芭蕉の句碑
水取や籠りの僧の沓乃音
奈良市雑司町に二月堂がある。
二月堂
2005年12月、国宝に指定された。
石段の右手、三月堂の築山に芭蕉の句碑があった。
水取や籠りの僧の沓乃音
出典は『芭蕉翁發句集』。「二月堂に籠りて」と前書きがある。
貞享2年(1685年)2月、二月堂で詠まれた句。
二月堂に籠りて
水取や氷の僧の沓のおと
此句水鳥と書て冬の部に入たる集あり。二月堂に籠るといふ詞書にかなハす。此行法二月朔日より七日に到る。此日堂前の石井に若狭国遠敷(おにう)大明神より観世音へ献せしめたまふ。水涌出る則硯に汲て霊符を印す。これを二月堂の水取といへり
大正2年(1913年)2月、建立。
奈良二月堂の修法に祖翁の發句を思出て
けしからね冴返りたる沓の音
山口誓子は二月堂に芭蕉の句碑を訪ねている。
二月堂にあるというに芭蕉の句碑を尋ねて、二月堂の石階を登る。寺務所で聞いて、句碑は下の滝のところにあることを教えられた。また石階を降りる。三月堂の裏にあたるところだ。句碑の位置は三月堂裏と書くべきである。
棕梠や馬酔木の木群の中暗く、大きな自然石の句碑が立っている。
水取や籠りの僧の沓の音
句碑の句はそうなっている。堂に籠ってお水取の行事をする僧の沓――あの歯のない、底の厚い下駄――の音が荒々しく聞える、と云うのだ。
私は、この句の形を
水取や氷の僧の沓の音
とする側に左袒している。それは「野ざらし紀行」にそう書いてあるからだ。芭蕉みずからの書いて置いたのを私は信用する。
「氷の僧」は「氷る僧」である。寒さのために氷らんばかりの僧である。
元禄7年(1694年)9月、榎本其角は二月堂を訪れている。
二月堂に七日斷食の行者あり。屏風引廻らして無二人聲一
日の目見ぬ紙帳もてらす紅葉かな
明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は二月堂を訪れている。
二月堂に若狭の井、良辨杉あり、三月堂、四月堂を廻りて大仏殿に到る。
二月堂から見下ろす。
大仏殿の屋根が見える。
昭和2年(1927年)4月、水原秋桜子は奈良に遊び、三月堂を訪れた。
三月堂
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
『葛飾』
昭和9年(1934年)3月9日、与謝野晶子は二月堂の水取りの会式を見ている。
昭和10年(1935年)、水原秋桜子は三月堂を訪れている。
三月堂
日光佛春あけぼのの香を焚けり
月光佛嫩芽(わかめ)の馬酔木供へある
『秋苑』
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