正岡子規


『竹乃里歌』

   乙酉の歳(明治十八年)

      橋上夕立

夕立の雨にけぶりて近江かた瀬田の長橋虹とこそ見れ

   明治十九年

      霧降瀧

岩ふみて落ちくる瀧を仰ぎ見れば空にしられぬ霧そふりける

      裏見瀧

うちあけて心のそこも見せなから瀧のなこそはうらみなりけれ

      龍頭瀑

さかまきし水のしら玉こきちりて苔むす岩に花もさきけり

岩ふみて落ちくる瀧を仰ぎ見れば空にしられぬ霧そふりける

      湯 滝

水とのみ思ひしものを流れつる瀧はわきたついでゆなりけり

      中禅寺湖

いく坂をのぼりのぼりて尋ねきし山の上にもうみを見る哉

   明治二十四年

      碓氷たうげにて

つゝらをりいくへの峯を渡りきて雲間に低き山もとの里

   明治二十六年

下つけのなすのゝ原の草むらに覺束なしや撫子の花

草茂みなすのゝ原の道たえて撫し子咲けり人も通はず

松しまや雄嶋の浦のうらめぐりめぐれどあかず日そ暮れにける

      實方中將の墓にまうでゝ

かたみたに今はなつのゝしの薄まだ穂にいでぬ風の色哉

      月見んとて松嶋に行きしに月晴れさりけれは

心なき月は知らじな松島にこよひはかりの旅寐なりとも

      作並温泉にやとりて

見し夢の名殘も涼し檐のはに雲ふきおこる明かたの山

      最上川を舟して下る時

草枕旅路かさねてもかみ河行くへもしらす秋立ちにけり

立ちこめて尾上もわかぬ曉の霧より落つる白絲のたき

夕されは吹浦の沖のはてもなく入日をうけて白帆行く也

   明治二十八年

舟つなく三津のみなとの夕されは苫の上近く飛ぶ千鳥かも

   明治三十一年

      虚子女の子をまうけゝるよろこびに

紅梅の花そめ産着うち着せて神田の神に千代をこそ祈れ

      梅若神社

わか塚にうゑよといひし道のへの一本柳その柳かも

今やかの三つのベースに人満ちてそゞろの胸の打ちさわぐかな

うちはづす球キヤチヤーの手に在りてベースを人の行きぞわづらふ

足なへの病いゆてふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませは

足たゝば不盡の高嶺のいたゝきをいかつちなして蹈み鳴らさましを

   明治三十二年

      金塊和歌集を讀む

人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大將軍みなもとの實朝

武藏野に秋風吹けば故郷の新居の郡の芋をしそ思ふ

   明治三十三年

砥部燒の乳の色なす花かめにうめと椿と共にいけたり

たて川の茅場の庵を訪ひ來れば留守の門邊に柳垂れたり

      秋水ガ佛足石ノ碑ノ石摺贈リヨコシケル返リ事ニ戯レ
      ニ我手ノ形ヲオシテ送ル

御佛ノ足ノアトカタ石二彫リ歌モ彫リタリ後ノ世ノタメ

我手形紙ニオシツケ見テアレド雲モ起ラズタゞ人ニシテ

「竹乃里歌」拾遺


   明治二十三年

長橋で都の富士を見てあれば蜈蚣のやうに氣車の行く也

   明治二十四年

日はくれぬ雨はふりきぬ旅衣袂かたしきいつくにか寐ん

むかしたれ雲のゆきゝのあとつけてわたしそめけん木曾のかけはし

   明治二十六年

すむ人のありとしられて山の上に朝霧ふかく殘るともし火

   明治二十八年

      須磨に病をやしなひて

夏の日のあつもり塚に涼み居て病氣なほさねばいなじとぞ思ふ

   明治三十五年

くれなゐの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ

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