虚子の句碑

惟る御生涯や萩の露



西条市飯岡の松山自動車道の高架下に秋都庵がある。

二月二日 伊予西条在飯岡村秋都庵にある我が外祖父母の墓畔に
句碑を建てると、山岡酔花の切望せるに応へて句を送る。外祖父
山川市蔵は若くして浪人し松山藩外に在りて寺小屋などをし生涯
を此町に終りたると聞く

 惟る御生涯や萩の露


秋都庵


秋都庵は、正式には室山義通寺といいます。

この付近から、秋之室山の紅葉がひときわ美しく見えるので、昔から“秋の都”と呼ばれていました。ある時、小松藩主一柳直卿(なおあきら)公より、お寺の庫裏に「秋都庵」の題字を賜わってから、秋都庵と呼ばれ親しまれるようになりました。

また、俳人高浜虚子が外祖父母の墓参りをした際に詠んだ句碑が建っています。

左手に高浜虚子の句碑があった。


惟る
 御生涯や
   萩の露

昭和29年(1954年)9月、竣工。

昭和30年(1955年)4月10日、除幕。

 いまは愛媛県西条市に編入された飯岡の秋都庵には虚子翁外祖父母の墓がある。昭和二十八年二月の「句日記」に、

二月二日。伊予西条在飯岡村秋都庵にある我が外祖父母の墓畔に句碑を建てると、山岡酔花の切望せるに応へて句を送る。外祖父山川市蔵は若くして浪人し、松山藩外に在りて寺子屋などをし生涯を此地に終りたると聞く。

   惟る御生涯や萩の露

と見えて居る。松山藩士山川市蔵は仔細あって、主家を去り、仮の名を真野幸右衛門と称し、飯岡の里に寺子屋を開き、妻女は鼓の師匠をしてこの地に不遇な一生を終ったひとである。この市蔵という人も能の鼓に堪能であったという。


昭和36年(1961年)5月6日、星野立子は高浜虚子の句碑を見ている。

 二時の汽車で西条行 秋都庵に父の句碑を見にゆく

惟る御生涯や萩の露   虚子

 しみじみとした句碑であった。つるさんは殊のほかなつかしげに、其処にいつまでも佇んでいた。今度の旅の大きな目的はこの秋都庵を訪ねることであった。父の外祖父母に当る山川夫妻の終焉の地が此処西条とのことであって、父も昭和十三年の秋にはじめて墓参したのであった。

涼しさや御生涯といふ言葉

句碑の字を真似書して見涼しけれ


松山自動車道


虚子の句碑に戻る