静 岡
修善寺温泉「新井旅館」
天気も良くないので、出掛ける所もない。「新井旅館」の登録文化財ガイドに参加することにした。 「15名様限定」で、「定員の為、お断りさせて頂くことが多くなりました。」ということだったが、参加者は2人だけ。 |
明治42年(1909年)、島崎藤村、田山花袋、蒲原有明らは大仁(おおひと)から修善寺温泉まで歩き、「新井旅館」に泊まる。 |
『伊豆の旅』 |
案内してくれたのは、若くてきれいなフロントのおねえさんだった。文化財よりも、こちらの方に感動した。 川端龍子は毎年修善寺を訪れ、「新井旅館」天平大浴堂の「ゆあみ」、池の鯉の「魚紋」などの作品を残している。ロビーの扁額「明月荘あらゐ」は龍子が書いたものだそうだ。 |
川端茅舎は川端龍子の異母弟、茅舎も「新井旅館」を訪れているかも知れない。おねえさんは川端茅舎など知らないと言う。 |
ひらひらと月光降りぬ貝割菜 |
ぜんまいののの字ばかりの寂光土 |