高浜虚子の句

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大正2年

次に来た題は法要であつた。余は何故に法要といふ題を出したか
といふに、此日は東慶寺の敬俊和尚も見える筈であつたのが、法
要の為に差支へて来られないといふ事を拙童和尚が話されたのに
因つたのである。

やがて出来たのが斯ういふ句であつた。

 三世の佛皆座にあれば寒からず

法事の時僧の読む経文に、先づ三世の諸佛を座に勧請することが
あるかと思ふ。されば位牌の前には寒き香煙が立ち騰つていても、
三世の諸佛が皆座に在ることゝ思へば寒くもない、といふのであ
る。

 春風や闘志いだきて丘に立つ

十月一日。午前八時鎌倉発。上野停車場に水巴あり、十時半共に
乗車。

 此旅の序や秋の善光寺

この日、磯部温泉林屋泊。

 この村や妙義の麓桑の秋

十月二日。碓氷峠

 紅葉客熊の平にどかと下りぬ

十月五日。善光寺参拝。柏原に一茶の遺跡を弔す。

 人空し今年の米の出来悪し

 此秋風のもて来る雪を思ひけり

野尻湖

 秋風に燒けたる町や湖のほとり

 湖畔茶屋の郵便函や薄紅葉

十月八日。出雲崎に向ふ。途中弥彦神社参拝。

 秋も仮の御宮柱縄墨の跡

 秋雨を降らすこともこの神慮(かみごゝろ)

此夜、出雲崎佐藤耐雪庵泊。

十月十九日。松任駅、悲無和尚の明達寺に一泊。大阪の蜂屋和尚
の偶々同寺に在るに会し其袈裟に句を題す。

徳川慶喜公薨去

 鐘冴ゆる第六天をもどりけり

大正3年

一月十一日。風早、西ノ下に行く。今は畑になつている旧居の跡
を訪ふ。大師堂に廻り夕帰松。それより清楽館に赴き当地の古い
俳人達と会合。集る者、極堂、為山、叟柳、狸伴、霽月、盲天外、
猿人、淡紅、竒峰、日出子等。

 どび六を以て会名とするいかならん

一月十二日。正午、東雲神社社務所にて囃子会。夜、松山公会堂
に俳句会。会するもの、蟠松、快風、青紅、鳴石、佛骨、頬矮人、
朱燐洞、淡紅、流翠、助二郎、日出子、矮松、孤幽、欠法師、杏平。

 我を迎ふ旧山河雪を装へり

終りに垂んとする頃春の雨到る。乃ち晴れ間を待つべく三十分間
を限り春雨十句を作る。

 春雨や少しもえたる手提灯

 温泉を出でゝ戻る跣足や春の雨

 春雨や借りて戻りし女傘

 泥にひく鶏の長尾や春の雨

大正4年

二月八日。長塚節逝く。

「大同江図舫の事」「女流十句集に就て」「銘酒小鼓の事」を『ホ
トトギス六月号に。ホトトギス発行所にて泊雲醸造の銘酒「小鼓」
を取り次ぐ。

九日。早朝大原に下る。京都三條小橋の万屋泊。此夜、大和郡山
の原田濱人来訪し、鱸江、秋蒼等も来会し、通草(あけび)十句を作る。

 湖の見えずなりたる通草かな

 烏飛んでそこに通草のありにけり

 通草さげて下り来る人に又遇ひぬ

二十一日。眞砂子を伴ひ、宇治を経て奈良に向ふ。猿沢池畔の宿
に投ず。浜人来訪。鹿十句を作る。

 鶏の如く鹿遊びけり三笠山

 鹿を恐れて逃げる人あり秋日和

禅寺洞頓に進境あり

 霜の声いづくともなく聞えけり

大正5年

十月三日発、長兄病気重しと聞き松山に帰省。同月十四日、逝く。
在松、「老い朽ち行く感」執筆中、兄の容体急変を知らせ来りた
る為め、東雲神社に時の太鼓を打つ所にて擱筆。

 秋山裾に時の太鼓を打つ社

大正6年

二月二日。下関著。山陽ホテル泊。

翌三日。同地俳句会。「三日会」と名づく。会者門司の無何有、
衣沙桜、下関の杏沖、枯木、伸堂、指月城、潮東、飛雨、紫峯、
皐鶏の諸君。この日はじめて河豚料理に接す。大雪。

 壇の浦を見にもゆかずに河豚をくふ

関門

 雪の屋根の上に船行く景色かな

四月二十二日。晴。鳴雪古稀祝賀春季吟行。朝、浅草駅発。別 一行は昨二十一日午後より先行。羽生までの車中。

 蒜の小さき坊主や春寒し

 春水や矗々(ちくちく)として菖蒲の芽

七月二十八日。晴子発病。疫痢ときまつて二十九日鎌倉病院に入
院。三十日友次郎、立子病気、後宵子も病気、日夜看護。為に静
岡の俳句会へも出席出来ず、止むなく延期。

九月。鎌倉大町より原の台へ移転。現在に至る。

同十五日――兄の法事を済ませた翌日――風早柳原に向ふ。雨。
川一つ隔てたる西ノ下は余が一歳より八歳迄郷居せし地なり。家
空しく大川の堤の大師堂のみ存す。其堂の傍に老松あり。

 此松の下に佇めば露の我

翌十六日。鹿島に遊ぶ。何十年振りなり。

 鹿を見ても恐ろしかりし昔かな

 鹿の舌秋草の上に赤く動く

同十七日。紅丸にて九州に向ふ。翌朝別府上陸、小倉を経て二日
市に到る。太宰府参拝。

同夜都府楼址に佇む。

懐古。

 天の川の下に天智天皇と臣虚子と

同夜観世音寺に詣づ。

 秋の灯に照らし出す佛皆観世音

二十四日。郡山へ行く。雨。

 秋雨や汽車奈良を過ぎて郡山

濱人居を訪ふ

 客を喜びて柱に登る子秋の雨

同夜。同地「みつやま」発行所一坡庵にて句会。会者二十七人。
櫻坡子、鹿眠、哀角、青畝、稲翠、琴翠、青岳、濱人、撫子、月甫、
渓月等。

 秋雨や車無ければ歩くまで

大正7年

二月。流行性感冒にかゝる。

四月二十七日。午後四時十八分上野発印旛沼吟行。六時十八分、
安食著。安食より舟にて月の利根川を下る。九時竜台橋本楼著。
俳句会。俳話、泊。

会者、大口魚、草時雨、静水、亜石、今更、夜牛、霜山、泊雲、清児
梧桐、京魚、蕪子、的浦、としを、落魄居、一二、勇、一水、其
他利根吟社同人合せて八十余名。

 水温む利根の堤や吹くは北

大正8年

長男年尾、小樽高商入学。

九月二十一日。帝大俳句会。湯島魚十。酒井黙禅君医学博士の学
位を得たる祝賀記念会。会者、漆峰、零余子、みづほ、文鳥、一瓦、
蕪子、霜山、啓三、竹路等。

 我庭の空うれしさや蜻蛉見る

十一月三日。北海道旅行の為出発。五日朝小樽著。同夜小樽高商
俳句会。正法寺。会者、国松、占部、石橋の三教授他学生二十名。

 雪空にいつしか月の見えて暈

 雪空を支へて菊の蔽いかな

 倉卒に来て札幌の冬木かな

十二月末。京都奈良急行。
奈良薬師寺

 塔の上に昼の月ある時雨かな

大正9年

一月二十二日夜半、小樽にある年尾、丹毒の為発熱四十一度、小
樽病院入院。余二十三日発、二十五日朝著。雪。漸次良。

一月二十九日。年尾やゝ落著く。「うれしの」にて小集句会。会者、
蛇々郎、皎雪、花明、鱗村、地蔵尊等。

 追分を聞いて冬海を明日渡る

三十日夜発。三十一日払暁函館通過、船に乗り、はじめて打晴れ
駒ケ嶽を見る。

 冬帝先づ日をなげかけて駒ケ嶽

二月八日。例会。発行所。会者九人。石鼎、一水、宵曲、温亭、楽天、
たけし、閑人、零余子。

 弯を抱く雪の山々は北海道

三月五日。酒井黙禅君松山赤十字病院長として赴任。送別句会。
向島喜多家。会者、みづほ、零余子、美代治、河骨、艸宇、楽堂、
閑山寺、草崖、兆太、清芳、瓢石等。

 腐れ水椿落つれば窪むなり

 東風の船博士をのせて高浜へ

血の池地獄

 湯煙の消えてほのかや合歓の花

海地獄

 湯煙に人現るゝ時萱草も

帰路宇佐八幡参詣。それより日出の宇佐美藤泉居を訪ふ。
藤泉居。二句。

 庭の面船虫蟻の如きかな

 籐椅子に高崎山の影や来し

夜陰を突いて別府に帰る。日名子旅館泊。

大正11年

三月十五日発、九州行。島村元同行。途中京都駅下車。駅には白川、
王城、紫雲郎、泊月、野風呂、雨城、播水の出迎を受け、駅の二
階の食堂に上つて共に晩餐。冷泉広道白川畔の白川邸に至り泊。

 春月や南下りに東山

三月十六日。泊月来り、白川、元と四人、若王子を過ぎて銀閣寺
に至る。王城遅れて至る。

午後二時三十七分京都発、西下、岡山下車。錦園泊。

三月十七日。岡山後楽園を見、午前十一時十五分発西下。

午後八時五十分下関著。指月城、方舟、竹紫郎、鹿郎等の迎へを
受け山陽ホテルに至り談。泊。

三月十八日。白川来著。午後三時四十五分門司へ向ふ。

福岡の禅寺洞来る。鹿郎の案内にて共に商船会社の小蒸気に乗じ
小門の春潮に浮ぶ。門司基督教青年会館に於て俳句会。杉田久女、
峰青嵐来会。

三月二十日。未明春雷はためく。五六句成つて皆忘る。市内見物。
先づ田中彦影の病院に赴き、導かれて天主堂を見、それより氷見
夏汀を訪ふ。カルゝス皆花園にて午餐、終つて丸山、花月に行く。
山陽、去来の書、鶴の枕を見る。夜は商業会議所に於て俳句会。
会者一七名。王春、紅々の名も見ゆ。

春の灯。五句中。

 春の灯をおつかぶさりてともしけり

 暁の春の御あかし消えんとす

散会後、江藤茨花君の案内にて高島秋帆の別業、丸山の「たつみ」
へ赴く。辞したのは深更一時半。

三月二十一日。午前八時十分発、温泉岳に向ふ。小浜を経て九州
ホテル
著。ゴルフ場を見、妙見嶽の霧氷を遠望す。

三月二十三日。午前十時発、木場急坂を取つて下る。十二時廿分
諫早駅発にて福岡に向ふ。四時半福岡著。禅寺洞禅寺洞、拐童、素風郎、
正蟀、四翠、千葉城等の迎へを受け東中洲町水野旅館に至る。烈風。

三月二十四日。寒し。春雪至る。久保邸の午餐に招かれ、竹下し
づの女とも会す。午後学士会館に於ける福日俳句会。会者百余名。

兼題「朧」席題「春雷」の中。

 春雷や小寒くなりし絹衾

 春雷の鳴り過ぐるなり湾の上

 朧夜の石敷きつめし狭斜の地

六時の汽車にて小倉に向ふ。元先発して清末に行く。八時過ぎ小
倉著。久女、凡城等」の迎へを受け魚町の「みかど」旅館に至る。
曽田公孫樹あり。座談。泊。

五時半門司に至る。鹿郎、竹紫郎、方舟等に迎へられ、大門を過
ぎて下関に渡る。

 春の潮先帝祭も近づきぬ

一先づ山陽ホテルに入り、七時十分の特急に乗り東上、島村元、
清末に留つて静養。

三月二十六日。朝、神戸下車。躑躅、浅茅楼、あきら、朝暮、徒
然、秋皎、竹の春等に迎へられ躑躅居に至る。それより須磨鉄枴
山麓の金子せん女宅を訪ふ。須磨の海眼下に拡り鉢伏山頭上に在
り。正午から板宿の禅昌寺に於て俳句会。会者約百名。

兼題「春風」のうち。

 ひろびろと丘の道なり春の風

八時兵庫の音羽花壇に至り会食。十時半再び一の谷の金子邸に向
ふ。躑躅同泊。

三月二十七日。朝。床中。

 鉢伏に雲のかゝれば春の雨

 浪荒るゝ日ものどかなり松の宿

起きれば好天、一面の霞。

 須磨の海霞んで見えぬ朝かな

天龍寺の庭を見、修竹林の間を過ぎて野々宮の旧跡を弔ひ、落柿
舎を訪ねて去来の墓を弔ひ、二尊院の前を過ぎて祇王寺を訪ふ。

 木像に若き面ざし冬日影

 柚子一つ供へて寒し像の前

 祇王寺の冬日の障子顧る

それから山伝ひに二尊院の境内に出る。

 散り紅葉こゝも掃き居る二尊院

大正12年

六月二十八日。富安風生渡欧送別東大俳句会。発行所。会者、泊
雲、たけし、貫峰、紫雲郎、誓子、坤者、筍孫、未知、菫、刀葉、
秋櫻子等。

 日覆に松の落葉の生れけり

 日覆の松の落葉を仰ぎけり

十月二十九日。五時過宇野線に乘り換へ、連絡船で八時頃高松著。
入江、春雷、婆羅、公羽等に迎へられ、春雷居に至り一睡。それ
より栗林公園に行き、中野營三君を訪ね、電車で屋島に赴く。途中。

 今年は柿の不作のこゝまでも

駕籠に乘つて屋島に登る。

 駕籠屋呼ぶ太鼓叩くや草紅葉

大正13年

八月十八日。みさ子一年忌追悼句会。会者、鳴雪、かな女等。

 二つ三つ萩咲きそめし忌日かな

 掃かれたる庭清らかや雨の萩

 萩の縁おもひおもひに坐りたる

九月十一日。早起信濃川畔漫歩。露深し。

 岸に積む荷物も船も露の朝

 岸に積む材木露の流れけり

萬代橋を渡り見る。

 千二百七十歩なり露の橋

橋上に信濃川展望。

 船稀に秋の大河の流れけり

九月十六日。暑し。朝八時、勝山を出て逆行富山に向ふ。高田よ
り山口花笠と同行。其月等と句会。

 蜻蛉のさらさら流れ止まらず

大正14年

四月二十五日。二女立子、星野吉人に嫁す。

 ぼうたんや神二柱影さして

五月十七日。大阪毎日俳句大会。出句者二千八百四十六人。来会
者、石鼎、虚吼、泊雲、泊月、躑躅、王城、梅史、秋皎、若沙、
青畝、あきら、和香女等九州、四国、中国、名古屋等よりも来集、
約八百人。

 雨風に任せて悼む牡丹かな

 白牡丹いづくの紅のうつりたる

 白牡丹といふといへども紅ほのか

五月十九日。早朝大阪を出て午後三時高松著。春雷居に入る。
林公園
掬月亭に於て俳句会。会者、婆羅、春雷、岐陽史、公羽等
四十名。

 白扇の愈々白し夕間暮

五月二十日。午後二時二十分高松発、三時十分観音寺著。竹の谷
より琴弾山に登り一夜庵にて小集。会者、公羽、春雷、婆羅、鴎汀、
舟居、華石、ひろし等十七名。

 宗鑑の墓に花無き涼しさよ

 此屋根の葺き下ろされて涼しさよ

七月五日。浜松昿野社よりの招請によつて浜名湖上弁天島の子規
句碑除幕式に臨む。式後、午後二時、楽園と称する掛茶屋にて俳
句会。会者、雪腸、公羽、艸央、磊石、歌客等五十名。

大正15年

 旅にある子に幸あれやお元日

 一年の又はじまりし何や彼や

 浪音の由比ケ浜より初電車

二月二十日。内藤鳴雪逝く。一夜お通夜をするとて、飄亭、肋骨、
笑門、碧梧桐、鼠骨はじめ多くの人人の集ひたる時、いづれも老
いたる中に、笑門の殊に白髪なるに驚く、

 各々の鬢霜の置く春寒し

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