天平の昔、行基菩薩が来錫(らいしゃく)し、真間の地に語り伝わる手児奈の霊を供養して一宇を建て、「求法寺(ぐほうじ)」と称したが、その後、空海(弘法大師)によって七堂伽藍が造営され、「真間山弘法寺」と改められたが、本寺の起こりと伝えている。 |
眞間寺や枯木の中に仁王門
『寒山落木』(巻四)
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安永7年(1778年)8月14日、横田柳几は関東三社詣での途次、弘法寺に参詣している。 |
日蓮宗真間山弘経(ママ)寺へ詣庭前に古樹三株あり所謂真間のもみち是なり枝の内一茎二葉稀に有外の樹より紅葉遅しと云 |
見出スにも二葉はまゝのもみち哉 | 柳 |
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秋もまた青葉のまゝの紅葉哉 | 篁 |
真間行 落葉たく祖父ハ若木も寺紅葉
鈴木荘丹『能静草』 |
文化14年(1817年)8月27日、国学者高田与清は弘法寺に詣でている。 |
○石坂をのぼりて眞間山弘法寺にまうづ。庭に青葉の楓といふがあり。 |
『葛飾』(昭和5年) |
明治21年(1888年)、火災のため諸堂が焼失、明治23年諸堂が完成し、昭和47年には本堂を鉄筋コンクリート造りに改築した。 |
真間山に登り来にけり弘法寺の庭のかたすみの唐黍の花
『寂光』(真間山附近其二) |
祖師堂の前に伏姫桜(ふせひめざくら)と呼ばれる樹齢推定400年の枝垂れ桜があるが、訪れたのは3月中旬のことで、まだ早かった。 |
『松籟』(昭和12年) |
九月三十日 ホトトギス吟行 真間山弘法寺 大枝垂桜の紅葉見えそめし 秋の蝶叢をゆく迅しと思ふ 爽やかに一歩木かげに入りて立つ |