2019年京 都
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知恩院〜高浜虚子の句碑〜

京都市東山区林下町に知恩院(HP)がある。

知恩院

 浄土宗の総本山で、法然上人を開祖とする。この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)を結び、初めて浄土の教えを宣布した所である。法然の死後、文歴元年(1234年)に弟子勢観房源智が廟所を整えて華頂山知恩教院大谷寺と号し、自ら当寺第二世となった。

 応仁の乱の時には一時兵火を近江に避けたが、のち徳川家康の手厚い帰依を受け、広大な寺地の寄進を受けて寺観を整えた。三門は徳川秀忠が 元和7年(1621年)に建立した宏壮雄麗な大楼門で、国宝に指定されている。このほか、本堂(御影堂・国宝)は寛永16年(1639年)、大方丈・小方丈(いずれも重要文化財)は寛永18年(1641年)の建築で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ三角間の長廊は、知恩院七不思議の一つに数えられる「鶯張りの廊下」として有名である。寺宝として阿弥陀二十五菩薩来迎図(国宝)ほか多数を蔵する。

京都市

三 門


人が多いので、写真を撮るのも大変だ。

 明和8年(1771年)、加舎白雄宮本虎杖を伴い知恩院を訪れている。

知恩院

 大鐘に夏木の桜静也

「春秋菴白尾居士記行」

 安永6年(1777年)、松窓乙二は修験道本山聖護院に赴く。知恩院を訪れている。

   知恩院

御法会の埒もとらぬに春の雨


知恩院三門の右手に「師弟愛之像」がある。

智恵の道


 大正11年(1922年)10月1日、知恩院で市川左団次一座の野外劇「織田信長」が行なわれる。吉井勇は後援のために赴いた。

午後知恩院樓門にて屋外劇の催あり。劇は松葉子の作信長なり。觀客數萬人に及び演技は雜沓のため中止の已むなきに至らむとせしが、辛じて定刻に終るを得たり。


坂村真民の詩碑


念ずれば花ひらく

宝佛殿


蓮の花が咲いていた。


 昭和11年(1936年)3月19日、種田山頭火は芭蕉堂、西行庵へ歩いた。

 三月十九日 晴。

朝は寒く昼は暖か。

どこといふあてもなく、歩きたい方へ歩きたいだけ歩いた。――

八坂の塔、芭蕉堂、西行庵、智恩院、南禅寺、永観堂銀閣寺、本願寺、等々等。


捩 花


御影堂(みえいどう)


 昭和32年(1957年)2月、句誌「東山」創刊の折に高浜虚子から村田橙重に句が贈られた。

「東山」新発行所を得、橙重に贈る

 東山西山こめて花の京


宝物収蔵庫の横に高浜虚子の句碑があった。


東山西山こめて花の京

昭和32年(1957年)5月、村田橙重建立。

「東山」といふ俳句雑誌が京都に生れた。それに贈つた句である。この年の秋に知恩院にこの句碑が村田橙重さんの手によつて建てられた。私の好きな句碑の一つである。

『虚子一日一句』(星野立子編)

10月2日、虚子は立子と共に句碑を見ている。

十月二日 京都東山橙重居 知恩院の句碑を見、橙重庵の句碑を見る 立子と共に

 秋晴や京の町行く京女

 秋の雲浮みて過ぎて見せにけり

 敷石のつゞく限りや萩の散る

 青竹の手摺が出来て水を打ち


   十月二十七日 知恩院 虚子句碑除幕

善男善女行く木負ふ女行く

『芹』(12月)

昭和34年(1959年)4月8日、虚子は85歳で没。

昭和34年(1959年)6月14日、高浜年尾は知恩院で虚子追悼会。

   六月十四日 虚子追悼会 京都知恩院

一本の葉ざくらかげに句碑はあり


昭和35年(1960年)4月3日、知恩院で虚子一周忌法要句会。

   四月三日 京都ホトトギス同人会、虚子一周忌法
   要句会 知恩院

紅しだれ桜と句碑と対応す

花人の句碑とも知らず通り行く


 昭和39年(1964年)5月20日、佐藤春夫は72歳で没。知恩院に葬られた。

 南禅寺を出ると自動車は知恩院に向った。この方は紅葉を見るためではなく、この秋ここの墓所に葬られた佐藤春夫先生の墓に詣でるためであった。

井上靖『墓地とえび芋』

昭和40年(1965年)4月10日、知恩院で虚子七回忌関西句会。

   四月十日 虚子七回忌関西句会 京都知恩院

虚子句碑に枝垂ざくらはなだ蕾

落椿こちら向きをり女坂


春空に虚子説法図描きけり

『甲子園』

 花の京都浄土宗総本山知恩院において虚子七回忌厳修が行われた。鎌倉へ行けない関西の俳人らは多数これに参列した。

 うす雲の明るくただようた春空がゆったりとひろがって、そのままスクリーンのような感じであった。句を按ずるときそのスクリーンを仰いでみると、いろいろさまざまの印象から虚子の姿が現われる。私にとってそれらは生きた歴史と見ても約五十年。客観写生、古壺新酒、花鳥諷詠、虚子俳話等の説法は最も有名、その他直接に諭されたかずかずもよみがえるばかり……

 釈迦説法図というのがあるごとく、私の頭の構図には、虚子説法図が組立てられる。春空のようにやさしく人を抱擁しうる説法図を宙にえがいて亡師をしのんだわけである。


昭和41年(1966年)、山口誓子は知恩院を訪れている。

   知恩院

滿開の花揺すぶれど落花せず

金泥の雲屏風出て花の雲

眼に捉ふ落花途中の花びらを

透くことは慰め枯木透くことも

『一隅』

円山公園へ。

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