旅のあれこれ文 学


酒井黙禅ゆかりの地

本名和太郎。長谷川零余子、のち高浜虚子に師事。

 明治16年(1883年)3月15日、福岡県八女郡田村(現:筑後市)に生まれる。

 大正9年(1920年)3月、松山赤十字病院院長に赴任。

三月五日。酒井黙禅君松山赤十字病院長として赴任。送別句会。
向島喜多家。会者、みづほ、零余子、美代治、河骨、艸宇、楽堂、
閑山寺、草崖、兆太、清芳、瓢石等。

 腐れ水椿落つれば窪むなり

 東風の船博士をのせて高浜へ


 昭和5年(1930年)10月25日、高浜虚子は酒井黙禅に今治まで送られ、西ノ下大師堂の句碑を通り過ぎた。

 昭和10年(1935年)4月25日、高浜虚子は酒井黙禅邸で松山ホトトギス会。

四月二十五日。風早西の下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊予松山、
黙禅邸、松山ホトトギス会。

 ぼうたんを褒めて鹿島にわたりけり

 重き荷を負うて遍路のかゞみ行く

 鹿の峰の狭き縄手や遍路行く

 道のべに阿波の遍路の墓あはれ

 島々に取り囲まれて春の海


 昭和11年(1936年)2月21日、高浜虚子は門司着。下関に渡り長府へ行く。酒井黙禅同行。

午後二時私達は船を辭し下ノ關へ渡つた。其處には丁度方舟氏が何時の間にか先生一行と共に一臺の遊覧バスに乘込んで居るのであつた。招かれるまゝに吾等も之に便乘して沿道の風光をめでつゝ長府行の人なつた。

酒井黙禅「箱根丸門司出帆前日小記」

 昭和21年(1946年)10月1日、『柿』創刊、主宰。

この「柿」を子規霊前に供ふべし   虚子
柿好きの仏にさゝく俳誌柿      極堂
糸瓜忌や「柿」とりに来し活版屋   黙禅

『柿』創刊号

 昭和21年(1946年)11月11日、高浜虚子は星野立子と酒井黙禅を訪ねる。

 昭和22年(1947年)4月13日、「愛媛ホトトギス会」発会。会長酒井黙禅。

 昭和27年(1952年)、西条市の西山興隆寺に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和28年(1953年)5月、松山市の岩堰に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和30年(1955年)、『道後温泉話題』自費出版。

 昭和33年(1958年)、第十三代松山ロータリークラブ会長。

 昭和35年(1960年)5月、新居浜市の一宮神社に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和35年(1960年)7月17日、新居浜市の神野豊氏宅に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和41年(1966年)5月、新居浜市の新田自治会館に酒井黙禅の句碑を建立。

昭和47年(1972年)1月8日、88歳で没。

   同日 一月八日 酒井黙禅逝去 追悼す

東風吹くを待たざりしこと悔まるゝ


 昭和47年(1972年)3月15日、松山市の松山神社に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和49年(1974年)1月、松山市の宝厳寺に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和62年(1987年)7月、松山市の萬翠荘に酒井黙禅の句碑を建立。

 昭和63年(1988年)、新居浜市の宗像神社に酒井黙禅の句碑を建立。

俳諧を育てて東風乃館か那

若宮神社(愛媛県新居浜市)

白百合や一辨刎てまだ蕾

神野氏宅(愛媛県新居浜市)

文机や宗像神社冬ぬくき

宗像神社(愛媛県新居浜市)

百千鳥江湖に名有る樟乃宮

一宮神社(愛媛県新居浜市)

伊予路なる殿下に言上花の窓

合田氏宅(愛媛県新居浜市)

石鎚も象頭も見えて五月晴

西山興隆寺(愛媛県西条市)

鮎寄せの堰音涼し寶川

岩 堰(愛媛県松山市)

子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋

宝厳寺(愛媛県松山市)

月盈虧田高の庵の眺めかな


神木唐楓さ庭に風媒畏しや


東風の船高濱に着き五十春


松山神社(愛媛県松山市)

春風や博愛乃道一筋仁

松山赤十字病院(愛媛県松山市)

紅梅や舎人が者こぶ茶一服

萬翠荘(愛媛県松山市)

梅が香やおまへとあしの子規真之

秋山兄弟の銅像(愛媛県松山市)

時鳥聞く戸じまりの無かりけり

松屋旅館(愛媛県西予市)

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