高浜虚子の句

『年代順虚子俳句全集』@ ・ A ・ B

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明治25年

四月。松山尋常中学校卒業。

九月。京都第三高等中学校に入学。

十一月。子規、『日本新聞』入社。家族を迎へる為め西下の途次、
共に嵐山に遊び大堰に舟を浮ぶ。愚庵子を東山の草庵に訪ふ。

明治26年

明治二十六年一月。子規に示したる句のうち。

 餅もすき酒もすきなりけさの春

 月の夜に笠きて出たり鉢叩

明治27年

六月、木曾路を経て京都に帰る。「木曽路の記」

明治28年

三月。子規、従軍記者として広島に向ひ、翌月、金州、旅順に至る。

五月、子規、帰還船中喀血、神戸病院に入る。余、時に京都にあり、
行きて看護す。河東碧、子規の母堂を伴ひ東京より来着。

六月、子規を送つて須磨保養院に至る。暫く滞在。

 海を見つ松の落葉の欄に倚る

 夕立やぬれて戻りて欄に倚る

子規子に別る

 常磐木の落葉ふみうき別れかな

松山長建寺

 捕虜(とりこ)居る御寺の桜咲きにけり

叡山にて

 王城を鎮守の寺の梅遅し

明治29年

村上霽月を訪ふ

 元朝や社に隣る門構

 初烏廓の夜明もたゞならず

 お飾の橙青し貧の家

漱石に別る

 春雨に傘を借りたる別れかな

宮島 三句

 春の浜石灯籠の並びけり

 春の山筧に添ふて登りけり

 回廊も鳥居も春の潮かな

東野

 春の水竹のお茶屋と申しけり

 百船に灯る春の港かな

 宝塔に鈬落ちて響く春の庭

 灯台に灯して春の海暮れたり

 音たてゝ春の潮の流れけり

音戸瀬戸

 瀬戸を擁く陸と島との桃二本

宮島紅葉谷

 部屋に沿ふて船浮めけり桃の花

大村銅像

 銅像の文字長き花の武勲かな

宮島 二句

 踏めばゆらぐ一枚岩の日永かな

 永き日を鳥居くゞりて遊びけり

清水寺 音羽滝

 薫風に昼のともし火滝の前

 酢うる家に草鞋請ひ得つ五月雨

 石置いて衣沈めたる清水かな

義農

 義農名は作兵衛と申し国の秋

明治30年

明治三十年一月。柳原極堂松山に於て『ほとゝぎす』を發刊す。
祝句。

 時雨木枯のあれあれて生(あ)れ出しもの

 温泉の村や家ごとに巣くふ燕

 旅にして越ゆる山路の蕨かな

明治31年

蛇穴を出て見れば周の天下なり

天子賢良を招き蛇穴を出る

穴を出る蛇を見てゐる鴉かな

九月。『ホトトギス』を東京に移し、主宰す。発行所を神田錦町
一丁目十二番地に置く。

十月十日。『ほとゝぎす』第二巻第一号発行。

明治32年

三囲社

 水ぬるむ氷の下の小魚かな

百花園。

 暖き日面の梅や二三輪

更に薪能といふ題にて。

 装束ぎて冴えかへる日や薪能

 古びたる鬼の面なり薪能

二日灸、小弓引、鞦韆の三題なり。

 二日灸旅する蘆をいたはりぬ

 富士浅間二日やいとの煙かな

五月。『ホトトギス』第二巻第八号に。

 春寒き三月堂や咳払

五月二十一日夜。大腸カタル発病。同二十五日、神田駿河台山龍
堂病院に入院。一時危篤。六月十七日、退院。退院後修善寺温泉
に病を養ふ。新井屋にあり。七月二十日迄滞在。

六月より『国民新聞俳句』選者、松瀬青々となる。十二月、旧に復す。

七月。「浴泉雑記」を書く。伊豆修善寺滞在記。其中より

 薬の日法の力に湧き出でゝ

新井屋、菖蒲湯

 菖蒲湯や彼の蘭湯に浴すとふ

 短夜や枕に通ふ湯の匂ひ

 短夜やすでに湯に入る二三人

 此頃の昼寝のくせや合歓の花

 温泉に入るや昼寝さめたる顔許り

奥の院(正覚院)

 目洗へば目明らかに清水かな

 短夜や灯を消しに来る宿の者

 温泉を出でゝ人漱ぐ清水かな

九月十日 根岸庵例会

 蓑虫の父よと鳴きて母も無し

 接待や暫く憩ふ老一人

十二月十日 根岸庵句会。会者十六。

 物くれる阿蘭陀人やクリスマス

明治33年

一月。『ホトトギス』第三巻第四号に。

 言問の渡しをわたる雪見かな

 雪を煮てわづかに釜の音を聞く

同号「募集俳句」(鳴雪選)中。

 春の夜の現ともなく坐りけり

 春の夜や机の上の肱まくら

同月。『ホトトギス』第三巻第十二号、「募集俳句」選者吟。

 目の前の芒明るき花火かな

 黍畑のはづれで見たる花火かな

 三味置いてうち仰ぎたる花火かな

十一月以降、子規庵例会を廃す。

十一月二十五日 虚子庵例会。会者二十八人。

 遠山に日の当りたる枯野かな

 したゝむる旅の日記や榾明り

十二月十六日。長男年尾生る。

明治34年

七月二十一日 大宮氷川公園万松楼に埼玉九郡の俳人を会す。俳
句省略。

 送火やかくて淋しき草の宿

秋社気晴れて供の奴かな

明治35年

九月十九日。未明、正岡子規没す。

前日より枕頭にあり。碧梧桐、鼠骨に其死を報ずべく門を出づれ
ば旧暦の月明かなり

 子規逝くや十七日の月明に

二十一日。田端大龍寺に埋葬

明治36年

三月。『ホトトギス』第六巻第七号、募集俳句「芝居」選者吟。

 絵暖簾に東風吹く茶屋や弁天座

 南座の幟や花の清水寺

 花衣脱ぎもかへずに芝居かな

 蕨餅芝居の弁当整ひぬ

三月二日発。正岡母堂を大阪に伴ひ、それより京阪地方に滞在す
ること三週間余、同二十五日帰京。その間、東本願寺に句佛を訪ね、
「東本願寺」を書く。

十一月。同じく「ホトトギス」第七巻第二号に、「秋三題」

秋晴

 秋日和子規の母君来ましけり

眼白

 一寸留守目白落しに行かれけん

十一月十五日。二女立子生る。

明治37年

 城山の鴬来鳴く士族町

十四夜。

鞍馬寺。痩石、鱸江、東洋城、水棹、鼓村、暁空と七人。

 銅鑼の音の月に響くや鞍馬山

 露けしと篝焚くなり籠り堂

火祭。鞍馬の町は煙の中に埋つている。

 火祭や焔の中に鉾進む

 火祭や声からしたる鎧武者

 火祭は天狗の声も交るらん

十五夜。

叡山横川。東洋城、水棹、鱸江、痩石と五人。仰木越を越して比
叡の裏山伝ひに横川中堂に出、恵心廟、大師堂を訪ふ。

 霧の為に朽つる堂宇や杉の中

 秋風の吹きも消たずよ常夜灯

 恵心廟の前を歩くや月の鹿

五十町の山道、東塔の大学寮に至る。

 猿啼くと一人がいへば夜寒かな

 提灯に驚いて飛ぶ小鳥かな

 道標や夜寒の顔を集め読む

 身に入むや踏み落す石の谷の音

 冬を待つ僧もあらずよ峯の坊

 茶立虫弁慶水はこゝと啼く

 学寮を出て来る僧に夜霧かな

瑞雲院。とろゝ汁と納豆の御馳走になる。藍水、桂園、分潮、五
籟、文暉、鷺村、渚村の諸僧と余等五人と一題五句を作る。五句
が澄んで表に出る。一面の月光。千年の杉がついついと立つてを
る。夜寒膚に浸む。

 たふとさや御法の山の月の暈

 清浄な月を見にけり峰の寺

 杉の下に人話し居る月夜かな

 月を見れば露霜と凝る瞼かな

 琵琶湖より霧立ちのぼる月夜かな

 叡山は鐘も撞かずに夜寒かな

嵯峨落柿舎

 渡り鳥羽音聞きわくる庵かな

二尊院

 苔青く紅葉遅しや二尊院

清涼寺

 八宗争論の池の破荷

 清涼寺門前の家や柿紅葉

金福寺俳句会、席上句。

 槇の露受けて年経し苔の石

明治38年

漱石の「吾輩は猫である」此年一月の『ホトトギス』に載りはじむ。
(翌年八月に至る。)

十月。東洋城と「四夜の月」を見る。喜久井町より片瀬に至る。

十四夜。

本門寺会式。

 人を以て埋むる段や月の下

 紅白の秋の錦や善の綱

十六夜。

東海道。戸塚の衆を誘うて藤沢まで二里の夜道を歩く。

 七人の大いなるかな月の暈

遊行寺

 静かさや藤沢寺の月の暈

 月の暈二更の星の低く飛ぶ

 起きて居る蕎麦屋も月の暈の下

明治39年

五月三十日。句佛、北海道巡錫の途次来訪を機とし碧梧桐庵小集。
会者、鳴雪、句佛、六花、碧梧桐、乙字、碧童、松濱。

 主客閑話ででむし竹を上るなり

 門額の大字に点ともす蝸牛かな

同日、十月二十一日。次男、友次郎生る。生れたる時、長兄池内
政忠の後継者たるべき約あり。長兄より父祖の幼名友次郎を襲名
さすべしとのことなり。

六月三日。第十一回。麹町紀尾井町清水谷公園内皆香園

第一回。枇杷の実十句。

八月二十七日。俳諧散心。第二十二回。小庵。

桐一葉十句

 桐一葉日当りながら落ちにけり

 僧遠く一葉しにけり甃(いしだたみ)

 門を入ればく一葉しにけり高山寺

明治41年

八月十一日。第十一回。

 金亀虫擲つ闇の深さかな

八月二十三日。第二十一回。

 参りけり大樹の下に墓五つ

 凡そ天下に去来程の小さき墓に詣りけり

 由公の墓に参るや供連れて

 此墓に系図はじまるや拝みけり

九月十四日。在修善寺。東洋城より電報あり。曰、

センセイノネコガシニタルヨサムカナ トヨ

漱石の猫の訃を伝へたるものなり。返電。

 ワガハイノカイミョウナキスゝキカナ

明治42年

七月。修善寺にあり。

新井屋に菖蒲、月、桂といふ三の温泉あり。此菖蒲湯といふは源
三位頼政の室、菖蒲の前の浴せしより起りたる名なりと聞きて戯
に。

 頼政も鵺も昔の宿帳に

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