正岡子規ゆかりの地



常磐会−久松邸跡−

 日本橋浜町二丁目の都道50号東京市川線(新大橋通り)沿いに「常磐会−久松邸跡−」がある。

常磐会−久松邸跡−


 常磐会は、明治16年(1883年)に創設された、旧伊予国(現在の愛媛県)松山藩主久松家による在京の旧藩士子弟たちの学資援助組織です。

 久松家は、明治維新後、この地に屋敷を構えており、明治6年の「第壱大区沽券図」には、浜町二丁目の内に「四番/三千六百十七坪/弐千二円/久松定謨」と記されています。常盤会はこの屋敷内に設置されていました。

 常磐会の給費生には、育成助成金として、毎月の学資や教科書代・旅費などが支給され、明治維新後の混乱期において、東京で勉学を志す旧藩士子弟たちの心強い後ろだてとなりました。

 明治17年に選抜された初代給費生10人のなかに、俳人正岡子規(1876〜1902)がいました。子規は明治16年6月故郷松山から単身上京し、一時期旧藩主久松邸の書生部屋に寄寓していました。上京翌年に初代常磐会給費生に選ばれたことを、半生の喜びの一つだと述べています。

 常磐会は、給費生たちの便宜をはかるため、明治20年本郷真砂町(現在の文京区本郷)の坪内逍遥邸跡に常盤会寄宿舎を創設しました。子規も明治21年9月から24年暮れまで書生として過ごしています。

中央区教育委員会

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