2008年神奈川

旧街道資料館〜甘酒茶屋〜
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箱根の旧東海道を行く。


追込坂登リ二町半餘


追込(おいこみ)

 『新編相模国風土記稿』のふりがな(万葉がな)をみると、フッコミ坂といったのかもしれません。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名です。

 明治25年(1892年)10月14日、正岡子規は箱根を越えて三島に下る。

 樵夫も馬子も皆足を茶屋にやすむればそれぞれにいたわる婆様のなさけ一椀の渋茶よりもなお濃し。

   犬蓼の花くふ馬や茶の煙

『旅の旅の旅』

旧街道資料館


入館料は70円。

旧街道資料館と隣が甘酒茶屋。

甘酒茶屋について

 この甘酒茶屋の付近は、江戸時代、赤穂浪士の一人神崎与五郎が吉良邸討ち入りに向かう途中、ここで馬子にいいがかりをつけられ、大事の前であったため、馬子に詫証文を書いたと忠臣蔵「甘酒茶屋」のくだりとして講談、戯曲で有名なところです。

 しかし、この話は残っている証文から神崎与五郎でなく同じ浪士の一人大高源吾で、その場所は三島宿だったといわれています。

 又、当時の諸大名は小田原城下入りをする際、この付近でひと休みし、小田原に下りました。

 江戸時代には、この付近に茶屋があり、急坂な箱根路への休憩地点として賑わっていました。

神奈川県

旧東海道は続く。


 安永元年(1772年)9月9日、加舎白雄は松坂から江戸に帰る途中で箱根を通っている。

 九月九日玉くしげ筥根を過る。

   きくのけふ飯笥も匂ふ山路かな

加舎白雄「東海紀行」

 「九月九日」は重陽の節句。「菊の節句」とも呼ばれる。「飯笥(いいけ)」は飯を盛る器。

 享和元年(1801年)2月29日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で箱根を越えた。

p角坂、かしの木坂、猿すべり、てうしの口など、さがしきにさがしきをかさねて、やゝ平かなる老が平といふ所にいたる。ここに四阿たてゝ、あま酒ひさぐものあり。


箱根の句

はつ秋や誰先かけし筥根山


   箱根

雲踏で聞日も遠しほとゝぎす



   かつしか
岩からむ杖や砧のはこね山
   素丸

六月の花や蚊ひとつ郭公
   安袋


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