正岡子規ゆかりの地


大宮公園

さいたま市大宮区に氷川神社がある。


氷川神社


氷川神社の北に大宮公園がある。

 歴史解説NO.5
大宮(氷川)公園と明治の文豪たち

 開園期の公園はマツや雑木林に覆われて武蔵野の面影が色濃く、熱海と並ぶ東京の奥座敷として、ホタル狩りや秋の虫聴き、ハギの花やススキ観賞等の風流が人気を呼び、多くの文人墨客が訪れています。

 現動物園から遊園地にかけての一帯は、高級料亭「万松樓」のあった場所です。俳人正岡子規の随筆『墨汁一滴』の中に、明治24年の9月、当時東京帝国大学の学生であった子規が試験勉強の為この料亭を訪れ、この地を大変気に入り、東京から友人の夏目漱石を呼び寄せたとのくだりが書かれています。

 また、『創作断片』の中で大宮公園への関心の高さを書き記した樋口一葉は明治25年に公園を訪れています。

 その他、永井荷風、国木田独歩、森鴎外、正宗白鳥、与謝野鉄幹等がこの地を訪れて、作品の舞台としています。

大宮公園事務所

大宮公園


九月には出京して残る試験を受けなくてはならぬので準備をしようと思ふても書生のむらがつて居るやかましい処ではとても出来さうもないから今度は国から特別養生費を支出してもらふて大宮の公園へ出掛けた。万松楼といふ宿屋へ往てここに泊つて見たが松林の中にあつて静かな涼しい処で意外に善い。それにうまいものは食べるし丁度萩の盛りといふのだから愉快で愉快でたまらない。

それから夏目漱石を呼びにやつた。漱石も来て一、二泊して余も共に帰京した。大宮に居た間が十日ばかりで試験の準備は少しも出来なかつたが頭の保養には非常に効験があつた。しかしこの時の試験もごまかして済んだ。

『墨汁一滴』

   大宮氷川公園諧

ふみこんで歸る道なし萩の原

葛花や何を尋ねてはひまはる

   氷川公園万松樓

ぬれて戻る犬の背にもこぼれ萩

一句なかるべからずさりとてはこの萩の原

『寒山落木 巻一』(明治二十四年 秋)

 明治34年(1901年)7月21日、高浜虚子は大宮氷川公園万松楼で埼玉九郡の俳人会。

七月二十一日 大宮氷川公園万松楼に埼玉九郡の俳人を会す。俳
句省略。


 明治43年(1910年)、森鴎外は雑誌『 スバ ル』5月号から小説『青年』の連載を始める。

 こんな事を話しながら、二人は公園の門を這入った。常磐木の間に、葉の黄ばんだ雑木の交っている茂みを見込む、二本柱の門に、大宮公園と大字で書いた木札の、稍古びたのが掛かっているのである。

 落葉の散らばっている、幅の広い道に、人の影も見えない。なる程大村の散歩に来そうな処だと、純一は思った。只どこからか微(かす)かに三味線の音(ね)がする。純一が云った。

『青年』

 昭和8年(1933年)1月29日、高浜虚子は大宮氷川公園で武蔵野探勝。

 年中行事の主なる一つである武蔵野探勝句会も、府中の大国魂神社に第一回の催しがあつてから、回を重ねるこよ早や三十回になつて、広い武蔵野も殆んど歩き尽したのは、御同様誠に愉快なことである。

 今回の初探勝は、正月三日大宮の氷川公園と極つてゐたが、虚子先生の風邪の為に思ひ切つて後に引き下げて、月末の日曜に、矢張り大宮の氷川公園で催さるゝことになつた。

『武蔵野探勝』(大宮氷川公園)

霜解の道返さんと顧し

      一月二十九日。武藏野探勝。大宮氷川公園、含翠園。


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