私の旅日記〜2011年〜
杜国屋敷跡〜杜国の句碑〜
田原市保美町仲新古に「杜国公園」がある。
「杜国公園」
杜国屋敷跡である。
杜国は名古屋御園町で米穀商を営んでいた俳人で、芭蕉門下尾張五人衆の一人である。
貞享2年(1685年)尾張国で御法度とされていた米延商(空米売買)の罪により、家財没収の上、領地追放の刑に処せられ、ここ保美の里に隠棲した。
杜国を夢に見て泣くというほど杜国を愛した芭蕉は、貞享4年「笈の小文」の旅の途中尾張の鳴海より門弟越人を伴い、わざわざ二十五里の道を引き返し、愛弟子の閑居を訪ねその侘住いをなぐさめている。
世をはばかり、落魄の身をなげきつつも、余生をこの地におくった杜国は、元禄3年(1690年)3月数奇薄命の生涯を終えた。
旧里を立去て
伊良古に住侍りしころ
春ながら名古屋にも似ぬ空の色
杜国
杜国の句碑があった。
春なから名古屋にも似ぬ空の色
出典は『みつのかほ』(越人編)。
「旧里を立去て伊良古に住侍しころ」と前書きがある。
潮音寺に杜国の墓碑がある。
大正13年(1924年)12月12日、荻原井泉水は「杜国屋敷跡」を訪れている。
さて、杜国の住んでいた処は、今日まで杜国屋敷という名を以て伝えられている。それは、杜国の墓のある潮音寺から西北三四町の所で、勿論、今は家などはないが、小川に沿うた平地で、桑が作ってあり、あたりに竹林もあって、いかさま一野人となって、鍬でも執って暮らそうというには、然るべき場所である。
昭和30年(1955年)10月、中村草田男は「保美の里」を訪れている。
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