正岡子規


『はて知らずの記』

明治26年(1893年)7月19日、正岡子規は「はてしらず」の旅に出る。

子規は出発に先立って三森幹雄に会い、沿道の諸家宛てに添書きをもらった。

 松島の風象潟の雨いつしかとは思ひながら病める身の行脚道中覺束なくうたゝ寐の夢はあらぬ山河の面影うつゝにのみ現はれて今日としも思ひ立つ日のなくて過ぎにしを今年明治廿六年夏のはじめ何の心にかありけん

      松島の心に近き袷かな

と自ら口すさみたるこそ我ながらあやしうも思ひしかつひにこの遊歴とはなりけらし。

      松島の風に吹かれんひとへ物

 一句を留別として上野停車場に到る。折ふし來合せたる瓢亭一人に送らる。我れ彼が送らん事を期せず彼亦我を送らんとて來りしにも非ざるべし。まことや鐵道の線は地皮を縫ひ電線の網は空中に張るの今日椎の葉草の枕は空しく旅路の枕詞に殘りて和歌の嘘とはなりけり。されば行く者悲まず送る者歎かず。旅人は羨まれて留まる者は自ら恨む。奥羽北越の遠きは昔の書にいひふるして今は近きたとへにや取らん。

      みちのくへ涼みに行くや下駄はいて

など戲る。



みちのくへ涼みに行くや下駄はいて

秋風や旅の浮世の果知らず

(東京都台東区)



 二十日汽車宇都宮を發す。即景

      田から田へうれしさうなる水の音

 名に聞えし那須野を過ぐるに見渡す限り夏草生ひ茂りてたまたま木ありとも長(たけ)三尺には足らざるべし。唯ところどころに菖蒲瞿麥(なでしこ)のやさしう咲き出でたるは何を力にかといと心もとなさに

      下野のなすのゝ原の草むらに

            おほつかなしや撫し子の花

      草しげみなすのゝ原の道たえて

            なでしこ咲けり人も通はず

 白河驛に下る。忽ち雨忽ち晴。半は照り半は雨(ふ)る。定まらぬ天氣は旅人をもてなすに似たり。

 白河の東半里許りに結城氏の城址ありと聞きて畦道辿り行く。水車場をめぐりて山に上る事數十歩高さ幾丈の巌石を巧みに鉛直に遮りて其面に感忠銘と題せる文を刻せり。こゝは結城氏の古城の搦目手にして今まに搦目と稱へたり。前に川を控へ後は山嶺相接せる險要にしてしかも風光に富めり。此城出來し後白河二所の關は癈せられたりといふ(二所の關といふは無類の要害なればとて二重に關を構へたる故なり)。しばし碑前にやすらへば涼氣襟もとに滴るが如し。

      涼しさやむかしの人の汗のあと

小峰城

(福島県白河市)



 二十一日朝町はづれをありく。森を見かけてのぼれば果して天満宮あり、境静にして杉古りたり。

      夏木立宮ありそうなところかな



夏木立宮ありそうなところかな

天神神社(福島県白河市)



 須賀川に道山壯山氏を訪ふ。此地の名望家なり。須賀川は舊白川領にして古來此地より出でたる俳人は可伸等躬雨考たよ女なり。郡山に宿る。舊天領にして二千餘戸の村市なり。三四の露店氷を賣れば老幼男女更る更る來りて梭(ひ)を織るが如し。

 二十二日朝、淺香沼見んとて出でたつ。安達太郎山高く聳えて、遥かに白雲の間に隠約たり。土俗之を呼んであだたらといふ。

      短夜の雲をさまらずあたゝらね

 郡山より北すること一里餘、福原といふ村はづれに長さ四五町幅二町もあるべき大池あり。これなん淺香沼とはいひつたへける。小舟二三隻遠近に散在し漁翁さを(※「竹」+「高」)を取て畫圖の間に往來するさま幽趣筆に絶えたり。



従是西白川領

須賀川(福島県須賀川市)



 南杉田の遠藤菓翁氏をおとづれけるに快く坐に延きて款待いと懇なり。氏は剛毅にして粗糲し失せず樸訥にして識見あり。我れ十室の邑に斯人を得たり。談ずる事少時驟雨沛然として至る。氏いふ、僻境何のもてなしも無し。一椀の飯半椀の汁漸く飢をさゝふるに足るのみ。されども蠅蚤の間に一夜を明かし給ふも亦一興ならんと。勸めらるゝまゝに終に一泊に決す。

 二十三日曉起昨夜時鳥頻りに鳴きたればとて

     奥の細道の跡を遊觀せらるゝ子規君を宿して

   草深き庵やよすがらほとゝぎす   菓 翁

 禮を述べて其家を辭す。

 幾曲り曲りて長き二本松の町を過ぎ野を行く事半里阿武隈川を渡れば路の側老杉あり。木末も枝のさきも大方枯れ殘りて鬼女の如し。下に碑を建てゝ黒塚といふ。兼盛の歌を刻む。其ほとりにある寺は鬼のすみかなりと聞きて到り見るに杉樹鬱葱巨石堆積して常の處とも見えず。寺僧をおとなふて賽錢若許(そこばく)を投ず。伴ふて石頭の一小堂に到り其扉を開きて誘ひ入る。老僧壁上の畫を指し函中の古物を示し容を斂(をさ)め袈裟を正し咳一咳して後ろに其縁起説き出でぬ。

      木下闇あゝら涼しや恐ろしや



涼しさや聞けば昔は鬼の家

黒塚(福島県郡山市)

 翁に別れて滿福寺へと志す。二本松を横ぎりて野に出づれば、畦道あちらこちらに別れて山にかゝるに、何れの道にかと問ふべき家もなし。坂一つこえて人に聞けば、さては路に迷はれたり、寺は此山の裏にぞあなる、いたゞきに見ゆる高き松の下に樵夫の通ふべき路あれば、かしこより行き給へといふ。教へらるゝまゝに細き道を攀ぢ上る。蛇は怖れて杖のさきを走り名も知らぬ蟲は驚きて眼の前を飛び渡る。山深からねども人通はねば松吹く風身に入みて赤き茸白き草花皆な仙家の趣きあり。

      下闇にたゞ山百合の白さかな

 目の下の木の間に見ゆる屋の棟こそ寺なめれといそぎ下れば家は隱れて方角を知らず。森に沿ふて行く事一二町左に曲れば忽ち家あり。太神宮を祭りし宮なり。宮の境内に立ちて見下す程も無く佛宇稍低く隣れり。こゝにおとづれて俗雅の話打ちまぜながらしばしくつろぐ。

      山寺庫裏ものうしや蠅叩

 當寺は天台二祖の開基にして飯出山満福寺といふ。石階数百級の高さに山を削り木立を開きて數十畝の平地あり。村遠く山靜かにしてまだ老い殘る鶯の聲は蝉蜩の木末にせり合ひ梢鳴きそめし蟋蟀は晝も夏草の底にすだく。むかしは七堂伽藍美を盡し善を盡して壯嚴の道場なりしを數年前の火災に六百年の建築一片の灰燼となりて諸行無常色即是空のことわりを眼の前に示したるこそうたてけれ。今は假普請の儘にて佛宇もたゞ人の住居に異ならねば佛も永劫の間には因果を逃れたまはずと見えたり。御社は維新前の両部の名殘なりと聞くに

      すゞしさや神と佛の隣同士

 山號飯出山といふ事めづらしき名なり。如何なる意にやと問ふ。蓮阿氏いふ。そのかみ義經公奥州へ没落の節此處に立ちよられしかば寺より飯をまゐらせけるに辨慶此寺の山號はと尋ぬ。いまだ山號なきよし住僧答へければ、然らば飯出山といふべしと辨慶自ら名づけたるよし言ひ傳へたりと。

      水飯や辨慶殿の喰ひ残し

 月明りに行水をすませて庭前に廣敷をならべ團扇は蚊を逐ふの道具に殘して葉柳の風に涼む。杉高うして黒く月低うして青し。

      ひろしきに僧と二人の涼みかな

      御佛に尻向け居れば月すゞし

 留めらるゝまゝに一泊す。佛龕(ぶつがん)に隣りて書院の眞中に寐ころびたるも我身此世ならぬ心地す。

      寺に寐る身の尊とさよすゞしさよ



寺に寐る身の尊とさよすゞしさよ

満福寺(福島県二本松市)

 二十五日荵摺の石見んとて行く。平らに打ちならしたる道の苦はなきも三伏の太陽日傘を透して燬くが如きに路傍涼を取るべき處もなし。町より一里半許り大道の窮まる處の木立甍を漏らすはこれ荵摺の觀音なり。正面櫻樹高く植ゑたる下に蕉翁荵摺の句を刻みたる碑あり。其後に柵もて圍みたる高さ一間廣さ三坪程に現れ出でたる大石こそ荵摺の名殘となん聞えけれ。左の石階を登れば觀音壯大ならねども彫鏤色彩を凝したる昔忍ぶべしや。

      涼しさの昔をかたれ荵摺



涼しさの昔をかたれ荵摺

信夫文知摺観音(福島県郡山市)

 福歸路殆んど炎熱に堪へず。島より人車を驅りて飯阪温泉に赴く。天稍曇りて野風衣を吹く。涼極つて冷。肌膚粟を生ず。湯あみせんとて立ち出れば雨はらはらと降り出でたり。浴場は二箇所あり雑沓芋洗ふに異ならず。

      夕立や人聲こもる温泉の煙

二十六日朝小雨そぼふる。旅宿を出でゝ町中を下ること二三町にして數十丈の下を流るゝ河あり。摺上川といふ。飯坂湯野兩村の境なり。こゝにかけたる橋を十綱の橋と名づけて昔は綱を繰りて人を渡すこと籠の渡しの如くなりけん。古歌にも

      みちのくのとつなの橋にくる綱の

            たえずも人にいひわたるかな

など詠みたりしを今は鐡の釣橋を渡して行來の便りとす。大御代の開花旅人の喜びなるを好古家は古の様見たしなどいふめり。

      釣り橋に亂れて涼し雨のあし



夕立や人声こもる温泉のけむり

飯阪温泉(福島県福島市)



 當地は佐藤嗣信等の故郷にして其居城の跡は温泉より東半里許りに在り。醫王寺といふ寺に義経辨慶の太刀笈などを藏すといふ。故に此地の商家多くは佐藤姓を名のると見えたり。



 二十七日曇天朝風猶冷かなり。をとつひより心地例ならねば終に醫王寺にも行かず。人力車にて桑折に出づ。

 桑折より汽車に乗る。伊達の大木戸は夢の間に過ぎて岩沼に下る。



 田畦數町を隔てゝ鹽手町の山陰に墓所あり。村の童にしるべせられて行けば竹藪の中に柵もて廻らしたる一坪許りの地あれど石碑の殘缺だに見えず。唯一本の筍誤つて柵の中に生ひ出でたるが丈高く空を突きたるも中々に心ろある様なり。其側に西行の歌を刻みたる碑あり。枯野の薄かたみにぞ見ると詠みしはこゝなりとぞ。ひたすらに哀れに覺えければ我行脚の行末を祈りて

      旅衣ひとへに我を護りたまへ。



笠嶋はいづこさ月のぬかり道

笠嶋(宮城県名取市)



 二十九日つゝじが岡に遊ぶ。躑躅岡とも書き石榴岡とも書きて古歌の名所なり。仙臺停車場のうしろの方にあたれり。杜鵑花は一株も見えざれど櫻樹茂りあひて空を蔽ひ日を遮ぎり只涼風の腋下に生ずるを覺ゆ。

榴岡天満宮

(宮城県仙台市)

 汽車鹽竈に達す。取りあへず鹽竈神社に詣づ。數百級の石階幾千株の老杉足もとひやひやとして已に此世ならぬ心地す。神前に跪き拜し畢りて和泉三郎寄進の鐡燈籠を見る。大半は當時の物なりとぞ。鐡全く錆びて側の大木と共に七百年の昔ありありと眼に集まりたり。

      炎天や木の影ひえる石だゝみ



 社頭に立ちて見渡す鹽竈の景色山低うして海平かに家屋鱗の如く並び人馬蟻の如く往來す。鹽燒く煙かと見るは汽車汽船の出入りするなり。

鹽竈神社

(宮城県塩竈市)

 小舟をやとふて鹽竈の浦を發し松島の眞中へと漕ぎ出づ、入海大方干潟になりて鳬(かも)の白う處々に下り立ちたる山の緑に副へてたゞならず。先づ第一に見ゆる小さき島こそ籬が島にはありけれ。此の島別にさせる事もなきも其の名の聞えたるは鹽竈に近き故なるべし。波の花もて結へると詠みたるも面白し。

      涼しさのこゝを扇のかなめかな

(中 略)

船頭のいふ、松島七十餘島といひならはせども西は鹽竈より東は金華山に至る海上十八里を合せ算ふれば八百八島ありとぞ傳ふなる。見給へやかなたに頂き高く顯はれたるは金華山なり。こなたに聳えたる山巓は富山觀音なり。舳に當りたるは觀月樓、樓の右にあるは五大堂、樓の後に見ゆる杉の林は瑞岩寺なり。瑞岩寺の左に高き建築は觀瀾亭、稍々觀瀾亭に續きたるが如きは雄島なり。いざ船の着きたるにたうたう上り給へといふ。恍惚として觀月樓に上る。

      涼しさの眼にちらつくや千松島

鐘  島

松島遊覧船(宮城県宮城郡松島町)



 障子明け放ちて眺むる風光眼にも盡きねど取りあへず觀瀾亭に行く。此宿の門前數十歩の内なり。老婆出でゝ案内す。此家は伊達家の別莊にして建物は三百年の昔豐太閤が伏見桃山に築き給ひしを貞山公(政宗)に賜はり其後當家三代肯山公のこゝに移されし者なりとぞ。彫刻鈿鏤(でんる)の裝飾無しと雖も古樸にして言ふべからざる雅致あり。數百の星霜を經て毫(いさかか)も腐朽の痕を見ず、傳へいふ此建築一柱一板盡く唐木を用うと。蓋し一世の豪奢なり。襖板戸の繪は皆狩野山楽の筆とかや、疎鬆(そそう)にしてしかも濃厚の處あり。狩野家中の一派にやあらん。

 瑞巌寺に詣づ。兩側の杉林一町許り奥まりて山門あり。苔蒸し蟲蝕して猶舊觀を存す。古雅幽靜太(はなは)だ愛すべき招堤なり。門側俳句の碑林立すれども殆んど見るべきなし。唯

      春の夜の爪あがりなり瑞岩寺    乙二

の一句は古今を圧して独り卓然たるを覚ゆ。

瑞巌寺

瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)



 五大堂に詣づ。小さき嶋二つを連ねて橋を渡したるなり。橋はをさ橋とてをさの如く橋板疎らに敷きて足もと危く俯けば水を覗ふべし。

      すゞしさや嶋から嶋へ橋づたひ

 日やうやう暮れなんとす。

      松島や雄島の浦のうらめぐり

            めぐれどあかず日ぞ暮れにける

五大堂

(宮城県宮城郡松島町)



 一句二句うなり出だす間もなく月は再び隠れて此あたりの雲の中とばかりそれだに覺束なし。あはれこよひ一夜こそ松島の月を見んと來しものを

      心なき月は知らじな松島に

            こよひはかりの旅寐なりとも

 三十日雄嶋に遊ぶ。橋を渡りて細径ぐるりとまはれば石碑ひしひしと並んで木立の如し。名高き坐禅堂はこれにやと思ふに傍に恠(あや)しき家は何やらん。

      すゞしさを裸にしたり坐禅堂

雄 島

(宮城県宮城郡松島町)



 十符の菅菰の事など尋ぬるに朧気に聞き知りてはなしなどす。耳新らしき事多かり。耳新らしき事多かり。舟鹽竈に着けばこゝより徒歩にて名所を探りあるく。道の邊に少し高く松二三本老いて下に石碑あり。昔の名所圖會の繪めきたるは野田の玉川なり。傳ふらくこは眞の玉川に非ずして政宗の政略上より故(ことさ)らにこしらへし名所なりとぞ。いとをかしき模造品にはありける。

 末の松山も同じ擬名所にて横道なれば入らず。市川村に多賀城址の壺碑を見る。小き堂宇を建てて風雨を防ぎたれば格子窓より覗くに文字定かならねど流布の石摺によりて大方は兼てより知りたり。

      のぞく目に一千年の風すゞし

壺碑

(宮城県多賀城市)



 作並温泉に投宿す。家は山の底にありて翠色窓間に滴り水聲廊下に響く。絶えて世上の涼炎を知らざるものの如し。

      涼しさや行燈うつる夜の山

温泉は廊下傳ひに絶壁を下る事數百級にして漸く達すべし。浴槽の底板一枚下は即ち涼々たる渓流なり。蓋し山間の奇泉なりけらし。

      夏山を廊下づたひの温泉(いでゆ)かな

作並温泉

(宮城県仙台市)



 六日 晴。

      見し夢の名殘も涼し檐の端に

            雲吹きおこる明方の山

 九十九折なる谷道固より人の住む家も見えず往來の商人だに稀なるに十許りの女の童何處に行かんとてかはた家に歸らんとてか淋しげに麓の方へ辿り行くありけり。と見れば賤しき衣を着けたるが上に細き袴を穿ちたる其さま恰も木曾人の袴の如し。いつの代の名殘にはありけんひたすらにいとほしく覺えて

      撫し子やものなつかしき昔ぶり

 路二筋に分るゝ處即ち天童楯岡の追分なり。茶屋に腰かけて行く手の案内などを聞く。道を右にとりて觀音寺白水の諸村を過ぐ。これより路傍湯殿山の三字を刻みたる碑多し。

      (中 略)

東根を過ぎて羽州街道に出でし頃ははや夕榮(ゆうばえ)山に収まりて星光粲然たり。

      夕雲にちらりと涼し一つ星

 楯岡に一泊す。いかめしき旅店ながら鐡炮風呂の火の上に自在を懸けて大なる鑵子(かんす)をつるしたるさまなど鄙(ひな)びておもしろし。

 七日晴れて熱し。殊に前日の疲れ全く直らねば歩行困難を感ず。

      何やらの花さきにけり瓜の皮

      賤が家の物干ひくし花葵

 三里の道を半日にたどりてやうやう大石田に著きしは正午の頃なり。最上川に沿ふたる一村落にして昔より川船の出し場と見えたり。船便は朝なりといふにこゝに宿る。

      ずんずんと夏を流すや最上川

      蚊の聲にらんぷの暗きはたごかな

 八日川船にて最上川を下る。此舟米穀を積みて酒田に出だし又酒田より鹽乾魚を積み歸るなり。下る時風順なれば十八里一日に達し上る時風惡しければ五日六日をも費すといふ。 乘合ひ十餘人多くは商人にして結髪の人亦少からず。舟大石田を發すれば両岸漸く走りて杉深き木立、家たてるつゝみなど蓬窓次第に面目を改むるを見てか見ずにか乘合の話聲かしまし。

      秋立つや出羽商人のもやひ船

            草枕夢路かさねて最上川

      ゆくへもしらず秋立ちにけり

大石田

(山形県最上郡戸沢村)



 本合海を過ぎて八面山を廻る頃女三人にてあやつりたる一艘の小舟川を横ぎり来つて我舟に漕ぎつくと見れば一人の少女餅を盛りたる皿いくつとなく持ち来りて客に薦(すす)む。客辭すれば彼益々勉めてやまず。時にひなびたる歌などうたふは人をもてなすの意なるべし。餅賣り盡す頃漸くに漕ぎ去る。日暮れなんとして古口に著く。下流難所あれば夜船危しとてこゝに泊るなり。乗合四人皆旅店に投ず。むさくろしき家なり。



朝霧や船頭うたふ最上川

戸澤藩船番所(山形県最上郡戸沢村)

 九日早起舟に上る。曉霧濛々夜未だ明けず。

      すむ人のありとしられて山の上に

            朝霧ふかく殘るともしび

 古口より下十二里の間山嶮にして水急なり。雲霧繚繞(れうぜう)して翠色模糊たるのあはひあはひより落る幾條の小瀑隠現出没其数を知らず。而して小舟駛(は)する事箭(や)の如く一瞬一景備(つぶ)さに其變態を極む。曾て舟して木曾川を下る潛(ひそ)かに以て最奇景となす。然れども之を最上に比するに終に此幽邃(いうすゐ)峻奥(しゆんあう)の趣に乏しきなり。

      立ちこめて尾上もわかぬ曉の

            霧より落つる白糸の瀧

      朝霧や四十八瀧下り船



朝霧や四十八瀧下り船

草薙温泉(山形県最上郡戸沢村)



 漸くにして清川に達す。舟を捨てゝ陸に上る。河邊杉木立深うして良材に富む。此處戊辰戦争の故蹟なりと聞きて、

      蜩(ひぐらし)の二十五年も昔かな

 道々茶屋に憩ふて茶を乞ふ。茶も湯も無しといふ。風俗の質素なること知るべし。歩む事五里再び最上川を渡り、限りなき蘆原の中道辿りて酒田に達す。名物は婦女の肌理細かなる處にありといふ。夜散歩して市街を見る。紅燈緑酒客を招くの家數十戸檐(のき)をならぶ。毬燈(きうとう)高く見ゆる處にしたひ行けば、翠松館といふ。松林の間にいくつとなくさゝやかなる小屋を掛けて納涼の処とす。此處の家古風の高燈籠を點ず。



夕涼み山に茶屋あり松もあり

 十日下駄を捨てゝ草鞋を穿つ。北に向ふて行くに鳥海山正面に屹立して谷々の白雲世上の炎熱を知らぬさまなり。

      鳥海にかたまる雲や秋日和

      木槿咲く土手の人馬や酒田道

 荒瀬遊佐を過ぎ松原のはなれ家に小憩す。

      笊ふせておけば晝鳴くきりきりす

 家々の振舞水に渇を醫しながら一里餘り行けば忽然として海岸に出づ。一望豁然として心はるかに白帆と共に遊ぶ。一塊の飛島を除きては天水茫々一塵の眼をさへぎるなし。吹浦に沿ふて行く。海に立ちて馬洗ふ男肴籠重げにに提げて家に歸る女のさまなど總て天末の夕陽に映じて繪を見るが如し。

      夕されは吹く浦の沖のはてもなく

            入日にむれて白帆行くなり

      夕陽に馬洗ひけり秋の海

 行き暮れて大須郷に宿る。松の木の間の二軒家にしてあやしき賤の住居なり。樓上より見渡せば鳥海日の影を受けて東窓に當れり。

 十一日鹽越村を經。象潟は昔の姿にあらず。鹽越の松はいかゞしたりけんいたづらに過ぎて善くも究めず。金浦平澤を後にして徒歩に堪へねばしばし路傍の社殿を假りて眠る。覺めて又行くに今は苦しさに息をきらして木陰のみ戀(した)はし。

象潟

(秋田県にかほ市)



 稍々二更近き頃本庄に着けば町の入り口青樓軒をならべて幾百の顔色ありたけの媚を呈したるも飢渇と疲勞になやみて餘念なき我には唯臭骸のゐならびたる心地して格子をのぞく若人の胸の内ひたすらにうとまし。

      骸骨とわれには見えて秋の風

本荘

(秋田県由利本荘市)



 十二日朝市の中を過ぎて出で立つ。生肴焼肴野茱菓物など路のべにならべて婦人そを鬻ぐなり。

      朝市や鯛にかぶさる笹の露

      一籠のこき紫や桔梗賣



朝市や鯛にかぶさる笹の露

羽後信用金庫本店(秋田県由利本荘市)

 十四日庭前を見れば始めて蕗葉の大なるを知る。宿を出で北する事一二里邱上に登りて八郎湖を見るに四方山低う圏んで細波渺々唯寒風山の屹立するあるのみ。三ッ四ッ棹さし行く筏静かにして心遠く思ひ微かなり。

      秋高う入海晴れて鶴一羽

八郎につきて口碑あり。大蛇の名なりとぞ。引き返して秋田の旅亭に投ず。



秋高う入海晴れて鶴一羽

三倉鼻公園(秋田県南秋田郡八郎潟町)



 十七日の朝は枕上の塒(ねぐら)の中より聲高かく明けはじめぬ。半ば腕車の力を借りてひたすらに和賀川に従ふて下る。こゝより杉名畑に至る六七里の間山迫りて河急に樹緑にして水青し。風光絶佳雅趣掬すべく誠に近國無比の勝地なり。三里一直線の坦途を一走りに黒沢尻に達す。家々の檐端には皆七夕竹を立つ。此日陰暦七月六日なり。

 十八日旅宿に留まる。けふは七夕といふに風雨烈しく吹きすさみて天地惨憺たり。

 十九日曇天。小雨折り折り来る。

      秋の蠅二尺のうちを立ち去らず



灯のともる雨夜の桜しつか也

雷神社(岩手県北上市)

 午後の汽車にて水沢に赴く、當地公園は町の南端にあり。青森仙台間第一の公園なりとぞ。櫻梅桃梨雑木を栽う。夜汽車に乘りて東京に向ふ。

      背に吹くや五十四郡の秋の風



灯のともる雨夜の桜しつか也

水沢公園(岩手県奥州市)

 二十日は白河の関にて車窓より明け行く。小雨猶やまず。正午上野着。

      みちのくを出てにぎはしや江戸の秋

 わが旅中を憶ふとて

      秋やいかに五十四郡の芋の味   鳴雪

 帰庵を祝ふとて

      白河や秋をうしろに帰る人   松宇

 始めよりはてしらずの記と題す。必ずしも海に入り天に昇る覺期なも非ず。三十日の旅路恙(つつが)なく八郎潟を果として歸る目あては終に東都の一草庵をはなれず。人生は固よりはてしらずなる世の中にはてしらずの記を作りて今は其はてを告ぐ。はてありとて喜ぶべきにもあらず。はてしらずとて悲むべきにもあらず。無窮時の間に暫らく我一生を限り我一生の間に暫らく此一紀行を限り冠(かうむ)らすにはてしらずの名を以てす。はてしらずの記こゝに盡きたりとも誰れか我旅の果を知る者あらんや。

      秋風や旅の浮世の果知らず

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