2016年大 分

清水寺〜種田山頭火〜
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宇佐市清水に清水寺がある。

山 門


補陀落山清水寺


 養老元年(1260年前)仁聞はこの地に霊蹤を観じ千手観世音木像を彫み奉安し治承4年平重盛は京都清水寺に本尊を勧請し七堂伽藍を建立したと伝えられています。

 寛永11年木下宗連は小笠原藩主に復興をねがい今日に至っていると伝えられています。又筑紫三十三ヶ所第3番の札所として巡拝者が続いています。千手観世音木像は市指定有形文化財であります。

 寺は応永年間に曹洞宗になったと伝えられています。

池の畔に種田山頭火の像があった。


台座に句が刻まれている。


岩かげまさしく水が湧いてゐる

 『行乞記(一)』(9月14日)に「熊本を出発するとき、これまでの日記や手記はすべて焼き捨てゝしまつたが、記憶に残つた句を整理した、即ち、」として、この句がある。

昭和5年(1930年)、『層雲』(11月号)に発表。

種田山頭火 観音霊場
巡礼の旅 記念姿像

種田山頭火 明治15年(1882年)山口県に生まれる。自由律俳人。

 大正14年出家得度。昭和4年、九州西国(三十三番)観音霊場巡礼の旅をする。同年11月20日、第3番清水寺参拝。その折、師荻原井泉水に送った書簡に、

「今朝中津を立って途中九州西国第二番長谷密寺、第三番清水寺に参拝、しみじみ閑寂の気分に浸ることができました。」

とある。なお、「岩かげ」の句は草木塔より、当地に相応の句として抽出したもの。

 全国各地を行脚し、昭和15年(1940年)松山市の一草庵にて没する。

四日市・大分ライオンズクラブ

昭和35年(1960年)11月6日、高野素十は九州芹俳句大会で清水寺吟行。

   十一月六日 同大会第二日 清水寺吟行

山の炉の客に大きな茸焼く

『芹』

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