杜国は名古屋御園町で米穀商を営んでいた俳人で、芭蕉門下尾張五人衆の一人である。 貞享2年(1685年)尾張国で御法度とされていた米延商(空米売買)の罪により、家財没収の上、領地追放の刑に処せられ、ここ保美の里に隠棲した。 杜国を夢に見て泣くというほど杜国を愛した芭蕉は、貞享4年「笈の小文」の旅の途中尾張の鳴海より門弟越人を伴い、わざわざ二十五里の道を引き返し、愛弟子の閑居を訪ねその侘住いをなぐさめている。 世をはばかり、落魄の身をなげきつつも、余生をこの地におくった杜国は、元禄3年(1690年)3月数奇薄命の生涯を終えた。 |
旧里を立去て 伊良古に住侍りしころ 春ながら名古屋にも似ぬ空の色
杜国 |
田原市 |
大正13年(1924年)12月12日、荻原井泉水は「杜国屋敷跡」を訪れている。 |
さて、杜国の住んでいた処は、今日まで杜国屋敷という名を以て伝えられている。それは、杜国の墓のある潮音寺から西北三四町の所で、勿論、今は家などはないが、小川に沿うた平地で、桑が作ってあり、あたりに竹林もあって、いかさま一野人となって、鍬でも執って暮らそうというには、然るべき場所である。
『随筆芭蕉』(伊良胡岬) |
昭和30年(1955年)10月、中村草田男は「保美の里」を訪れている。 |
保美の里 訪はれし人訪ひし人いま麦の縞 |
昭和42年(1967年)3月22日、高野素十は杜国籠居の趾を訪れている。 |
杜国の墓を観音寺に弔ひ、畑村にある十坪余りの杜国籠居の趾を訪ふ |
蝶々もてんたう虫も飛ばざりし
『芹』 |