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吉岡禅寺洞ゆかりの地

 明治22年(1889年)7月2日 福岡県福岡市箱崎に父真道 母ヤスの長男として生まれる。本名は善次郎。

 大正6年(1917年)、吉岡禅寺洞は清原枴童と共に高浜虚子を福岡に招き太宰府に同道。

 大正7年(1918年)6月、富安風生は福岡貯金支局長として赴任。吉岡禅寺洞に俳句の手引きを受ける。

 大正7年(1918年)7月、清原枴童らと「天の川」を創刊、のち主宰。横山白虹が編集を担当。

 大正11年(1922年)3月15日、高浜虚子は九州に向け出発。17日、下関着。禅寺洞は下関まで出迎えた。19日、虚子は下関から長崎に向う。禅寺洞は福岡まで同行。

 昭和2年(1927年)、吉岡禅寺洞は九州俳壇で初めて「ホトトギス」同人になる。

 昭和8年(1936年)、「ホトトギス」を除名。

 昭和25年(1950年)11月27日、虚子に禅寺洞から干鯊が送られて来た。

 昭和33年(1958年)、「口語俳句協会」を結成する。

 昭和36年(1961年)3月17日、死去。享年73歳。

 昭和42年(1967年)1月、出水市の鶴観察センターに句碑を建立。

 昭和42年(1967年)3月17日、福岡市今泉公園に句碑を設置。

新樹の冷えにいますが如く障子しまる

功山寺(山口県下関市)

一光寺

(福岡県福岡市)

こがねむしが眠っている雲たちはパントマイム

今泉公園(福岡県福岡市)

土古く渡来の鶴を歩かしむ

鶴観察センター(鹿児島県出水市)

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