2008年福 島

長松院〜相良等躬句碑〜
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 田村神社から国道49号(羽後街道)を戻り、県道355号須賀川二本松線で須賀川に向かう。

須賀川の田善通りに長松院があった。


萬年山長松院


曹洞宗の寺院である。

本堂の前に相良等躬句碑があった。



あの辺はつく羽山哉炭けふり

 須賀川の俳祖「相楽等躬」は須賀川宿の長老、俳人。元禄2年、芭蕉は奥の細道途中、旧知の等躬宅を訪れ7泊した。

昭和33年(1958年)5月、建立。

本堂の裏に相楽家の墓があった。


相良等躬の墓
(正徳5年没78歳)

 白河藩郷士で須賀川の駅長をつとめた。若くして江戸に出て俳諧を学び、延宝のころには芭蕉とも交流があった。

 芭蕉が『奥の細道』行脚で須賀川に1週間も滞在したのは、等躬との交流のためであった。等躬は『葱摺』などを著している。

句碑「あの辺はつく羽山哉炭けふり」

 晩年には平城主内藤露沾の知遇を受け平城で客死した。

須賀川市

明治39年(1906年)10月16日、河東碧梧桐は須賀川の長松院を訪れた。

 朝菓翁の許を辞して、急歩本宮に帰る。本宮から汽車で須賀川に着く。須賀川は俳句に因縁の深い土地である。

 奥の細道に「すか川の駅に等窮といふものを尋て四五日とヾめらる」とある等窮の家はその後度々移転して跡を尋ぬるに由ないけれども、その墓は長松院という寺にあると聞いてこれを弔うた。


長松院鐘楼


鐘楼の前に高浜虚子の句碑があった。



三世の佛皆座にあれば寒からず

大正2年(1913年)1月19日、虚子庵句会の題詠である。

次に来た題は法要であつた。余は何故に法要といふ題を出したかといふに、此日は東慶寺の敬俊和尚も見える筈であつたのが、法要の為に差支へて来られないといふ事を拙童和尚が話されたのに因つたのである。

やがて出来たのが斯ういふ句であつた。

   三世の佛皆座にあれば寒からず

法事の時僧の読む経文に、先づ三世の諸佛を座に勧請することがあるかと思ふ。されば位牌の前には寒き香煙が立ち騰つていても、三世の諸佛が座に在ることゝ思へば寒くもない、といふのである。

『年代順虚子俳句全集』(第三巻)

 昭和33年5月、梵鐘再建につきホトトギス須賀川同人高久田瑞子(金三郎)が伝えきく谷文晁の燈篭に接し師翁の句を刻す。

須賀川ホトトギス句会と花筵亭句会

 第2次世界大戦中、ホトトギス同人の麻田椎花(すいか)が須賀川に疎開していたので、昭和22年6月、矢部居中(医者)を中心として例句会が催された。これが須賀川ホトトギス会となる。

 昭和23年11月24日、麻田椎花が須賀川で没し、矢部居中も昭和31年3月4日没。その後、矢部里女がこれを受け継ぎ例会が続けられた。この句会は高久田瑞子が中心となり、「花筵亭句会」として引き継がれた。

長松院

椎花の句碑があった。


芳りくる朝餉の味噌か田螺汁

水原秋桜子は麻田椎花邸を訪れている。

   麻田椎花氏邸 二句

庭石の数寄屋へつづく霜柱

凍雪の廂をのべし数寄屋かな

『秋櫻子句集』抄

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