下 町墨田区
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長命寺〜芭蕉雪見の句碑〜

白髭橋から隅田川沿いを歩いて、長命寺へ。


遍照院と号す。天台宗東叡山に属せり。本尊は等身の釈迦如来、脇士は文殊・普賢・般若・十六善神等の像を安ず。

牛島弁財天(同じ堂内に安ず。伝教大師の作なり。)長命水(同じ堂の後ろの方にあり、一に般若水と云ふ。)延寿の椎(堂前にあり。寺の号(な)に因りて名づくるとなり。)

当寺昔はいさゝかの庵室なりしが、寛永年間大樹御遊猟の砌(みぎり)、少く御不予にあらせられしかば、この寺内に休はせたまひ、庭前の井の水をもて御薬を服し給ひしに、須臾にして常にならせ給ひしより、この井に長命水の号(な)を賜はり、寺の号(な)をも改むべき旨台命あり。爾来(しかりしより)長命寺と称す。(昔は常泉寺と云ひしなり。)殊更当寺は雪の名所(なところ)にして、前に隅田河の流をうけて、風色たらずといふことなし。


隅田川七福神コース案内板があった。

長命寺弁財天

 当寺の寺号の由来については、有名な故事がある。その昔、三代将軍家光が墨水沿岸で鷹狩を行った際、急に病を催し、止むを得ずこの寺で休息することになった。そして境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち快癒したので、家光は霊験に感じ、長命水の名を捧げた。以後、長命寺と改めたのである。

 隅田川七福神は多聞寺(毘沙門天)、白鬚神社(寿老神)、百花園(福禄寿)、長命寺(弁財天)、弘福寺(布袋尊)、三囲神社(恵比寿、大国神)の6箇所。

宝寿山長命寺


天台宗の寺院である。

長命寺には「芭蕉雪見の句碑」がある。

芭蕉雪見の句碑


いさゝらは雪見にころふ所まて

 文化7年(1806年)3月28日、小林一茶は流山に行く途中で長命寺に詣でた。

 下総に杖促さんとする折から、春の名残棄てがたく、三囲りの堤にかゝりて、そこの宝寿山長命寺に参る。

『七番日記』(文化7年3月)

長命寺に春秋庵梅笠の墓がある。

 明治21年(1888年)7月、正岡子規は長命寺境内の桜餅屋月光楼に仮寓、『七草集』を執筆。

 明治二十一年の夏、若き日の正岡子規がこのさくら餅屋の二階に下宿していて、娘のお六さんと恋愛をしたという物語が残っている。子規が藤野古白、三並良と下宿したことは事実で、お六さんはどこという欠点のない顔で、色の黒いのが江戸っ子らしく粋な感じだったと碧梧桐が書いているから、これも事実だが、恋愛物語はひやかし半分だろう。

   水無月の余花をたづねて桜餅   子規

   葉かくれに小さし夏の桜餅     同


 9月24日、子規は月光楼を引き払い、本郷真砂町18番地の常磐会という寄宿舎に移る。

   長命寺

皀莢(さいかち)の風にからめく月夜哉

『寒山落木』(明治二十五年 秋)

   長命寺

葉かくれに小さし夏の櫻餅

『俳句稿』(明治三十一年 夏)

   向島

水無月の余花を尋ねて桜餅

[明治31年俳句未定稿]

長命寺に木の実ナナの詩が書いてあった。


風のように踊り
花のように恋し
水のように流れる

隅田川のほとり 向島に生まれ
長命寺さんでバレエを習った子供時代
大好きな私のふるさとに感謝をこめて

平成15年(2003年)2月吉日 植樹

植樹の記念碑だった。

紅梅が咲いていた。


三囲神社へ。

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