2018年〜山 口
亀山八幡宮〜碑巡り〜

下関市中之町の国道9号沿いに亀山八幡宮(HP)がある。

国道9号は山陰道である。
石段の左手に「山陽道」の碑があった。

現在の山陽道は国道2号で、関門トンネルを通って国道3号につながる。
その左の駐車場に金子みすゞの詩碑があった。

鶴
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お宮の池の
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丹頂の鶴よ。
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おまへが見れば、
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世界ぢゆのものは、
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何もかも、網の目が
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ついてゐよう。
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あんなに晴れたお空にも
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ちひさな私のお顔にも。
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お宮の池の
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丹頂の鶴が、
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網のなかで靜かに
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羽をうつときに。
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一山むかうを
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お汽車が行つた。
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三好写真館跡
金子みすゞは、亡くなる前日の昭和5年(1930年)3月9日、亀山八幡宮参道そばの、この場所にあった三好写真館で、最後の写真を撮りました。そのときの心情は、想像にあまりあります。
みすゞの詩には、亀山八幡宮にかかわるものも多く、親しみ深い地にあった写真館を選んでのことでしょうか。・・・
石段を上ると宗祇の句碑があった。

秋遠し亀の上なる嶺の松
文明12年(1480年)9月、宗祇が筑紫の旅の途中で亀山八幡宮に参拝した時に詠まれた句。
帰るさ、暮かゝる程に亀山の八幡へ詣づ。苔の道石の橋を登りて見れば、数多(あまた)の人家海面(づら)に連なり、大小の客船山陰に浮かべり。御社みやびやかにして、常磐木高う茂りあひ、夕露白くうち靡く様、昔かぐや姫の願けん蓬莱の玉の枝に通ひぬべし、又爰にても神主発句を乞。否びがたくて、
秋遠し亀の上なる峰の松
大正3年(1914年)7月14日、六連報一周年祝賀記念碑として六連団青年会建立。
金子みすゞの詩碑

夏越まつり
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ぽつかりと
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ふうせん、
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瓦斯の灯が映るよ。
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影燈籠の
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人どほり、
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氷屋の聲が泌みるよ。
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しらじらと
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天の川、
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夏越祭の夜更けよ。
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辻を曲れば
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ふうせん、
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星ぞらに暗いよ。
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平成15年(2003年)12月、亀山八幡宮敬神婦人会十周年記念に建立。
亀山八幡宮

貞観元年(859年)、京の都の守護のため宇佐神宮から石清水八幡宮に勧請される途中、この島の麓に停泊され。その夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」とのご神託があり、供の勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝えられているそうだ。
右手に宮地嶽神社がある。
中野水月の句碑

風かほる宮居や洋を右左
弘化3年(1846年)、中野兵蔵忠昭の長男として東南部町に生れる。
関門日々新聞社に務め、同新聞に社説などを書き、健筆を振るうかたわら句作に励む。
大正4年(1915年)、同門の人達により建立。
林芙美子の文学碑

昭和41年(1966年)、建立。
林芙美子の歌碑
