高浜虚子の句

『句日記』@ ・ A ・ B ・ C ・ D

indexにもどる

昭和26年

六月二十一日 伊東、米和歌に行く 立子素十、迷子、孔甫、
菖蒲園と共に

 鰤をとる網代の海に来し記憶

 この部屋は庭に突き出て風薫る

 浴衣地の一とこ紺の滲みたる

六月二十二日 米和歌にあり

 躑躅たゞれ七面鳥は女ずき

 温泉に入りて唯何となく日永かな

 温泉に入りてほのぼのとして昼寝ざめ

 温泉宿涼し一千坪に余るべし

 ほとゝぎす伊豆の伊東のいでゆこれ

九月十三日 午前九時横浜乗車西下 年尾立子、泰、憲二郎と
共に食堂車給仕田中嬢に贈る 先年大負傷をせし由

 涼しくも生きながらへて紅つけて

九月十四日 須磨、保養院の跡を訪ひ、須磨寺小集

 人恋し須磨寺の蚊にさゝれつゝ

 須磨寺の鐘又鳴るや秋の暮

 月を思ひ人を思ひて須磨にあり

 秋風に散らばりし人皆集(よ)りし

九月十五日 年尾居にあり 年尾立子、泰、憲二郎と黄金丸に
乗船

 子規忌へと無月の海をわたりけり

九月十六日 道後鮒屋著 石手寺に行き地蔵院に小憩住僧におく


 こゝに住み泥鰌鮒など友として

九月十七日 波止浜に行く 観潮閣泊り

 旅といへど夜寒といへど姪の宿

 わが好む無花果甘さ足らずとも

九月十八日 昨夜観潮閣泊り

 楼の脚紅葉の谷を踏まえ立つ

九月二十日 松山玉藻会 石手寺

 石榴赤しふるさとびとの心はも

九月二十一日 ランチ小富士丸に乗り興居島沖遊航

 小蒸気に秋の浦浪荒くとも

東野を通る

 秋の蚊や竹の御茶屋の跡はこゝ

 ふるさとの此松伐るな竹伐るな

 思ひ出となるべき秋の一夜かな

 西日去る一間幅の広き縁

九月二十三日 鬼貫の墓に参る

 花筒をそよりと出たる秋蚊かな

 秋風の伊丹小町今通る

 酒蔵の秋の日影をなつかしみ

昭和27年

五月二十日 近江、堅田、余花朗邸

 ひしひしと玻璃戸に灯虫湖の家

同人会 京都 枳殻邸

 月立たざるかなめ(※「木」+「要」)の花を眺めかな

 伽羅は枯れゥ木は茂りたるまゝに

 美人手を貸せばひかれて老涼し

五月二十五日 金剛峯寺

 千株の金剛峯寺の牡丹かな

 人の世の今日は高野の牡丹見る

 牡丹の咲き澄む庭の真中かな

五月二十六日 滞在

 朝牡丹小僧走りて雨戸開く

奥の院

 若死の六十二とや春惜む

大麻唯男、亡き娘栄子の為め長谷観音境内に観音像を建立し、そ
の台石に彫む句を徴されて

 永き日のわれ等が為の観世音

 雪の暮花の朝の観世音

九月二十八日 俳句大会 河鹿荘

 さびしかりしよべの十日の月を思ふ

 吉野屋の愛子踊りし部屋ぞこれ

九月二十九日 河鹿荘 にて

 秋水の音高まりて人を思ふ

山中温泉河鹿荘を出て三国に行く

 北潟を過ぎて芦原の秋時雨

三国紅屋にて、愛子七周忌法要 非無、慈童両和尚読経

 なにとなく永久(とわ)が助音に露しぐれ

九月三十日 三国紅屋を出で東尋坊の俳句会に臨む 蘆原の開花
亭に泊る

 指ざせる杖のさき飛ぶ蜻蛉かな

 挙げる杖の先きついと来る赤蜻蛉

十一月八日 遠入たつみ邸に建つるといふ句碑の句

 故里の山国川に鮎釣ると

城島台、句碑除幕

 赤白の餅の飛び交ふ草紅葉

 落したる句帳を隠す草紅葉

 枕許の秋灯しばしば点けて消し

十一月九日 高崎山万寿寺別院 句謡会

 謡会終りてしばし夕紅葉

 人顔はいまだ定かに夕紅葉

十一月十日 小国を突破して阿蘇外輪山に至る

 小国町南小国村芋水車

 秋晴の大観峰に今来り

十一月十一日 昨夜、笹原耕春居に泊 俳句会

 小鳥の声ポンプの音と明けそめぬ

火の宮境内

 散紅葉して暫くは何も無し

十一月十二日 昨夜も亦耕春居泊り

 かけて見せ外しても見せ芋水車

熊本行途中 大観峰附近にて

 わがために龍胆摘みくれぬ霧の中

十一月十四日 昨夜画津荘泊り 熊本俳句会

 水中の落葉を掃くも水前寺

 水中の落葉掃く人もの捨てる人

 紅葉挿し帽をかむればバスガール

画津荘を去る前夜

 この闇の芭蕉林にも名残あり

十一月十五日 福岡 田中紫紅邸に在る坊城一家訪問 都府楼趾
に至る

 草枯の礎石百官卿相を

 この秋や観世音寺の鐘を聴き

 冬の山久女死にたるところとか

十一月十七日 宝塚会館 昨夜芦屋、年尾居泊り

 草枯に歩きをる人立ち止る人

 草枯に真赤な汀子なりしかな

 草枯に我を見彼女つと去りし

堅田に水中句碑建つ 十一月三十日除幕式 杞陽に代理を頼む

 時雨るゝと小春日和とどちらでも

十二月五日、大和郡山、永慶寺の句碑除幕に、尼寺を出て柳澤家
にある、伏見元子幕を引きくるゝとの事

門を出て柳の糸に触れても見

昭和28年

二月二日 伊予西条在飯岡村秋都庵にある我が外祖父母の墓畔に
句碑を建てると、山岡酔花の切望せるに応へて句を送る。外祖父
山川市蔵は若くして浪人し松山藩外に在りて寺小屋などをし生涯
を此町に終りたると聞く

 惟る御生涯や萩の露

「心」より斎藤茂吉の悼句を徴されて

 春雷の美しく鳴り移りたる

極堂米寿賀

 春風の伊予の湯の句のあるが故に

子規、虚子並記の句碑、須磨に建つ由

 君と共に再び須磨の涼にあらん

六月八日 大野万木句碑 長谷観音境内に建ちたるに招かれて

 梅雨やむも降るも面白けふの事

十月六日 山中温泉吉野屋泊り、新座敷 立子と共に行く。

 秋水のとゞまらず又も来し

十月七日 山中俳句会 鹿野尚生の寺、薬師寺にて

 秋晴やこほろぎ橋を下も手に見し

 川音の高まり長き夜はくだち

非無和尚を明達寺に見舞ふ 立子、柏翠夫妻と共に
稲の道車を駆りて故人訪ふ

 秋晴の門にさわぐ子僧病めり

十月十日 昨夜堅田、余花朗居に泊る 眞砂子も来り加はる。
中句碑を見る。

 湖中句碑蘆の嵐につゝまれて

 はらはらと秋時雨あり我立てり

唐崎を横切り近江神宮にて俳句会 宮司平田貫一夫妻に面会 こ
の夜大津紅葉館泊り

 唐崎の松を巡りて落葉掃く

 するまゝにまかしおきくれ野菊濃し

十月三十日 長崎に於ける去来二百五十年祭

 花すゝき去来先生いまそかり

 俳諧の月の奉行や今も尚

昭和29年

四月十六日 句謡会 高木居

 春深く稿を起さん心あり

八月三十日 非無和尚逝去

 旅にして秋風君の訃に接す

十月七日 当年の常盤会寄宿舎舎生でありし人々、鳴雪墓前に「一
系の天子」の句碑を建てる由 相原熊太郎より申し来りければ

 追慕する人々も皆鬢の霜

子規の墓に参る

 参りたる墓は黙して語らざる

十一月三日 宮中参内 文化勲章拝受

 我のみの菊日和とはゆめ思はじ

 菊の日も暮れ方になり疲れけり

十二月八日 修善寺 新井屋滞在 昨日より

 冬山路茅舎の墓に行かしめず

昭和30年

五月十四日 飛行機 板付著 福岡県二日市 玉泉閣

 更衣したる筑紫の旅の宿

五月十六日 熊本、江津荘 芭蕉林

 此処に来て故人に逢ひぬ芭蕉林

 軒にある菖蒲しなびて俳句会

 芭蕉の女我に怨ずることありぬ

 蒲團あり來て泊れとの汀女母

五月十七日 三角港より有明湾を渡る 島原泊り

 夏霞談合島と云ふがあり

 山さけてくだけ飛び散り島若葉

 夏草に恋し一揆の物語

 湾涼しシンガポールに似たるかな

五月十八日 夏目義明東道にて雲仙を越え、長崎、桃太郎泊り

 ゴルフ場に下り立てば躑躅叢たかく

 妙見に白雲ゆきゝ躑躅原

 夏海にあまり温泉そゝぎ小浜の温泉

 天草は卯月曇のいまは濃く

 天草の島山高し夏の海

長崎滞在

 長崎の古き料亭青簾

五月十九日 日見峠に去来の芒塚を見、井上米一郎に寄す

 芒塚程遠からじ守るべし

有田に向ふ 深川別邸泊り

 大村湾に沿うて暫く麦の秋

五月二十日

 新聞を犬咥へ来る明易き

 明易や時刻違へて起き出でし

 蚊のをらぬ有田と聞けば旅楽し

 美しき故不仕合せよき袷

 南山の緑に対す主客かな

五月二十二日 甘木市、丸山公園

 一切れの菓子食べ新茶飲みしこと

 風薫る甘木市人集ひ来て

原鶴温泉、小野屋泊り

 夜振火の二つ相寄り相離れ

 蛍飛ぶ筑後河畔に佳人あり

五月二十四日 須磨の句碑を見、垂水の千原新居を訪ふ

 娘の宿はたとへ狭くも風薫る

夕刻、京都山科御陵、橙重居著

 夕立に傘傾けてはつ子来ぬ

五月二十五日 坂本滋賀院 祖先祭 雷鳴

 中堂を焼きたる雷と思ひつゝ

鹿ヶ谷のミユラー初子母堂を訪ふ 再び橙重居

 蔵の扉を開けて涼しや客設け

五月二十六日 素十新居を訪ふ 午後橙重山荘にて句会

 足悪き故いつまでも端居かな

十月三十一日 松山帰省途中

 関ヶ原過ぎて伊吹の明の春

十一月六日 山科に素十居を訪ふ 散策

 稲架つくる爺と話して素十心富む

十二月九日 物芽会 光則寺

 老僧の病臥の障子日当りて

 障子閉ざし老僧病むと聞く許り

 三方に山ある故に寺寒し

 枯葎なれどもそれに秩序あり

高浜虚子の句に戻る