子規の句碑



正岡子規ゆかりの地

『寒山落木』 ・ 『俳句稿』 ・ 『竹乃里歌』

明治22年(1889年)4月3日:『水戸紀行』

明治23年(1890年)8月28日:『しやくられの記』

明治24年(1891年)5月:『かけはしの記』

明治26年(1893年)7月19日:『はて知らずの記』

明治27年(1894年)7月:「上野紀行」

明治28年(1895年)9月20日:『散策集』

 慶応3年(1867年)9月17日、伊予国温泉郡藤原新町(現:愛媛県松山市花園町)に松山藩士正岡常尚の長男として生まれる。

 明治13年(1880年)3月、松山中学(現:松山東高等学校)入学。

 明治16年(1883年)、柳原極堂と謀って松山中学を中退し上京。

 明治19年(1886年)7月下旬、正岡子規は旧伊予藩主久松氏の息子定靖に随伴し、日光・伊香保の旅をする。8月末に帰京。

 明治22年(1889年)5月9日、喀血。初めて「子規」と号す。

 明治22年(1889年)7月1日、東海道本線が全線開通。

 明治22年(1889年)7月3日、松山へ向けて旅立つ。7日に帰省。

 明治25年(1892年)12月、日本新聞社入社。

 明治28年(1895年)4月7日、正岡子規は近衛師団司令部と共に海城丸に乗り、宇品を発する。その帰路に喀血。

 明治28年(1895年)、病気療養のため帰省52日間にわたり愚陀佛庵夏目漱石と共同生活を送る。

 明治28年(1895年)10月12日、正岡子規送別会。

 明治31年(1898年)3月14日、『新俳句』発行。

 明治34年(1901年)5月25日、『春夏秋冬』(春之部)刊。

 明治35年(1902年)5月6日、『春夏秋冬』(夏之部)刊。

 明治35年(1902年)9月7日、『春夏秋冬』(秋之部)刊。

 明治35年(1902年)9月19日未明、正岡子規歿す。21日、大龍寺に埋葬。

 明治35年(1902年)12月17日、『春夏秋冬』(冬之部)


中央児童公園(岩手県北上市)

霧降の滝

(栃木県日光市)

神橋は人も通らす散紅葉

神橋(栃木県日光市)

神杉や三百年の蔦紅葉

(栃木県日光市)

神殿の御格子おろす紅葉かな

中宮祠(栃木県日光市)

中禅寺湖

(栃木県日光市)

湯 滝

(栃木県日光市)

いく坂をのぼりのぼりて尋ねきし
山の上にもうみを見る哉

中禅寺湖(栃木県日光市)

大宮公園

(埼玉県さいたま市)

子規庵

(東京都荒川区)

道灌山

(東京都荒川区)

長命寺

(東京都墨田区)

入口に七草植ゑぬ花屋敷

向島百花園(東京都墨田区)

大龍寺

(東京都北区)

雀より鶯多き根岸哉

根岸笹の雪(東京都台東区)

待乳山聖天

(東京都台東区)

駒形橋

(東京都台東区)

黒門も摺鉢山も桜かな

黒門(東京都台東区)

秋淋し毛虫はひ行く石畳

上野東照宮(台東区上野公園)

花の山鐘楼ばかりぞ殘りける

時の鐘(東京都台東区)

不忍池弁天堂

(東京都台東区)

蓮枯て夕栄うつる湖水かな

不忍池(東京都文京区)

常磐会跡

(東京都文京区)

天邊に秀でたる眉をかすみけり

靖国神社(東京都千代田区)

松杉や枯野の中の不動堂

高幡不動尊(東京都日野市)

薬王院

(東京都八王子市)

真間山弘法寺

(千葉県市川市)

伊藤左千夫の生家

(千葉県山武市)

誕生寺

(千葉県鴨川市)

日本寺

(千葉県安房郡鋸南町)

川崎大師

(神奈川県川崎市)

大佛のうつらうつらと春日かな

高徳院(神奈川県鎌倉市)

犬蓼の花くふ馬や茶の煙

甘酒茶屋(神奈川県足柄下郡箱根町)

蛤の荷よりこぼるるうしほかな

貝繁本店(三重県桑名市)

鶴一つ立つたる秋の姿哉

岡山後楽園(岡山県岡山市)

大原其戎居宅の跡

(愛媛県松山市)

大原観山住居跡

(愛媛県松山市)

番町小学校

(愛媛県松山市)

子規母堂令妹住居跡

(愛媛県松山市)

正岡子規邸址

(愛媛県松山市)

子規堂

正宗寺(松山市末広)

「汽船乗り場」

(愛媛県松山市)

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