盛り
昭和40年11月 芹 |


| みちのくの |
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| 善知鳥の宮の |
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| 小町草 |
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東京帝大医学部卒業後、家業の増田医院を継ぐ。一方で俳人高浜虚子の指導を受け、俳誌「十和田」を主宰し、県俳壇の発展に貢献した。 |

| 名月や鶴脛 |
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| 高き遠干潟 |
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| はせ越 |
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伝承不詳なれど、芭蕉作と伝えられるこの句を、この善知鳥の地に照らし合わせて建立したものと思われる。 句碑の台座は、昭和17年芭蕉生誕300年記念として設した。 |

