![]() | ![]() | |
大正11年(1921年)3月16日、高浜虚子は九州旅行の途次、銀沙灘を見ている。 |
此庭が相阿彌の作であると言ふ事は豫て聞き及んで居たが、其の庭作りの頭の中からこんな銀沙灘と言ふやうなものが生れて來た事は驚異に値する。それは庭一面に高い白沙の段を築き上げて、それに粗い箒目を筋かひにつけたものでその隣に椀を伏せたやうな小高い山が同じく白沙で出來て居る。何の爲と言ふ事はない、これは庭の景趣を増す爲に築き上げたものであらう。無中有を生ずる筆法でこれあるが爲に庭の趣は活氣に富んで變化の妙を極めて居る。
「肥前の國まで」 |