私の旅日記〜2007年〜
日本寺〜夏目漱石〜
JR内房線浜金谷駅から鋸山ロープウェー鋸山山麓駅へ。
文明18年(1486年)、道興准后は鋸山を見て歌を詠んでいる。
此の所より右の方に。鋸山といへる山あり。峰のあらしに雲晴れて。あからさまに其のみね見ゆ。段々ありて。誠にのこぎりの様になん侍れば。俳諧。
宮木ひく峰のあらしにくも晴れてのこぎり山はかゞりとも見ゆ
鋸山ロープウェー
往復で900円。
明治22年、夏目漱石は一高1年生の8月7日から30日にかけて学友4人と房総を旅して、鋸山に登っている。
八月、復また海に航して房州に遊び、鋸山に登り、二総を経、刀川を遡りて帰る。日を経ること三十日、行程九十余里。既に帰れば、会(たまたま)秋雨、日を連ぬ。一室に閑居し、旅中の快楽辛酸の事を懐おもいて、其の情に堪えざる有り。乃(すなわち)筆を執とって之を書し、積みて数葉に至れり。
『木屑録』
鋸山山頂駅(海抜329m)展望台から金谷港を見下ろす。
勝山海岸を望む。
勝山海岸の手前が保田海水浴場、その手前が元名海水浴場。
明治24年(1891年)4月3日、正岡子規は鋸山に登る。
上山頂 武相房総 皆在指顧之間 不知俗塵安乎在
乾坤山日本寺(HP)は神亀2年(725年)創建。
安房国礼三十四観音霊場の第8番札所。
曹洞宗の寺である。
拝観料は600円。
西口管理所に一茶の句碑があった。
阿羅漢の鉢の中より雲雀かな
通天窟
仮本堂に下ると、梁川星厳の詩碑があった。
「鋸山に遊ぶ」
流丹万丈芙蓉を削る
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寺は磅トウの第幾重にか在る
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地を捲くの黒風海角より来り
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時有りて微雨山容を変ず
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三千世界孤掌に帰し
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五百の仙人一峰を共にす
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怪しみ得たり残雲の腥気を挟むを
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老僧夜降す石潭の竜
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梁川星厳は、幕末、神田お玉ヶ池吟社を開き、江戸詩壇を風靡した漢詩人。美濃の人。
明治39年8月8日、河東碧梧桐は鋸山の日本寺を訪れた。
鋸山日本寺は本堂の修復漸く出来上っておるが、仁王門地蔵堂などはなお荒れ荒れた様である。
石段の蝕む跡やちゝろ虫
「ちゝろ虫」はこおろぎのこと。
昭和14年(1939年)11月、本堂は登山者の失火で消失。
日本寺仮本堂の前に長谷川馬光の句碑があった。
引きおろす鋸山の霞かな
源頼朝公御手植大蘇鉄
樹齢約800年だそうだ。
鐘楼
日本寺鐘
国指定重要文化財である。
再建中の薬師堂
大黒堂
猿がいた。
千葉で猿を見たのは初めてだ。
日本寺大仏
高さ31.05m。日本最大の大仏。
薬師瑠璃光如来である。
二天門を抜けて戻る。
野萱草が咲いていた。
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