此処より北北東75m 石崎汽船(株)ビル眞裏 |
其戎宗匠は子規の俳諧の師で俳誌『真砂の志良辺』を発行した。子規は極堂とともに明治20年夏ここに訪問し教を受けた。 |
花之本大神 |
||||||||
敬へはなほもたゝしや花明り | 大原其戎 |
花の本大神とは、芭蕉を敬い讃えたことばで、其戎の高弟森連甫がこの芭蕉塚の由来を記している。 |
芭蕉翁塚(あら株塚) |
|||
しくるゝや田のあら株のくろむほと | 松尾芭蕉 |
この芭蕉翁塚は「あら株塚」とよばれ、この句は、元禄3年(1689年)頃の芭蕉の作で「旧里の道すがら」の前書きがある。万延元年(1860年)大原其戎が大可賀小松原に建立したもの。 この2基はもと恵美須神社(美穂神社)に建立されていたもの。
松山市教育委員会
俳句の里 城北コースE |
三津浜埠頭にそびえる洋風の巨閣 このビルを手掛けた木子七郎の作品には、「愛媛県庁舎」や「萬翠荘」などがあります。このビルは鉄筋コンクリート造り地下1階地上2階建て一部3階建て、屋上も造られました。大正13年11月、新社屋の上棟式がバルコニーで挙行され、600人群衆が詰めかけました。時に石崎汽船の初代社長、石崎兵太郎64歳でした。経営的苦難を乗り越えた兵太郎にとって、感慨無量の心地であったことでしょう。 |