松山の漱石

夏目漱石假寓愚陀佛庵址
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松山市二番町の駐車場に「夏目漱石假寓愚陀佛庵址」の標柱があった。


 夏目漱石が明治28年(1895年)4月、松山中学校の英語教師として松山に赴任したときの下宿があった場所である。漱石はここで正岡子規と共同生活をした。

 昭和20年(1945年)7月26日、松山大空襲のため焼失した。

当時の愚陀仏庵


 昭和35年(1960年)11月29日、山口誓子は愚陀仏庵址を見に行った。

 私は、愚陀仏庵址を見に行った。漱石が寄寓していた二番町の、旧上野家だ。焼けて再建され、天平という天婦羅屋になっている。

 漱石がそう名づけた愚陀仏庵は上野家の離れで、漱石は下の座敷にいたが、子規が、日清戦争で身体を壊して帰り、この家に、舞い込んで来たから、下の座敷を子規に提供して、自分は二階に移った。

 しかし再建されたものは、別のものだ。私は二階に上って、北に松山城を見た。そしてこれだけが昔からあるものだと思った。


 昭和56年(1981年)4月2日、子規記念博物館開館。常設展示室3階に愚陀仏庵の一階部分が復元された。

 昭和57年(1982年)、松山市一番町3丁目の萬翠荘敷地内に復元された。平成22年(2010年)、災害のため倒壊、今はない。

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