明治25年(1992年)12月7日、正岡子規は内藤鳴雪と高尾を訪れ、薬王院を参詣している。 |
高尾山を攀ぢ行けば都人に珍らしき山路の物凄き景色身にしみて面白く下闇にきらつく紅葉萎みて散りかゝりたるが中にまだ半ば青きもたのもし。 木の間より見下す八王子の人家甍をならべて鱗の如し。 目の下の小春日和や八王子 鳴雪
「高尾紀行」 |
昭和12年(1937年)8月、北原白秋は多磨大会を開き「高尾山薬王院唱」17首を遺した。碑面の短歌はその1首である。 |
昭和十二年八月十六日より三日間に亙り、我が多磨の第二回全日本大会を武州高尾薬王院にて催す、余はその前日より先行その参集を待つ。
『橡(つるばみ)』 |
高尾山 二句 山法師むらがる下に谷の雲 雲のゐる谷にさしいで山法師
『重陽』 |