左右に七軒の寺家あり。右に二王門あり。石山寺と言額あり。門を入り左右子院四軒あり。家居のさまもつきつきしく見ゆ。左のかたの奥なるは別當なるべし。知行五百七拾九石餘ときくもむべなり。右のかたにたてる石黒くさかしくみゆ。坂をのぼれば高さ丈にあまれる石つらなり峙り。本堂は南向にて本尊は觀世音とかや。紫式部源氏の間といふ有りて、カ(※「穴」+「果」)頭口に翠簾をたれたり。本堂に額あり。其文にいはく、
江州北郡浅井備前守息女亜相
当寺諸伽藍者
秀頼卿御母堂為二世安楽御再興也
とあり。拝殿もあり。三十八社の明神・多宝塔・叉庫(アゼクラ)等あり。鐘楼の鐘は人々のつく事をゆるすとみえて、かはるがはるつく音かしがまし。早鐘無用の札いでたるもおかし。
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芭蕉の句碑があった。

曙やまたむらさきにほとゝきす
元禄3年(1690年)4月、芭蕉は紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれている「源氏の間」を拝観。
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『芭蕉句選拾遺』には「あけぼのやまだ朔日にほとゝぎす」とある。
嘉永2年(1849年)4月、建立。梅室筆。
瀬田尓泊りて暁石山寺尓まうてかの源氏の間をミて
| 願主 信州筑广郡會田郡矢久村 | 松風斎梅朗 |
| 右芭蕉翁真蹟画賛一軸 |
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| 石山寺尓寄附して一墳建立 |
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| 于時嘉永二己酉閏四月 梅室書
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明治23年(1890年)8月30日、正岡子規は石山寺に行き、芭蕉の句碑を見ている。
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