2010年三 重

二見浦〜夫婦岩〜
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伊賀から国道25号(名阪国道)を行き、伊勢関ICで伊勢道に入る。

 地方高速道路の無料化実検で伊勢道は津ICから伊勢IC間が無料になった。

伊勢道伊勢ICから伊勢二見鳥羽ラインで二見浦へ。


二見浦は日本の渚百選に選ばれている。

昭和35年(1960年)12月、高野素十は二見浦を訪れている。

   二見ケ浦 三句

雄鴨雌鴨雄鴨雌鴨とつゞく見ゆ

冬波のしばらくつゝむ巌かな

冬波のむすびし巌頭かな

『芹』

興玉神社の鳥居前に山口誓子の句碑があった。


初富士の鳥居ともなる夫婦岩

二見浦の夫婦岩は、沖の海底にまします興玉神の鳥居である。昭和62年の正月、興玉神社に初詣をしたとき、宮司様から「今朝、夫婦岩の間に富士山が見えました」と聞いたので、それが直ちに句になった。神体山の富士山の鳥居にもなったのだ。

夫婦岩


平成2年(1990年)、阿波野青畝の句。

   伊勢二見浦

つながるや初東雲の夫婦岩

『宇宙』

平成4年(1992年)12月22日、93歳で永眠。

二見浦に芭蕉の句碑があった。


うたがふな潮の花も浦の春

出典は『いつを昔』(其角編)。

二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。

元禄2年(1689年)春、江戸で詠まれた句。

芭蕉46歳の時である。

 芭蕉は江戸元禄期の俳人で、伊賀上野の出身です。

 西行のゆかりを慕って二見浦にも足を運んでいます。

 この句は二見浦の春は、よそと違って夫婦岩に砕け散る波の花で、その到来を知ることができるが、それを疑うなと教えたものです。

西行は晩年二見に庵を結び、7年間滞在したそうだ。

伊勢の二見の浦に、さる様なる女(め)の童どもの集まりて、わざとのこととおぼしく、蛤をとり集めけるを、いふ甲斐なき蜑人こそあらめ、うたてきことなりと申ければ、貝合せに京より人の申させ給たれば、選りつゝ採るなりと申けるに

今ぞ知る二見の浦のはまぐりを貝合せとて覆ふなりけり

   おなじこころを、伊勢の二見といふ所にて

波こすとふたみの松の見えつるは梢にかかる霞なりけり


 元禄2年(1689年)9月6日(陽暦10月18日)、芭蕉は伊勢の遷宮を拝みに大垣から舟で二見に向かった。

   二見

硯かと拾ふやくぼき石の露

杉風宛真蹟書簡

 元禄7年(1694年)9月21、其角は二見浦で句を詠んでいる。

岩の上に神風寒し花薄


 文化5年(1808年)6月1日、多賀庵玄蛙は二見浦で朝日を拝む。

水無月朔日の旭日拝んと二見の浦浪に汐あミしてしのゝめより藻屑の上に座したり

うたかはぬ心の先やふしの山
   玄蛙


 文化6年(1809年)9月、倉田葛三は九州行脚の途上、二見浦で句を詠んでいる。

青海苔のわすれぬ色や后の月


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