高浜虚子の句

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昭和11年

一月十八日。谷中本行寺。播磨屋一門、水竹居、たけし、立子、秀好。

 渋引きしごと喉強し寒稽古

 凍土の日あたりゆるむところかな

二月十六日。章子を伴ひ渡佛の途に上る。午後三時横浜解纜箱根
丸にて。――以下特別の附記なきものは総て箱根丸船中吟――

 古綿子(ふるわたこ)著のみ著のまゝ鹿島立

二月十九日。神戸碇泊。花隈、吟松亭、関西同人句会に列席。

 我心春潮にありいざ行かむ

席上遠距離電話にて晴子安産のことを知る。

 九人目の孫も女や玉椿

二月二十一日。朝、門司著。萍子招宴、三宜樓

 壇之浦を過ぎ滿開の梅の寺

 老木の梅咲きそめし寺に来し

 僧我を咎め顔なり梅の寺

 梅を見て明日玄海の船にあり

 風師山梅ありといふ登らばや

 今日もまた船をのぼりて梅を見る

 日本を去るにのぞみて梅十句

 太宰府の梅やいかにと門司船出

六月十日 雑詠選了。対馬見え壱岐見え来る。大阪朝日九州支社
より、帰朝最初の一句を送れとの電報あり。

 船涼し左右(そう)に迎ふる壱岐対馬

間もなく再び、「吉井勇氏今宵来社対談し、貴下を思ふの歌あり
お知らせ申す「虚子の船赤間ケ関に寄らで過ぐ今宵の月夜ほくな
読みそね」との電報。返信に。

 短夜を寝ず門司の灯を見て過ぎん

六月十一日。朝六時甲板に立出で楠窓君と共に朝靄深く罩めたる
郷里松山の島山を指さし語る。

 戻り來て瀬戸の夏海絵繪の如し

七月十八日 風生招宴。麹町永田町、逓信次官々邸。

 籐椅子にあれば草木花鳥来

 我が前に夏木夏草動き来る

八月二日。武蔵野探勝会。王子。旧渋沢邸

 黒蝶に縞蝶出でゝつともつれ

荒手茶寮にて午食。旭川舟行、岡山城を見、後楽園に至る。

 城を見て後楽園に秋の水

 夕凪の後楽園に今ありぬ

後楽園能楽堂

 鏡板に秋の出水のあとありぬ

岡山駅。

 桃の籠下げて乗る人許りなり

九月六日。武蔵野探勝会。成田山吟行。印旛沼を舟にて渡る。

 藻の上の波は退く如くなり

 藻の水に手をひたし見る沼の情

 ひそやかに藻の花咲きぬ蒲の間

 闇の中に見えて来るもの芋畑

九月十六日。京都行。

 歯ぎしりや夜長の旅の寝台車

九月十七日。京都一泊。

 目ざむれば貴船の芒生けてありぬ

九月十八日。大原行。

 萩の花も金森宗和の庭にあれば

 障子貼る大原女あり尼の寺

十月十九日。遠藤韮城東道。昨夜は飛騨下呂温泉、湯の島館宿泊。
今朝高山に行く。

国分寺

 頬高き飛騨の匠の像の秋

十一月十二日。七宝会。王子名主の滝

 ひそやかに紅葉をめでてこゝに来ぬ

 鵙が鳴き静まりてよく頬白なく

 紅葉宿開け放ちいて人居らず

十二月十日。七宝会。芝公園弁天池。同構内梅月にて披講。宝生
千里招宴。

 障子さとさめて冬日のかげりけり

 公園や踏みくだきたる散紅葉

 御霊屋のほとりに乞食焚火せり

 荷車に屏風を積みて僧の行く

 障子あけて女這入るや増上寺

 襟巻をせる僧徒等の物運ぶ

 寺寒し別時念佛ありとこそ

昭和12年

一月二日。武蔵野探勝会。新潟行。篠田旅館泊。みづほ、素十等の
歓迎を受く。

 浅き水流れて広し雪の原

 日ねもすの風花淋しからざるや

 風花に新潟の町広くして

 風花に神の弥彦は晴れて見ゆ

二月七日。武蔵野探勝会。相州下曽我梅林。加来金升邸。

 客ありて梅の軒端の茶の煙

 山かけて梅の林や曽我の里

 宗我神社曽我村役場梅の中

 畑中に老梅ゆゝし曽我の里

三月二十日。「日本及日本人」碧梧桐追悼号。

碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり

 たとふれば独楽のはぢける如くなり

6月6日。武蔵野探勝会。我孫子。谷口別邸。

 飛ぶ蛙鼻より背に斑が通り

 遠く漕ぐ沼渡舟あり五月雨

 藻の花や母娘が乗りし沼渡舟

 藻の花のゆれて静まる舟の渡

 さゝさゝと音して漕げる花藻かな

 真菰中杭並びたる舟著場

昭和13年

一月二日 武蔵野探勝会。明治神宮初詣。日本青年館。

 徳高くまします宮に初詣

 宮居遠き冬雲もまた貴とけれ

 木の間なる冬日尋ねて立ちどまる

 粛々と群聚はすゝむ初詣

 清浄の空や一羽の寒鴉

四月三日 武蔵野探勝会。神代村、深大寺

 此行に缺けし人あり花に病む

 鬱々と花暗く人病みにけり

五月一日 武蔵野探勝会。小石川後楽園、涵徳亭。

 春闌(はるたけなわ)暑しといふは勿体なし

十月十七日。松山帰省。友次朗新夫婦、章子帯同、池内祖先祭。
新田の家族等も共にあり。玉川町に旧居の家を一見す。

 柿の木も年古りにける懐古かな

十月二十日。一行の中に年尾も加はり、高松栗林公園内、掬月亭
俳句会。此夜高松古新町かしく泊。善通寺に正一郎伍長を訪ふ。

 肌寒も残る寒さも身一つ

十月二十一日。屋島に遊ぶ。

 歴史悲し聞いては忘る老の秋

昭和14年

四月二日。日本探勝会。銚子行。

 利根河口七十尺の春の山

 春の海の大きな岩や部屋の前

 大岩をしばし隠して波おぼろ

 犬吠の今宵の朧待つとせん

あふひ一時半逝去との電報を受取る。

 目の前の浪に霞みておはすらん

四月三日。犬吠岬、暁鶏館

 春暁や通ひ勤めの宿女

 犬吠の春暁の荒るゝこと

 春の波うね伝ひ飛ぶ鴎かな

 それぞれの礁に名あり春の潮

五月十九日。仙台針久旅館。風生、老妻、立子、章子等と共に。
小太郎、余十、綾園と山寺に行く。

 仙台はポプラ若葉に町広し

 夏山や桑畑ありて家すこし

 鈴蘭を掘りて鍬さげ汽車に乗る

 石楠花を移し植ゑたる山の駅

 夏山の彼方の温泉に子規は浴みし

 藤波も滝もかゝるを見下ろせり

 夏山のトンネルでれば立石寺

 銀杏の根床几斜に茶屋涼し

五月二十日。針久旅館。

松島吟行。

 子規に月我に郭公瑞巌寺

 松島を見て旅疲れ欄涼し

 五大堂浮めて夏の汐みつる

 宿傘をさし連ね来る五月雨

 バスが著き遊船が出る波止場かな

 島々は満ち来る夏の潮に浮き

 島々に名札立ちたる涼しさよ

 藤原の藤のかゝれる内裏島

五月二十九日。新潟、篠田旅館。

みづほ居。

 さいかちの屋を圧して涼しけれ

六月五日。玉藻吟行。山王、山の茶屋。

 夏休かげ暗し写真に見入りたる

 昼の蚊の壁伝ひとぶ影法師

 我方に這ひ来りたる夏木の根

六月十日。昨夜、夜汽車にて上野を発す、朝六時八分三日市著、
直ちに黒部鉄道にて宇奈月に行く。延対寺泊り。蓬矢知事東道。

 供華のため畦に芍薬つくるとか

 立山の夏かげの皺凡ならず

 夏山の剣といふは美(く)はし山

 蜃気楼と立山とあり魚津よし

六月十一日。黒部峡探勝。

 汝にやる十二単衣といふ草を

 猿飛を見て戻り急夏山路

 岩の上の大夏木の根八方に

 夏山やトロに命を托しつゝ

 雪溪の下にたぎれる黒部川

 鉄板の覆したるトロ涼し

五月二十三日。函館湯ノ川、福井旅館。高木の家族等と共に大沼に遊ぶ。

 一筋の泡を浮めて春の水

 春水に佇みゐしが石に腰

 駒ケ嶽浮めてこゝに沼の春

 つたひとぶ春の烏や水の上

十月十七日。琵琶湖ホテル滞在。

 鳰がゐて鳰の海とは昔より

幻住庵句会。大津ホトトギス会主催。

 淋しさの故に清水に名をもつけ

昭和15年

三月二十二日。伊予波止浜、渦潮にて鴎句会。

 美しき小島の多し春の海

 渦潮を率ゐ小島は春の島

 渦潮に日影つくりぬ春の雲

 骨蒸しに揃へて百の桜鯛

三月二十四日。風早西ノ下、舊居のあとにて。

 此松の下に佇めば露の我

五月二十四日。鎌倉俳句会。材木座光明寺

 茲も亦あやめの水の濁りたる

 風折々汀(みぎわ)のあやめ吹き撓め

九月二十五日。村尾公羽歿す。

 はゝき木の遂になきこそ淋しけれ

十月二十三日。別府亀の井。

 秋晴の軸の大字のかはやかに

血の池地獄

 自づから早紅葉したる池畔かな

 綿羊に牧夫に秋の風寒し

 花すゝき皆ひれ伏して由布ケ峰

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