正岡子規


『俳句稿』

高浜虚子『子規句解』

『子規全集』(第三巻)

『俳句稿』

   (明治三十年 新年)

   「ほとゝぎす」發刊

新年や鶯鳴いてほとゝぎす

   (明治三十年 春)

長安の市に日永し賣卜者

春風の女凌雲閣に上る

鶯の籠をかけたり上根岸

寺町の鶯鳴くや垣つたひ

根岸行けば鶯なくや垣の内

信濃路や宿借る家の蚕棚

東門を出づれば野邊の菫哉

   (明治三十年 夏)

   送秋山真之米國行

君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く

   立花天神祭禮

薫風や大文字を吹く神の杜

   根岸名所ノ内

下駄洗ふ音無川や五月晴

   根岸名所の内

青田にいです御行の松を見て返る

   (明治三十年 秋)

   根岸名所ノ内

芋阪の團子屋寐たりけふの月

芋阪に芋を賣らず團子倍る小店

蕣に朝商ひす篠の雪

   (明治三十年 冬)

   王 子

追々に狐集まる除夜の鐘

   碧梧桐天然痘にかゝりて入院せるに遣す

寒からう痒からう人に逢ひたからう

   草 庵

冬さびぬ藏澤の竹明月の書

   碧梧桐碧梧桐天然痘にかゝりし由聞て

もの神の火鉢の上にあらはれし

乾鮭や市に隠れて貧に處す

鷹据て人憩ひ居る野茶屋哉

獻上や五十三次鷹の旅

   (明治三十一年 春)

魚市に魚の小さき餘寒かな

糸のべて凧の尾垂るゝ水田哉

東門を出づれば野邊の菫かな

   (明治三十一年 夏)

   中禪寺

月に水涼しき夕神あらん

   向 島

涼しさや川を隔つる灯は待乳

   兩 國

鷺の立つ中洲の草や川涼し

   長命寺

葉かくれに小さし夏の櫻餅

   新内閣

號外や晝寐の夢を驚かす

晝寐する人も見えけり須磨の里

文机に顔押しつけて晝寐哉

   兩 國

贅澤な人の涼みや柳橋

夏山や四十五番は岩屋寺

   上野を過て

五年見ぬ山の茂りや兩大師

夏草やベースボールの人遠し

   (明治三十一年 秋)

秋昔三十年の團子店

火や鉦や遠里小野の虫送

名物や月の根岸の串團子

入谷から出る朝顔の車哉

   (明治三十一年 冬)

土凍てゝ南天に實のこぼれけり

   鳴雪翁を懷ふ

侃々も諤々も聞かず冬籠

人丸は烏帽子芭蕉は頭巾にて

辨慶は其頭巾こそ兜なれ

   新聞ノ一

筆に聲あり霰の竹を打つ如し

聖堂やひつそりとして鷦鷯

   (明治三十二年 春)

亡き妻のまほろし見たり春の宵

善き妻の春の社に詣でけり

江の島へ女の旅や春の風

古池に蛙とびこむ俳画哉

   不 忍

辨天の樓門赤き櫻哉

   上 野

銅像に集まる人や花の山

   (明治三十二年 夏)

夏羽織露月は醫者になりにけり

夏羽織琵琶湖の風に吹かれけり

雲の峯水なき川を渡りけり

薫風や松島の記をひるがへす

   (明治三十二年 秋)

馬叱る新酒の醉や頬冠

柁取に海の名問ふや星月夜

鶏頭の皆倒れたる野分哉

蓑蠹のなくや芭蕉の塚の木に

鰯網鰯の中の小鯛哉

鶺鴒や池の汀の芭蕉塚

   百花園

入口に七草植ゑぬ花屋敷

   團子阪

菊園に天長節の國旗哉

萩を題に歌つくらしむ萩の宿

新米を河の東に運びけり

秋の蚊や秋海棠を鳴いて出る

   (明治三十二年 冬)

松山の城を見おろす寒哉

雜閙や熊手押あふ酉の市

松島や小き島の松に雪

ガラス越に冬の日あたる病間哉

   (明治三十三年 春)

春の日や根岸の店の赤團子

   (明治三十三年 夏)

和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男

行水や美人住みける裏長屋

夕立や蛙の面に三粒程

夏山や水に乏しき峠茶屋

滿園の緑や薔薇二三輪

薔薇の香の紛々として眠られず

しなびたる茄子まづしき八百屋哉

   承 久

院宣や夏草夏木振ひ立ち

   (明治三十三年 秋)

冬近く今年は髯を蓄へし

蕈狩や淺き山々女連

   (明治三十三年 冬)

髯のある雜兵ともや冬の陣

芭蕉忌や我俳諧の奈良茶飯

肺を病んで讀書に耽る冬籠

故郷に肺を養ふ冬こもり

落柿舎の日記に句あり鉢叩

十年の苦學毛の無き毛布哉

風呂吹や蕪村百十八回忌

[俳句稿以後]

   (明治三十四年 春)

氷解けて水の流るゝ音すなり

旅鴉歸る處もなかりけり

燕や根岸の町を幾曲り

田螺取りて田螺賣るなり家もなし

磊々として田螺落々として燒豆腐

   蛇出穴

蛇穴を出る野に遺賢なかりけり

蛇穴を出て三分の天下かな

神いまだ穴を出でざる白蛇かな

   (明治三十四年 夏)

短夜の明けて論語を讀む子かな

   五月雨

五月雨や上野の山も見あきたり

夏山を出て善光寺平かな

夏山を上り下りの七湯かな

   謡曲熊坂

盗人の晝も出るてふ夏野かな

   蛇の衣

蛇のから何を力に抜け出でし

五月雨や疊に上る青蛙

鮎のをらぬ上總の國や鰌汁

百姓の年々つくるけしの花

我庭にはじめて咲ける牡丹かな

正岡子規に戻る