2019奈 良

薬師寺〜碑巡り〜
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平城宮跡から秋篠川沿いの自転車道を走って、薬師寺(HP)へ。

北 門


 天武天皇9年(680年)、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気快復を祈り発願(ほつがん)された寺。

法相宗大本山の寺である。

拝観券は1,100円。

大講堂


大正8年(1919年)12月、高浜虚子は薬師寺を訪れている。

十二月末。京都奈良急行。
奈良薬師寺。

 塔の上に昼の月ある時雨かな


會津八一の歌碑


すいゑんの
   あまつをとめか
   ころもての
ひまにもすめる
   あきのそらかな

佐佐木信綱の歌碑


逝く秋の
   やまとの國の
   薬師寺の
塔のうへなる
   一ひらの雲

ともに東塔を詠んだ歌であるが、東塔は現在解体修理中。

令和2年(2020年)4月、落慶法要。

西 塔


西塔縁起

 塔はインドの古いことばでストゥーパといい、本来釋尊の舎利(御遺骨)を祀る墓を示した。中国ではそれが卒塔婆と音訳され、やがて日本にも「卒塔婆」として伝来した。その後一般には墓標を「塔婆」と呼び慣わし、寺では塔とのみ呼称するようになった。

 白鳳時代に薬師寺が日本で初めて2基の搭を相対し配置する伽藍様式にて建立した。以後この様式を「薬師寺式伽藍配置」と呼称するようになった。

 西塔は享禄元年(1528年)、金堂・講堂・中門等とともに兵火によって焼亡し、以来数百年にわたり礎石のみが虚しく往古の壮美を偲ばせる有様であった。近年に至り般若心経の百万巻写経勧進に呼応して、全国より寄せられた佛心がここに凝集され、昭和56年遂に白鳳時代さながらの塔が復元された。

 西塔建築は塔高36米、総桧造りで、東塔の綿密な調査と古記録の研究に基づいた設計による完全復元であって、東塔に並ぶ美しい諧調に加えて、鮮やかな丹青が施されている。塔の心礎には平山画伯の将来された佛舎利が奉安されている。

 創建時は内陣に釋尊のご生涯(仏伝)の内、後半生果相(成道・転法輪・涅槃・分舎利)を表す涅槃群が祀られていたが、搭と共に焼失した。

 平成27年、彫刻家中村晋也氏が、往時の仏伝を金銅製によって、現代に蘇らせた。

昭和35年(1960年)、山口誓子は薬師寺を訪れている。

   藥師寺

塔の巣の羽落ち落ちて地に達す

直立塔そこに雀の親の聲

近づくにつれ塔重き春の暮

『青銅』

金 堂


本尊は薬師如来。

昭和51年(1976年)、落慶。

東院堂


国宝だそうだ。

薬師寺本坊前に前川佐美雄の歌碑があった。


送りくる
法師が
照らす灯あかりに
茎青かりき
夜の曼珠沙華

明治36年(1903年)2月5日、前川佐美雄は奈良県に生まれる。

大正10年(1921年)、「心の花」に入り、佐佐木信綱に師事。

平成2年(1990年)7月15日、87歳で死去。

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