奈良二月堂 廻廊や手すりに並ぶ春の山
『寒山落木 巻四』(明治二十八年 春) |
『野ざらし紀行』には「氷の僧の」とある。 『芭蕉句選』、『芭蕉句鑑』には「水鳥や」とある。 |
二月堂に籠りて 水取や氷の僧の沓のおと 此句水鳥と書て冬の部に入たる集あり。二月堂に籠るといふ詞書にかなハす。此行法二月朔日より七日に到る。此日堂前の石井に若狭国遠敷(おにう)大明神より観世音へ献せしめたまふ。水涌出る則硯に汲て霊符を印す。これを二月堂の水取といへり |
奈良二月堂の修法に祖翁の發句を思出て けしからね冴返りたる沓の音 |
二月堂にあるというに芭蕉の句碑を尋ねて、二月堂の石階を登る。寺務所で聞いて、句碑は下の滝のところにあることを教えられた。また石階を降りる。三月堂の裏にあたるところだ。句碑の位置は三月堂裏と書くべきである。 棕梠や馬酔木の木群の中暗く、大きな自然石の句碑が立っている。 水取や籠りの僧の沓の音 句碑の句はそうなっている。堂に籠ってお水取の行事をする僧の沓――あの歯のない、底の厚い下駄――の音が荒々しく聞える、と云うのだ。 私は、この句の形を 水取や氷の僧の沓の音 とする側に左袒している。それは「野ざらし紀行」にそう書いてあるからだ。芭蕉みずからの書いて置いたのを私は信用する。 「氷の僧」は「氷る僧」である。寒さのために氷らんばかりの僧である。
『句碑をたずねて』(大和路) |
二月堂に七日斷食の行者あり。屏風引廻らして無二人聲一 日の目見ぬ紙帳もてらす紅葉かな |
二月堂に若狭の井、良辨杉あり、三月堂、四月堂を廻りて大仏殿に到る。 |
昭和2年(1927年)4月、水原秋桜子は奈良に遊び、三月堂を訪れた。 |
三月堂 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
『葛飾』 |
昭和3年(1928年)、山口誓子は三月堂を訪ねた。 |
私は昭和三年に三月堂を訪うて 天邪気夜番の柝にめつぶれる という句をつくった。天の邪気の眼をつむるのを見て、夜陰を想像し、柝を打つ夜番を想像し、その柝の音を聞いて眼をつむる天の邪気を詠ったのだ。
「三月堂」 |
昭和9年(1934年)3月9日、与謝野晶子は二月堂の水取りの会式を見ている。 |
昭和10年(1935年)、水原秋桜子は三月堂を訪れている。 |
三月堂 日光佛春あけぼのの香を焚けり 月光佛嫩芽(わかめ)の馬酔木供へある
『秋苑』 |
昭和44年(1969年)7月13日、高野素十は二月堂に吟行。 |
同十三日 奈良二月堂 芹吟行 暑き日の暑きところに四月堂
『芹』 |