芭蕉の句碑東 京


しはらくは花の上なる月夜哉

龍眼寺から横十間川沿いに歩き、天神橋から亀戸天神通りを行く。


亀戸天神船橋屋」本店があったので、くず餅を買う。

 「亀戸天神船橋屋」は文化2年(1805年)の創業。創業以来200年を越える老舗である。

亀戸天神社と言えば、梅。

鳥居の左右に紅白の梅が咲いていた。


左側の白梅はうまく撮れなかった。

亀戸天神社


 亀戸天神社(HP)は天満大神(菅原道眞公)を祀る。寛文2年(1662年)道眞公の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営した。

菅原道眞の像があった。


像の下には歌が刻まれている。

美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある

道真が5歳の頃庭に咲く紅梅を見て詠んだ歌だそうだ。

飛梅伝説

 道眞公が太宰府京の邸宅の紅梅殿の梅に「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と歌を詠まれると、後にその梅が 配所太宰府の菅公のもとに飛んできました。

亀戸でこゝも梅飛ぶ餌さし棹   抱一

御神牛

 天神様(菅原道眞公)は承和12年(845年)6月25日御生誕になりましたが、この年が乙丑年に当り、延喜3年(903年)2月25日太宰府の配所で亡くなられた時、道眞公自らの御遺言により御遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を御墓所と定めて、その所に神廟(太宰府天満宮)が建立されたのも乙丑年のことでした。

元禄14年(1701年)2月25日は「聖廟八百齢御年忌」。

『江戸名所図会』


元禄十四年二月廿五日、聖廟八百齢御年忌。於亀戸御社、詩哥連誹令興行一座

梅松やあがむる数も八百所


 ところで、亀戸天神社には芭蕉の句碑があるはずだと思って探したが、多種多様の碑があって、なかなか見付からない。何度か尋ねて、やっと探し当てた。

聖廟九百年御忌句碑


しはらくは花の上なる月夜哉

出典は『初蝉』(風国編)。

貞亨5年(1688年)春、芭蕉45歳の句。

 亨和2年(1802年)2月25日、菅原道眞公の御神忌900年に芭蕉門下の人々が芭蕉百十年忌にあわせて建立する。四世雪中庵完來筆。

 芭蕉の句の他に、雪中庵祖嵐雪、二世雪中庵吏登、三世雪中庵蓼太の句が刻まれているそうだが、全く読めない。

そこで亀戸天神社に問い合わせてみた。

しはらくは花の上なる月夜哉
   芭蕉翁

錦帳の鷄世を学の戸やほとゝきす
   嵐雪

明月やそゝろに走る秋の雲
   吏登

かり初に降出す雪の夕かな
   蓼太

   島完来敬書

 句碑の背面に雪中庵完來、夜雪庵普成、葎雪庵午心の句が刻まれている。

松の月月の松影よもすから
   四世雪中庵完来

しら雪やをのつからなるひと夜松
   夜雪庵普成

白妙や花のあらしも松風も
   葎雪庵午心

  享和二年壬戌春二月廿五日建之 
 阿波空山白酔俳書

『広茗荷集』に「冥加墳 本所亀戸天神 境内池ノ辺」とある。

 明和元年(1764年)、鳥酔兀雨と亀戸天神社に遊ぶ。

○亀井戸社頭 八王子詞友兀雨子風谷と共にあそふ

 藤咲や一夜に出来ぬ花の丈


 明治29年(1896年)、正岡子規は亀戸天神社で「御神牛」を句に詠んでいる。

   龜戸

藤枯れて晝の日弱る石の牛

『寒山落木』(巻五)

 明治34年(1901年)、伊藤左千夫は亀戸天神の藤を詠んでいる。

亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来し

けならべて雨ふるなべに亀井戸の藤なみの花散らまく惜しも

 昭和33年(1958年)1月21日、石田波郷は亀戸天神の初天神を訪れている。

 昭和42年(1967年)5月5日、高野素十は亀戸天神で小春会。

   同五日 亀戸天神 小春会

藤棚の葉の少き花多く

藤棚の花少き葉の多く

『芹』

菅原道真は学問の神様。お参りしたら、多少の御利益はあったようだ。

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