高浜虚子の句

『句日記』

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昭和5年

五月五日。品川寺の梵鐘、亜米利加に渡りゐたりしもの久しぶり
にて寺に帰る。其鐘供養あり。

 座について供養の鐘を見上げけり

 山伏は貝を吹くなり鐘供養

 町人の来てはつくなり鐘供養

七月十三日。旭川、鍋平朝臣等と高野山に遊ぶ。

 雲のみね動き居るなり森の上

 炎天や女人堂より下り坂

 虻入りてかくれ了せぬ花擬宝珠

 這入りたる虻にふくるゝ花擬宝珠

 炎天の空美しや高野山

 鐘鳴つて蜩なくや高野山

十一月五日。出雲松江に在り。

 時雨るゝや明り窓ある応接間

十月二十三日。筑前白髯神社

 秋晴や岬の宮の御神事

 並びたる祭の祢宜の赤素袍

 松かげの石灯籠や宮の秋

十月二十三日。筑前香椎宮参拝

 椎の露香椎の宮に来りけり

 うつむいて草じらみとる袴かな

 折りもちし茱萸の花捨て惜みつゝ

昭和6年

四月二日。土佐国高知に著船。

 舟すゝむまゝに浦戸のさくらかな

国分村に紀貫之の邸址を訪ふ。

 土佐日記懐にあり散る桜

 遠のけば愈赤きさくらかな

 たんぽゝに楮干したり道のはた

 老松に桜咲きたる旧家かな

四月三日。室戸岬行。

 山橋を現れ来る遍路かな

 春潮や網の中なる舟一つ

 網の上漕ぎ過ぐる舟や春の潮

 遍路の子五形花摘んで送れをり

 杖ついて車よけをる遍路かな

 春潮の騒ぎて網を曳くところ

 両の手に杖をつきをる遍路かな

 岩の間に人かくれ蝶現るゝ

 榕樹林中に椿の林あり

 龍巻に添うて虹立つ室戸岬

 一帯に榕樹の落葉許りなる

 龍巻も消ゆれば虹も消えにけり

 沖の方曇り来れば春の雷

 春雷や室戸岬なる貴賓館

四月五日。五台山麓句会。

 西吹いて桜ちるなり五台山

 風吹いて木の芽ふくらむ思ひかな

 青梅の尖に刺あり柔し

四月六日。和歌ノ浦に渡る。

 花ありて長き土塀や紀三井寺

 海苔を買ふ三断橋のたもとかな

 女漕ぐ海苔舟ばかり和歌の浦

 海苔舟の女坐りて棹しぬ

四月七日。三室戸寺

 落椿くゞりて水のほとばしる

 花冷の参詣人も少かり

 花冷の汁のあすきを所望かな

十一月二十三日。高田雑司ヶ谷亀原、高野素十新居を訪ふ。

 客主連れ立ちかへる落葉かな

 栗むいて指切りたるもをかしけれ

昭和7年

九月十五日。放送局主催中継放送句会。百花園

 ほつほつと屋根ぬれそめし月の雨

 歌により句にこぞりたる雨月かな

 月無しと極めて芙蓉の花に立つ

十月八日 松江

宍道湖畔を行く。郷里松山あたりと同名の柿のたわゝになりたる
多し。

 なつかしやさいじよう柿ときくからに

八雲旧居を訪ふ。

 くはれもす八雲旧居の秋の蚊に

昭和七年十月九日。松江を発ち大山に向ふ。

大山登山。

 秋風の急に寒しや分の茶屋

十月十日。美保ケ関

 鰯船いつまで淦(あか)を汲んでをる

 石崖に荒れてゐるなり秋の潮

十月十一日。美保ケ関を発ちて鳥取に向ふ。

米子駅にて汽車を待合す間、駅前茶店の一と間にて小句会。

 とりあへず末枯の庭あればよし

鳥取砂丘

 秋風や浜坂砂丘少し行く

十一月六日。武蔵野探勝会。真間手古奈堂

 草枯や泣いてつき行く子ははだし

 末枯に大工散らばる普請かな

昭和8年

一月二十九日。武藏野探勝。大宮氷川公園、含翠園。

 霜解の道返さんと顧し

八月十六日。北海道行車中吟。

 芋を作り煙草をつくる那須野かな

八月十七日。青函連絡船松前丸船中。

 夏雲や島かと見えて陸つゞき

 見えて来し北海道や夏の海

 秋風の津軽海峡浪高し

 船涼し己が煙に包まれて

噴火湾

 放牧の馬あり沢に太藺あり

 鰯焚く漁村つゞきや秋の浜

八雲附近。

 秋風や秣の山の果もなく

八月二十日。此夜、層雲峡、層雲閣泊。

 石狩の水上にして水澄まず

 石狩の源の瀧先づ三つ

八月二十二日。此夜、弟子屈、青木旅館泊。

阿寒湖の暁。

 虹立つや湖畔の漁戸の両三戸

 バス来るや虹の立ちたる湖畔村

阿寒湖舟遊。

 毬藻見に又来る舟や秋の湖

 火の山の麓の湖に舟遊

 藻に乗りて我蛇舟を見送れり

 大島といふ島もあり湖の秋

釧路港を見る。

 露領より帰りし船と鮪船

 屈強の裸の漁夫の汗光る

 灯台は低く霧笛は峙てり

夢屡驚く。

 夜もすがら霧の港の人ゆきゝ

昭和9年

上野に行く。

 鴬や伊賀の山路をほそぼそと

愛染院芭蕉故郷塚

 故郷塚ひそかに桜咲いてをり

牡丹会。中村公園にて。

 松の下つゝじの上の桃の花

 ひそやかに花見弁当うちかこみ

昭和10年

四月二十五日。風早西の下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊予松山、
黙禅邸、松山ホトトギス会。

 ぼうたんを褒めて鹿島にわたりけり

 重き荷を負うて遍路のかゞみ行く

 鹿の峰の狭き縄手や遍路行く

 道のべに阿波の遍路の墓あはれ

 島々に取り囲まれて春の海

鹿笛句会。東山、金福寺

 落椿ころげ出でたる垣根かな

 屋根替の指図までする尼の君

 詩仙堂より金福寺まで落椿

十月二十五日。鎌倉俳句会。長谷、光則寺

 一時の心落つき夜長かな

 秋日和崩れるらしく南吹く

十二月一日。武蔵野探勝会。練馬、東高野

 肥かける音も聞ゆる畑の冬

 蓆囲ひして大根を洗ひをり

昭和11年

二月十六日。章子を伴ひ渡佛の途に上る。午後三時横浜解纜箱根
丸にて。――以下特別の附記なきものは総て箱根丸船中吟――

 古綿子(ふるわたこ)著のみ著のまゝ鹿島立

二月十九日。神戸碇泊。花隈、吟松亭、関西同人句会に列席。

 我心春潮にありいざ行かむ

席上遠距離電話にて晴子安産のことを知る。

 九人目の孫も女や玉椿

二月二十一日。朝、門司著。萍子招宴、三宜樓

 壇之浦を過ぎ滿開の梅の寺

 老木の梅咲きそめし寺に来し

 僧我を咎め顔なり梅の寺

 梅を見て明日玄海の船にあり

 風師山梅ありといふ登らばや

 今日もまた船をのぼりて梅を見る

 日本を去るにのぞみて梅十句

 太宰府の梅やいかにと門司船出

六月十日 雑詠選了。対馬見え壱岐見え来る。大阪朝日九州支社
より、帰朝最初の一句を送れとの電報あり。

 船涼し左右(そう)に迎ふる壱岐対馬

間もなく再び、「吉井勇氏今宵来社対談し、貴下を思ふの歌あり
お知らせ申す「虚子の船赤間ケ関に寄らで過ぐ今宵の月夜ほくな
読みそね」との電報。返信に。

 短夜を寝ず門司の灯を見て過ぎん

六月十一日。朝六時甲板に立出で楠窓君と共に朝靄深く罩めたる
郷里松山の島山を指さし語る。

 戻り來て瀬戸の夏海絵繪の如し

七月十八日 風生招宴。麹町永田町、逓信次官々邸。

 籐椅子にあれば草木花鳥来

 我が前に夏木夏草動き来る

十月十九日。遠藤韮城東道。昨夜は飛騨下呂温泉、湯の島館宿泊。
今朝高山に行く。

国分寺

 頬高き飛騨の匠の像の秋

昭和12年

二月七日。武蔵野探勝会。相州下曽我梅林。加来金升邸。

 客ありて梅の軒端の茶の煙

 山かけて梅の林や曽我の里

 宗我神社曽我村役場梅の中

 畑中に老梅ゆゝし曽我の里

昭和13年

四月三日 武蔵野探勝会。神代村、深大寺

 此行に缺けし人あり花に病む

 鬱々と花暗く人病みにけり

昭和14年

四月二日。日本探勝会。銚子行。

 利根河口七十尺の春の山

 春の海の大きな岩や部屋の前

 大岩をしばし隠して波おぼろ

 犬吠の今宵の朧待つとせん

四月三日。犬吠岬、暁鶏館

 春暁や通ひ勤めの宿女

 犬吠の春暁の荒るゝこと

 春の波うね伝ひ飛ぶ鴎かな

 それぞれの礁に名あり春の潮

六月十日。昨夜、夜汽車にて上野を発す、朝六時八分三日市著、
直ちに黒部鉄道にて宇奈月に行く。延対寺泊り。蓬矢知事東道。

 供華のため畦に芍薬つくるとか

 立山の夏かげの皺凡ならず

 夏山の剣といふは美(く)はし山

 蜃気楼と立山とあり魚津よし

六月十一日。黒部峡探勝。

 汝にやる十二単衣といふ草を

 猿飛を見て戻り急夏山路

 岩の上の大夏木の根八方に

 夏山やトロに命を托しつゝ

 雪溪の下にたぎれる黒部川

 鉄板の覆したるトロ涼し

十月十七日。琵琶湖ホテル滞在。

 鳰がゐて鳰の海とは昔より

幻住庵句会。大津ホトトギス会主催。

 淋しさの故に清水に名をもつけ

昭和15年

三月二十二日。伊予波止浜、渦潮にて鴎句会。

 美しき小島の多し春の海

 渦潮を率ゐ小島は春の島

 渦潮に日影つくりぬ春の雲

 骨蒸しに揃へて百の桜鯛

三月二十四日。風早西ノ下、舊居のあとにて。

 此松の下に佇めば露の我

九月二十五日。村尾公羽歿す。

 はゝき木の遂になきこそ淋しけれ

十月二十三日。別府亀の井。

 秋晴の軸の大字のかはやかに

血の池地獄

 自づから早紅葉したる池畔かな

 綿羊に牧夫に秋の風寒し

 花すゝき皆ひれ伏して由布ケ峰

昭和16年

六月一日。門司着。福岡の俳人達に擁されて上陸。和布刈神社に
至る。門司甲宗八幡宮にて披講。「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな
宗祇」の句を刻みたる碑あり。

 夏潮の高低こゝに門司ケ関

 船虫の人に馴れ這ふ和布刈かな

 夏潮の今退く平家亡ぶ時も

 夏潮や上りかねたる船二艘

同日。観月句会、海晏寺

 月を待ち白雄の墓に詣りけり

 新聞をほどけば月の芒かな

 禅寺の境内にして良夜かな

昭和17年

昭和十七年十一月二十二日。長泰寺に於ける花蓑追悼会に句を寄す。

 泉石に魂入りし時雨かな

 天地の間にほろと時雨かな

昭和18年

三月二十六日。廿四日神戸より錦丸乗船道後鮒屋にあり。連日墓
参、故旧訪問、俳友招宴等。此日赤十字病院海軍傷病兵慰問。傷
病兵に此日某病院にて。

 ふるさとに花の山あり温泉あり

成田の額堂に七代目団十郎の石像があつたが、久しく鼻が缺けた
まゝになつてゐた。七代目団蔵が之を嘆き、六代目団蔵の像と共
に別の銅像を建立した。今度襲名した八代目団蔵は七代目団蔵追
善供養の為め、其後撤去した銅像の残された台石の上に句碑を立
てることにした。

 凄かりし月の団蔵七代目

五月十二日。近江坂本、延暦寺に渋谷座主を訪ひ、転じて紀州
歌ノ浦
望海楼に赴く。春泥招宴。

 いかなごにまづ箸おろし母恋し

十一月十五日。昨夜八時五十分上野より乗車、金沢を過ぎて金津
駅下車。柏翠・愛子・美佐尾の出迎を受け、それより三国に到る。
愛子居。

 里人の時雨姿の中にあり

 米倉は空しく干鱈少し積み

十一月十六日。芦原べに屋滞在。吉田郡椎谷村、永平寺に行く。

 野の道の時雨じめりや日もすがら

 毎日の時雨嬉しや旅つゞく

 黄葉山左右に迫りて永平寺

 滝風は木々の落葉を近寄せず

 廻廊を登るにつれて時雨冷え

 廻廊を登るにつれて紅葉濃し

 木々紅葉せねばやまざる御法かな

道元禅師。

 今も尚承陽殿に紅葉見る

十一月十七日。芦原出発、金津乗換、金沢に向ふ。金沢逍遥。

 何も彼も皆紅葉せり潟山津

 北国の時雨日和やそれが好き

十一月十八日。金沢、宮保旅館を出て雨中乗車。那谷観音には立
寄らず、山中、吉野屋に一泊。

 北国のしぐるゝ汽車の混み合ひて

 寒雨降る那谷の紅葉は見ずに過ぐ

 紅葉山見晴らす窓の置き鏡

 温泉(ゆ)に入りて暫しあたゝか紅葉冷え

温泉(ゆ)に入りて皆沈みをり紅葉冷え

 寒くとも那谷の紅葉に廻りみち

一行と会食。金沢より追ひ来りたる一杉も席に在り。愛子の母わ
れを慰めんと唄ひ踊り愛子も亦踊る。

 不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く

十一月二十三日。昨夜は伊賀上野、友忠に泊る。この日愛染院
於ける芭蕉忌に列席。

 こゝ来てまみえし思ひ翁の忌

 笠置路に俤描く桃青忌

友忠旅館即事

 焚火するわれも紅葉を一と握り

菊山九園居

 掛稲の伊賀の盆地を一目の居

昭和19年

十月二十日。虹立つ。虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉に行んかと
いひし三国の愛子におくる。

 浅間かけて虹の立ちたり君知るや

 虹かゝり小諸の町の美しさ

 虹立ちて忽ち君の在る如し

 虹消えて忽ち君の無き如し

 麁朶(そだ)を負ひしめじの籠をくゝりさげ

昭和20年

四月十四日。立子と共に懐古園に遊ぶ。

 紅梅や旅人我になつかしく

四月二十七日 村上村上平、杜子美居の祭に招かる。

 春雷や傘を借りたる野路の家

九月二十二日。姨捨行。

 
今朝は早薪割る音や月の宿

九月二十三日。昨夜は小野憲一郎と言ふ人の家に一宿し今日は
隣駅稲荷山の長谷寺に向ふ。

 大和なる長谷寺よりも秋の雨

 月の雨こらへ切れずに大降りに

 友に肩たゝきもらふや秋の雨

 石段を上るにつれて初紅葉

十月二十四日 偶成

 与良氏(うじ)の墓木拱して紅葉せり

十一月五日。越前三国愛子居。

 冬の日をかくし大きな鳶一羽

 冬海や漁師は凪げば出るといふ

滝谷寺吟行。

 山門の左右に倒れし竹の春

 しめりたる落葉の上に又時雨

柏翠留別

 相逢ふて相別るゝも時雨つゝ

昭和21年

四月二十六日 二十五日素十と共に帰諸。此日小諸散歩所見

 桃咲くや足なげ出して針仕事

 山畑や鍬ふり上げて打下ろす

 畦にある桃が目じるし径曲る

七月一日。柳原極堂八十の賀。

 緑蔭に静にありて寿(いのちなが)

八月三十一日。富士山麓明見村、柏木白雨宅。

 椎茸の木を積み重ね水ほとり

九月一日、ホトトギス六百号記念下吉田大会。富士山麓下吉田、
月江寺。林鞆二の墓に詣る。

 羽を伏せ蜻蛉杭に無き如く

九月二十二日。ホトトギス六百号記念秋田大会。千秋公園二の丸
松下亭。高木宅滞在。

 取出す秋の袷や旅鞄

 柳散り蓮破れお濠尚存す

九月二十三日。秋田より能代へ行く。ホトトギス六百号記念能代
大会。金勇倶楽部。竹田旅館泊。

 秋晴や寒風山の瘤一つ

 秋晴や陸羽境の山低し

ホトトギス六百号記念、福岡俳句大会兼題。

 人々に伝はる噂稲を刈る

 粧へる筑紫野を見に杖曳かん

十月八日。加賀松任在北安田、明達寺。

 草の実に急がずに曳く俥かな

 主先づうましと賞めてかます食ふ

 長き夜や老の必ず目覚む刻

 老僧の盲ひて榻(しじ)に秋彼岸

十月九日。ホトトギス六百号記念金沢俳句会。鍔甚。

 石段を下り来て映る秋の水

 盲ひたりせめては秋の水音を

 秋晴や盲ひたれども明かに

十月十日。浅野川畔逍遥、竹女邸披講。

 物漬けて即ち水尾や秋の川

十月十二日。昨夜愛居泊り。東尋坊一見。

 百丈の断崖を見ず野菊見る

 野菊叢(むら)東尋坊に咲きなだれ

 秋の波岩に遊べり章魚を突く

 病む人に各々野菊折り持ちて

三国俳句会。瀧谷寺。

 秋雨のなつかしきかな諸子に逢ふ

 迎へ傘三国時雨に逢ひにけり

愛子枕頭小句会

 明日よりは病忘れて菊枕

十一月十日。ホトトギス六百号記念、四国俳句大会。琴平公会堂。
桜屋二泊

 たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

 老禰宜の紅葉かざして祭顔

 伝奇にも酒手くれうぞ紅葉駕

 片棒は凡哉なりしか紅葉駕

十一月十四日。ホトトギス六百号記念別府俳句大会。小池森閑居。
なるみ。岡嶋多比良居。

 わが旅や到るところに菊を生け

 菊生けて配膳青き畳かな

 旅枕きのふの時雨けふ思ふ

十一月十八日 昨日ホトトギス六百号記念福岡俳句会に列席し、
甘木、上野嘉太櫨居一泊。
秋月に父曽遊の跡を訪ふ。

 一枚の紅葉且つ散る静かさよ

 わが懐ひ落葉の音も乱すなよ

 濃紅葉に涙せき来る如何にせん

 父恋ふる我を包みて露時雨

 秋耕の鍬ひゞき来る明かに

 稽古場の跡は此処ぞと菊残る

 その跡を訪ふ四十雀五十人

立花邸に於けるホトトギス六百号記念柳河俳句会を終へ、久留米、
いかだ、小句会。一泊。

 父を恋ふ心小春の日に似たる


十二月一日。『ホトトギス』六百号記念北関東俳句会。高崎、宇喜代。
成田山泊。

 金屏に描かん心山聳え

 もてなしは門辺に焚火炉に榾火

十二月二日。成田山にて小句会。

 四隅なる金具古風に火鉢かな

 火鉢に手かざすのみにて静かに居

十二月十九日。句一歩、占魚、健一、格太郎來。小諸山廬。

 雪の上に引く縄見ゆる雀罠

 風花の今日をかなしと思ひけり

 風花に山家住居もはや三年

諸氏と共に美寿子居に行く。

 凍道(いてみち)を小きざみに突く老の杖

 御馳走の熱き炬燵に焦げてをり

昭和22年

八月二十九日 戸隠行。長野俳人、素十、春霞、立子と共に。犀川東道。

 虫の音に鳴き包まれてよき寝覚め

 割合に小さき擂粉木胡麻をすり

 昼寝してゐる間に蕎麦を打ちくれて

 戸隠の山々沈み月高し

十月五日。桃花會。小諸山廬。

 案山子我に向ひて問答す

 遠山の雪に近くの紅葉まだ

 人々に更に紫苑に名残あり

 俳諧の炉火絶やさずに守り給へ

 俳諧の木の実拾ひに又来べし

 黄しめじを又つが茸を貰ひけり

 秋晴の名残の小諸杖ついて

昭和23年

六月十日。氷川丸乗船。

 舷側の夏潮早し伏して見る

 堪へ難き船の西日や下甲板

 夏海や一帆の又見え来る

六月十五日。自動車にて、札幌を経、登別温泉行き。

 北海の梅雨の港にかゝり船

 今朝もまた海霧のかゝるポプラかな

 草履ばき裸で馬に乗つて来し

六月十六日。登別滝の家泊り。第一滝本を見、カルルス温泉に遊び、
午後俳句会。

 三千の浴客そろひ浴衣かな

 よくぞ来し今青嵐につゝまれて

六月十七日。白老海岸。真證寺に休憩、小句会。支笏湖畔、郵便
局長官舎泊り。

 冬海や一隻の舟難航す

 難航の梅雨の舟見てアイヌ立つ

 梅雨寒の白老村といふはこゝ

 梅雨寒も蝦夷は厳しと思ひけり

六月十八日。湖畔翠明館にて俳句会。自動車にて札幌に向ふ。本
願寺別院一泊。

 はまなすの棘が悲しや美しき

 はまなすの棘が怒りて刺しにけり

 山の湖の風雨雷霆常ならず

 牧草に馬も仔馬も鼻うめて

六月二十日。映画カルメンを見る。中島公園吟行。北辰病院句会。

 岸草にボート鼻突き休みをり

 這ひ上る蟻を感ぜす居たりけり

十月四日 我国灯台創設八十年記念の為め、灯台守に贈る句を徴
されて、剣崎灯台吟行。

大久保海上保安庁長官、橋本灯台局長、星野立子と共に。

 秋風や灯台守と歓談す

 灯台守芒がくれに物干せる

 現し世や沙翁にもあるテムペスト

 台風や灯台守の妻われも

 霧如何に濃ゆくとも嵐強くとも

十一月三日二尊院句碑除幕式。天龍寺にて記念句会。法筐院泊。

 参会の人に時雨は木の毒な

十一月二十四日 山梨明見町大明見、柏木白雨居泊り。句碑除幕。

 柿を食ひながら来る人柿の村

修祓の神主の袖散紅葉

昭和24年

四月二十六日。七尾に向ふ。柏翠、坤者同乘。七尾公園、七尾俳
句会、和倉、加賀屋泊り。

 河北潟見ゆる限りの霞かな

 昔この三里の渡し今霞む

 能登の畑打つ運命(さだめ)にや生れけん

四月二十七日。加賀屋にて句謠会。素十、櫻坡子来り会す。午後
輪島に行き鳳来館泊り。

 家持の妻恋舟か春の海

 能登言葉親しまれつゝ花の旅

 春も亦北国日和定めなき

五月一日。非無を訪ひ、永久女を見舞ふ。加賀松任在北安田、
達寺


 老松もあり老柳も老僧も

 山吹の花の蕾や数珠貰ふ

 老僧と一期一会や春惜しゝ

 本堂の横を流るゝ春の水

 惜春や金沢を経て明達寺

 諸共に病忘れて春惜む

 春惜しゝ人の別れも亦惜しゝ

十月十九日。(十月十八日出発。四国九州の旅に上る。)「龍巻」
二百号記念俳句大会、高知市会議事堂。筆山荘泊り。

 海底に珊瑚花咲く鯊を釣る

 十月の雲の峰たつ土佐に来し

昭和26年

九月十四日 須磨、保養院の跡を訪ひ、須磨寺小集

 人恋し須磨寺の蚊にさゝれつゝ

 須磨寺の鐘又鳴るや秋の暮

 月を思ひ人を思ひて須磨にあり

 秋風に散らばりし人皆集(よ)りし

九月十六日 道後鮒屋著 石手寺に行き地蔵院に小憩住僧におく


 こゝに住み泥鰌鮒など友として

東野を通る

 秋の蚊や竹の御茶屋の跡はこゝ

 ふるさとの此松伐るな竹伐るな

 思ひ出となるべき秋の一夜かな

 西日去る一間幅の広き縁

九月二十三日 鬼貫の墓に参る

 花筒をそよりと出たる秋蚊かな

 秋風の伊丹小町今通る

 酒蔵の秋の日影をなつかしみ

昭和27年

五月二十五日 金剛峯寺

 千株の金剛峯寺の牡丹かな

 人の世の今日は高野の牡丹見る

 牡丹の咲き澄む庭の真中かな

五月二十六日 滞在

 朝牡丹小僧走りて雨戸開く

奥の院

 若死の六十二とや春惜む

大麻唯男、亡き娘栄子の為め長谷観音境内に観音像を建立し、そ
の台石に彫む句を徴されて

 永き日のわれ等が為の観世音

 雪の暮花の朝の観世音

九月二十八日 俳句大会 河鹿荘

 さびしかりしよべの十日の月を思ふ

 吉野屋の愛子踊りし部屋ぞこれ

九月二十九日 河鹿荘 にて

 秋水の音高まりて人を思ふ

十一月八日 遠入たつみ邸に建つるといふ句碑の句

 故里の山国川に鮎釣ると

城島台、句碑除幕

 赤白の餅の飛び交ふ草紅葉

 落したる句帳を隠す草紅葉

 枕許の秋灯しばしば点けて消し

十一月九日 高崎山万寿寺別院 句謡会

 謡会終りてしばし夕紅葉

 人顔はいまだ定かに夕紅葉

十一月十日 小国を突破して阿蘇外輪山に至る

 小国町南小国村芋水車

 秋晴の大観峰に今来り

十一月十一日 昨夜、笹原耕春居に泊 俳句会

 小鳥の声ポンプの音と明けそめぬ

火の宮境内

 散紅葉して暫くは何も無し

十一月十二日 昨夜も亦耕春居泊り

 かけて見せ外しても見せ芋水車

熊本行途中 大観峰附近にて

 わがために龍胆摘みくれぬ霧の中

堅田に水中句碑建つ 十一月三十日除幕式 杞陽に代理を頼む

 時雨るゝと小春日和とどちらでも

十二月五日、大和郡山、永慶寺の句碑除幕に、尼寺を出て柳澤家
にある、伏見元子幕を引きくるゝとの事

門を出て柳の糸に触れても見

昭和28年

二月二日 伊予西条在飯岡村秋都庵にある我が外祖父母の墓畔に
句碑を建てると、山岡酔花の切望せるに応へて句を送る。外祖父
山川市蔵は若くして浪人し松山藩外に在りて寺小屋などをし生涯
を此町に終りたると聞く

 惟る御生涯や萩の露

「心」より斎藤茂吉の悼句を徴されて

 春雷の美しく鳴り移りたる

極堂米寿賀

 春風の伊予の湯の句のあるが故に

子規、虚子並記の句碑、須磨に建つ由

 君と共に再び須磨の涼にあらん

六月八日 大野万木句碑 長谷観音境内に建ちたるに招かれて

 梅雨やむも降るも面白けふの事

十月三十日 長崎に於ける去来二百五十年祭

 花すゝき去来先生いまそかり

 俳諧の月の奉行や今も尚

昭和29年

八月三十日 非無和尚逝去

 旅にして秋風君の訃に接す

十月七日 当年の常盤会寄宿舎舎生でありし人々、鳴雪墓前に「一
系の天子」の句碑を建てる由 相原熊太郎より申し来りければ

 追慕する人々も皆鬢の霜

昭和30年

五月十四日 飛行機 板付著 福岡県二日市 玉泉閣

 更衣したる筑紫の旅の宿

五月十六日 熊本、江津荘 芭蕉林

 此処に来て故人に逢ひぬ芭蕉林

 軒にある菖蒲しなびて俳句会

 芭蕉の女我に怨ずることありぬ

 蒲團あり來て泊れとの汀女母

五月十七日 三角港より有明湾を渡る 島原泊り

 夏霞談合島と云ふがあり

 山さけてくだけ飛び散り島若葉

 夏草に恋し一揆の物語

 湾涼しシンガポールに似たるかな

長崎滞在

 長崎の古き料亭青簾

五月十九日 日見峠に去来の芒塚を見、井上米一郎に寄す

 芒塚程遠からじ守るべし

有田に向ふ 深川別邸泊り

 大村湾に沿うて暫く麦の秋

五月二十日

 新聞を犬咥へ来る明易き

 明易や時刻違へて起き出でし

 蚊のをらぬ有田と聞けば旅楽し

 美しき故不仕合せよき袷

 南山の緑に対す主客かな

五月二十二日 甘木市、丸山公園

 一切れの菓子食べ新茶飲みしこと

 風薫る甘木市人集ひ来て

原鶴温泉、小野屋泊り

 夜振火の二つ相寄り相離れ

 蛍飛ぶ筑後河畔に佳人あり

五月二十四日 須磨の句碑を見、垂水の千原新居を訪ふ

 娘の宿はたとへ狭くも風薫る

夕刻、京都山科御陵、橙重居著

 夕立に傘傾けてはつ子来ぬ

五月二十五日 坂本滋賀院 祖先祭 雷鳴

 中堂を焼きたる雷と思ひつゝ

鹿ヶ谷のミユラー初子母堂を訪ふ 再び橙重居

 蔵の扉を開けて涼しや客設け

五月二十六日 素十新居を訪ふ 午後橙重山荘にて句会

 足悪き故いつまでも端居かな

十月三十一日 松山帰省途中

 関ヶ原過ぎて伊吹の明の春

十一月六日 山科に素十居を訪ふ 散策

 稲架つくる爺と話して素十心富む

十二月九日 物芽会 光則寺

 老僧の病臥の障子日当りて

 障子閉ざし老僧病むと聞く許り

 三方に山ある故に寺寒し

 枯葎なれどもそれに秩序あり

昭和31年

板谷峠を越ゆる

 稲舟の最上の川の水上ぞ

 天童に浴みせりけり明日は羽黒

 二万石の城下なりける田植かな

駕籠にて羽黒に登る

 駕籠二挺守らせ給へほとゝぎす

 二千五百級の石段ほとゝぎす

 手を当てぬ一千年の大夏木

 羽黒なる出羽の神や明易き

 俳諧を守りの神の涼しさよ

別に祈願といふものなし

きのふの事けふの事皆神涼し

 何事も神に任せて只涼し

 大杉の又日を失し蔓手毬

十月四日 金沢、高木を訪ふ 松風閣にて句会 「河北潟」一見

 蘆葺の舟小屋ありて蘆の間

 ちよと舟の艪を取り持ちて蘆間より

 暁烏文庫内灘秋の風

前日金沢大学にて暁烏文庫を一見せり
十月六日 比叡山滋賀院 祖先祭

 旅の風邪いたはり乍ら力(つと)めけり

 石崖に噴き出してをる彼岸花

十月七日 関西稽古会、第一回 近江堅田祥瑞寺 途に走井月心
寺に立寄る

 秋晴の琵琶湖の水を見て飽かず

 秋風や独潭和尚健在なりし

稽古会、第二回 堅田、余花朗邸

 秋晴の第二日目や湖に浮ぶ

 秋水に石の柱や浮御堂

昭和32年

四月十一日 松任在北安田、明達寺。松任、聖興寺 金沢、浄誓寺を訪ふ

 嘗て手を握りし別れ墓参り

 旅こゝに序参りの千代の墓

「東山」新発行所を得、橙重に贈る

 東山西山こめて花の京

十月二日 京都東山橙重居 知恩院の句碑を見、橙重庵の句碑を
見る 立子と共に

 秋晴や京の町行く京女

 秋の雲浮みて過ぎて見せにけり

 敷石のつゞく限りや萩の散る

 青竹の手摺が出来て水を打ち

十月四日 敦賀行 立子と共に

 萩やさし敦賀言葉は京に似て

 尊さや気比の宮原粧へり

気比の松原

 松原の続く限りの秋の晴

 籐椅子置き気比の松原歩きもし

 静かさやあるかなきかの秋の波

十月五日 芭蕉の遊びたる色ケ浜に遊ぶ

 萩ちぎり羚羊にやり遊びけり

 二村は刈田二枚に三世帯

 海老を干し且稲を干し名古の浜

色ケ浜本隆寺 芭蕉忌法要

 住居とも見ゆる寺あり稲架けて

 二三杯温め酒に色の浜

 芭蕉忌やますほの小貝拾ひもし

 秋風にもし色あらば色ケ浜

十月七日 柳原極堂死す(陰暦八月十四日 子規の逝きたるは同じく陰暦十七日なりし)

 十四日月明らかに君は逝く

昭和33年

四月二十七日 甘木、秋月の句碑除幕に列し、門司行 二十八日
 関門トンネル開通祝賀句会列席の為め門司、岡崎旅館泊り

二十八日 夜汽車帰東

 春雨の朝湯を出でゝ旅のやど

 老いて尚雛の夫婦と申すべく

五月二十六日 川崎大師、句会

 薔薇の花少くなりし薔薇の門

 かりそめに人人らしめず薔薇の門

本堂改築竣工

 金色の涼しき法の光かな

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