正岡子規ゆかりの地



大原観山住居跡

松山市三番町に大原観山住居跡がある。


 ・・・子規は外祖父が松山第一の学者である大原観山であるため、小学校にあがるまでは観山翁みずからの手で素読を教わるという幸運を享けた。観山翁の教授は朝5時から6時までであった。この老人は子規を愛し、

「升はなんぼ沢山教えても覚えるけれ、教えるのが楽しみじゃ」

といっていたという。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文藝春秋刊)単行本:1巻より

挿絵第33回 画・下高原健二


 大原観山(正岡子規の祖父)は、江戸の昌平黌で漢学を学び、その後明教館の教授となり、幕末期における藩の教育に尽力した。そして廃藩後も、私塾を開いて子弟の育英に余生を捧げた。観山には四男三女がおり、長女は子規の母八重、三男は第5代松山市長をつとめた加藤拓川(恒忠)である。

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