2020年愛 媛

波止浜公園〜碑めぐり〜
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今治駅から渡し場経由波方行きのバスで、「渡し場」下車。

 波止浜公園は波止浜町の時代から町民の憩いの場とするための公園化を計画し、戦前には桜の植樹、登山道の開設、遊具施設などを整え、昭和13年に文部省から「名勝」の指定をうけました。波止浜公園を訪れた著名人も多く、寛政7年(1795年)に小林一茶が来遊し、河東碧梧桐、澄宮殿下、吉井勇、高浜虚子、今井つる女らの句碑や遊歩道、山頂の展望所など、周囲の自然美とあわせ理想的な環境にあります。

坂道を上る。

昭和15年(1940年)3月22日、高浜虚子は波止浜で句会。

三月二十二日。伊予波止浜、渦潮にて鴎句会。

美しき小島の多し春の海

 渦潮を率ゐ小島は春の島

 渦潮に日影つくりぬ春の雲

 骨蒸しに揃へて百の桜鯛


途中の東屋に高浜虚子の句碑があった。


春潮や和冦の子孫汝(なれ)と我

 昭和15年(1940年)早春、高浜虚子が高野素十・五十嵐播水・深川正一郎ら一門の俳人十余人と波止浜に遊んだ時の句。

昭和25年(1950年)5月、今井五郎建立。

 今井五郎は当時の波止浜町長で、虚子の姪・今井つる女の夫である。

 当初「和冦」の語に反対する意見もあったが、つる女はそのままが良いとして建立した。

 この句碑は昭和二十五年五月二十八日、愛媛県国立公園内の波止浜公園に建てられた。碑は高さ五尺、横八尺、御影の自然石。今井つる女氏の熱心な提唱により、波止浜句碑建設会の手で建設された。波止浜は曾て瀬戸内海における「倭寇」の根拠地せあったという説がある。寛文三年刊、香西成資著の「南海通記」に「明世宗嘉靖年中ニ、倭ノ賊船大明国ニ入リテ、其ノ辺境ヲ侵ス事アリ、是レ倭ノ後奈良帝ノ天文弘治ノ年ニ当ル(中略)四国伊豫ノ能嶋、来島、院島ノ氏族将帥ト成リテ、諸所ヲ誘キ来ラスモノナリ云々」とあった。(真下喜太カ氏考証)


原儀三郎の歌碑


諸人の集ふ園生に溢れつつ草木やしなへ玉のま清水

原儀三郎(嘉永6年〜昭和10年11年15日)

儀三郎は水の少ない波止浜公園の為井戸を掘っている。

明治25年(1892年)、建立。

山頂の展望所へ。


途中に今井つる女の句碑があった。


渦汐にふれては消ゆる春の雪

昭和15年(1940年)、高浜虚子一行が波止浜を訪れた時に詠んだもの。

明治30年(1897年)、今井つる女は松山市玉川町に生まれる。本名鶴子。

大正3年(1914年)、今井五郎と結婚。

昭和20年(1945年)5月、波止浜に疎開。

昭和39年(1964年)5月、今井つる女社中句碑建立。

山頂の展望所


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