2018年熊 本

大観峰〜高浜虚子の句碑〜
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笹原邸から国道212号で大観峰へ。

昭和27年(1952年)11月10日、高浜虚子は大観峰を訪れた。

十一月十日 小国を突破して阿蘇外輪山に至る

 小国町南小国村芋水車

 秋晴の大観峰に今来り


大観峰駐車場に大久保橙青と高浜虚子の句碑が並んでいた。


大久保橙青の句碑

鷹舞うて阿蘇を遮るものもなく

 昭和26年11月3日、高野素十をここ大観峰に案内したとき詠んだ句である。

 本名大久保武雄、明治36年熊本市に生まれる。逓信省在職中,富安風生の下に俳句を始め、その後高浜虚子に師事した。昭和62年ホトトギス同人会長に就任し、同会の発展に尽した。平成8年10月14日永眠。

 小国町大字上田の時松武(俳号竹史)氏建立。現戸主時松陽一氏のご好意により宅地内より移設。

阿蘇町

高浜虚子の句碑だけを撮ってみた。


高浜虚子の句碑

秋晴の大観峰に今来り

 ここ大観峰を初めて訪れた虚子が、目の前に広がる阿蘇の雄大な風景を詠んだ句である。

 昭和24年、九州入りした虚子一行は、小国を訪れることとなっていたが、急用で引き返すこととなった。3年後の昭和27年11月11日、虚子は念願であった小国行きを果たし、すぐここ大観峰へ向かった。そのとき詠んだ句であり、小国行きを果たした深い感懐がこめられている。のちに虚子はそのいきさつを小説『小国』にしている。

阿蘇町

 昭和56年(1981年)9月27日、金子兜太は大観峰で高浜虚子の句碑を見ている。

 阿蘇二日目。草原の起伏と馬たち(子馬一頭も)を見ながら句作。

   秋晴れの大観峰に今来たる

午後大観峰。虚子の句碑、真中から折れたのを継ぎ合わせてあって、字も小さい。夜句会。一人十五句(五人)。

『金子兜太戦後俳句日記』

大観峰から見下ろす


台風12号の影響で、よく見えない。

大観峰アンテナ群


大観峰には吉井勇の歌碑もあったようだ。

 平成17年(2005年)2月11日、阿蘇町は一の宮町・波野村と新設合併して、阿蘇市となった。

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