広度院と号す。関東浄家の総本寺、十八檀林の冠首にして盛大の仏域たり。百一代後小松院の御願にして、開山は大蓮社酉誉上人、中興は普光観智国師なり。(十八檀林は、武・総・常・野等に存在す。阿弥陀仏六八本願の中、第十八を以つて最勝とするに因み、御当家御称号、松平氏の松や千歳を閲歴し、能く雪霜にをかされず、又君子の操ありて、しかも太夫の封を受く、その字や木公に従ふ、細かにわかつときは十八公なり。依つてこれを弥陀の十八願にかたどり給ひ、精舎十八区を建てゝ永く栴檀林とし、多く英才を育して法運無窮の謀を設けたまひ、御子孫永く安からん事は、霜雪の後、松樹独り栄茂する如くとの盛虜に従ひ、源家の御代を、浄家の白旗流義により、千代万代までも守護し奉るべき旨を表し給ふなりとぞ。以上『浄宗護国篇』『新著聞集』等の意を採摘す。)
本堂本尊、阿陀如来。(恵心僧都の作にして、座像御長四尺ばかりあり。或は云ふ、仏工運慶が作なりと。)
額(三縁山)廓山上人真蹟(上人は当寺第十三世なり。甲州の産にして、高坂弾正の子なりといへり。)
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大 殿

昭和49年(1974年)、再建。
東京タワーが見える。
増上寺は浄土宗大本山である。
関東十八檀林のひとつ。
水盤舎

鐘楼堂

大梵鐘は延宝元年(1673年)に完成。
今鳴るは芝か上野か浅草か江戸七分ほどは聞える芝の鐘
榎本其角は増上寺の晩景を句に詠んでいる。
増上寺晩景
馬老ぬ灯籠使の道しるべ
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元文2年(1737年)5月20、佐久間柳居は江戸を立って箱根に向かう。途中で増上寺の鐘を句に詠んでいる。
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僧(ママ)上寺を見やりて
舟からは遠寺の鐘や夏木立
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明和8年(1771年)4月29日、諸九尼は増上寺に参詣している。
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廿九日 増上寺に参るに、めざましきまでに、堂塔甍をならぶ。この日松露庵、雪中庵をも尋行て、旅の心もなくかたらひ侍りぬ。
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昭和10年(1935年)5月10日、永井荷風は麻布区市兵衛町の「偏奇館」から増上寺の鐘の音を耳にした。
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暮近く鐘の響きこゆ。東南の方より響き來るを以て芝山内の鐘なるを知る。飛行機自働車ラヂオ蓄音機などの響絶え間もなき今の世に折々鐘の音を耳にする事を得るは何よりも嬉しきかぎりなり
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江戸三大名鐘の1つ。江戸三大名鐘は芝(増上寺)、上野(寛永寺)、浅草(浅草寺)とも言うが、はっきりしない。
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鐘がなる春のあけぼのヽ増上寺
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芝公園に句碑がある。
増上寺旧方丈門(黒門)

増上寺方丈の表門であった旧方丈門。黒漆塗であったために黒門とも呼ばれた。
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現在は増上寺通用門。
昭和44年(1969年)2月3日、高浜年尾は増上寺で節分会。
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二月三日 増上寺節分会
年男年女とて皆老いて
福枡を山と積みたり弥陀の前
大導師盲なりしよ節分会
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昭和47年(1972年)1月1日、高浜年尾は増上寺で除夜の鐘を撞く。
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一月一日増上寺除夜の鐘を撞く
除夜の鐘その第一打撞きにけり
増上寺近くに住みて除夜の鐘
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東京タワーのライトアップ

手前は「レストランプリンスビラ」。
2/18(日)東京マラソン交通規制

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