2017年福 岡

観世音寺〜国宝梵鐘〜
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戒壇院から観世音寺へ。

 明治29年(1896年)9月、夏目漱石は夫人と北部九州旅行をして観世音寺を訪れている。

   観世音寺

古りけりな道風の額秋の風

9月25日(金)子規宛て書簡

 「道風の額」は、かつて観世音寺の南大門に存在した鳥居に掲げられていた額のこと。小野道風筆と伝わる寺号額で、現在実物は観世音寺宝蔵で展示されているそうだ。

 講堂には江戸時代の儒学者亀井南冥が模写したものが掲げられている。

観世音寺講堂


天台宗の寺である。

観世音寺境内

 大宰府政庁の東に接して建てられた観世音寺は大宰府の庇護のもと九州中の寺院の中心となり、「府の大寺」と呼ばれた。

 百済を援けるため九州に下った斉明天皇が朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)で亡くなり(661年)、その子天智天皇が、母の菩提を弔うためにこの地に観世音寺建立を発願したことが『続日本紀』に記されている。

 寺は80数年かけて天平18年(746年)に完成し、天平宝字5年(761年)には僧尼に戒を授ける戒壇を設置、奈良の東大寺・下野(栃木県)の薬師寺と並んで日本三戒壇の一つに数えられている。

 かつては方3町(約330m四方)の寺域を占め、講堂・金堂・五重塔などの建物が整った大寺院であったが、その後、火災や大風にあい、創建時の建物は失われている。現在の金堂と講堂は江戸時代に黒田藩主が再建したもので、県指定文化財となっている。

文明12年(1480年)9月19日、宗祗は観世音寺を訪れている。

 翌日、又昨日の菊にて一座有。杉弘相会席に来合て、いとゞ其興有。会過ぬれば観音寺に入ぬ。此寺は天智天皇の御願なり。白鳳年中の草創なり。沙弥満誓が歌に、「鳥総(とぶさ)立て足柄山に船木伐り」と詠めるも、此所を読る由、万葉集に侍るにや。諸堂・塔婆・回廊皆跡もなく、名のみぞ昔の形見とは見え侍る。観音の御堂は今に廃せる事なし。さては阿弥陀仏のおはします堂、又戒壇院、かたの如く有。


明和8年(1771年)5月、蝶夢は観世音寺を訪れている。

 観世音寺は養老七年沙弥満誓に勅して当寺を造らしめ給ひしとぞ。此時ならん、「とぶさたてあしがら山にふな木きり」と、満誓の詠る也。大弐の御舘の清水の御寺・観世音寺に参り給ひしと、『源氏』に書るも、此寺の事なり。今は諸堂あれはてゝ、聞しにもあらず。観大士の御堂のみ、かたのごとくに有。


国宝梵鐘


此の梵鐘は京都妙心寺の梵鐘と兄弟鐘と言われ、その古さに於いても優秀さに於いても正に日本一と称せられ、糟屋郡多々良で鋳造されたと言われています。

   菅公の詩

    都府楼纔看瓦色 観世音寺唯聴鐘聲

とあるのはこの鐘のことであります。

 明治43年(1910年)3月14日、河東碧梧桐は観音寺を訪れている。

観音寺の国宝になっておる仏像の数々を見て、次で太宰府の盛りの梅の中を逍遥した。


 大正6年(1917年)10月18日、高浜虚子は観世音寺に参詣している。

秋の灯に照らし出す仏皆観世音

      大正六年十月十八日 観世音寺に詣づ。


 昭和5年(1930年)5月、北原白秋は九州に旅行。観世音寺を訪れている。

   観世音寺道

麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ

麦の秋観世音寺を罷(まか)で来て都府楼の跡は遠からなくに

夕あかる櫨(はじ)の木むらの前刈るは誰が麦秋の笠の紐ぞも

『夢殿』

 昭和21年(1946年)11月17日、星野立子は観世音寺へ。

 戒壇院の尼さんをちらと見かけたがすぐに引つ込んで
しまふ。観世音寺はすぐ隣にある。お坊さんが堂内を案
内してくれる。国宝の鐘をついてくれる。

  鐘つけば雨だれの音(ね)と落葉の音(ね)

 鐘の音が雨だれのやうにも落葉する音のやうにも思へ
てきこえた、といつてみたのだが。

 本当に美しい音であつた。

  鐘つきし余韻消えゆく山紅葉


 昭和27年(1952年)5月20日、水原秋桜子は観世音寺の鐘楼を見ている。

   観世音寺鐘楼 二句

新緑の映ゆるにあらず鐘蒼し

鐘ひゞき紫雲英田雨に暮れゆけり

『残鐘』

 昭和27年(1952年)11月15日、高浜虚子は観世音寺の鐘を聴いている。

この秋や觀世音寺の鐘を聽き

「福岡、田中紫紅邸に在る坊城一家訪問。都府楼趾に至る。」とある。昨日まで熊本を旅してゐたが、いよいよ九州の地を去る日も近づいた。「草枯の礎石百官卿相を」「冬の山久女死にたるところとか」。

『虚子一日一句』(星野立子編)

 昭和30年(1955年)5月8日、富安風生は観世音寺を訪れている。

   観世音寺

爪打ちの鐘の余韻は紫雲英(げんげ)野に

   寺宝に舞楽面を蔵す。陵王と納曽利と

帛とれば面嗔れり金鳳花

   五重塔は心礎を存するのみ

歯朶たけて塔の心礎をかくさざる

『古稀春風』

コスモスが咲いていた。


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