高浜虚子の句

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昭和16年

五月三十日。新田義美、坂本和子、それに章子を伴ひ、「つばめ」
にて下阪。満鮮の旅に上る。行を伴にすべかりし立子病んで、鎌倉
病院入院。

 旅のわれ病院の汝明易き

正午あるぜんちな丸に乗船。若沙、年尾、一行に加る。

 灯台のある岩ありぬ夏の海

立子に贈る。

 灯台の灯を涼しとも悲しとも

六月一日。門司着。福岡の俳人達に擁されて上陸。和布刈神社に
至る。門司甲宗八幡宮にて披講。「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな
宗祇」の句を刻みたる碑あり。

 夏潮の高低こゝに門司ケ関

 船虫の人に馴れ這ふ和布刈かな

 夏潮の今退く平家亡ぶ時も

 夏潮や上りかねたる船二艘

十月二日。天台座主渋谷慈鎧氏より松茸を贈り来る

 松茸の香りも人によりてこそ

同日。観月句会、海晏寺

 月を待ち白雄の墓に詣りけり

 新聞をほどけば月の芒かな

 禅寺の境内にして良夜かな

昭和17年

五月四日。みづほ 素十 中村桐花と遊行寺境内に遊ぶ。

 緑して装ひ成りし大樹かな

 境内やところどころに大夏木

 墨をもて描きし如き夏木かな

九月二十六日。観月会。上野公園。寛永寺

 子規墓参それより月の俳句会

 わが墓参済むを静に待てる人

 年老いて秋の彼岸の墓まゐり

 宵闇か非ず一と時月の雨

 大寺に隣す小寺月今宵

 大広間蚊遣乏しく置かれけり

 誰々ぞ月の句会の人の顔

九月二十八日。玉藻俳句会。淺草、伝法院

 秋の雨月はもとより無かりけ

 秋雨に濡れたる顔の光りかな

 大広間秋を坐断しひとりをる

 枝降りの正しき柿の大樹かな

十一月二十二日。長泰寺に於ける花蓑追悼会に句を寄す。

 泉石に魂入りし時雨かな

 天地の間にほろと時雨かな

昭和18年

一月七日。小石川、護国寺

 道のべの延命地蔵古稀の春

二月十三日。大谷句佛追悼。

 立春の光りまとひし佛かな

三月七日。柳原極堂に贈る。

 極堂は子規と同庚梅の花

三月二十六日。廿四日神戸より錦丸乗船道後鮒屋にあり。連日墓
参、故旧訪問、俳友招宴等。此日赤十字病院海軍傷病兵慰問。傷
病兵に此日某病院にて。

 ふるさとに花の山あり温泉あり

三月二十七日。清水東山子に会す。愛媛県立図書館にて俳諧文庫
会結成式。終つて講演会。又続いて子規座談会。廿八日、横河原
行き、見奈良の愛媛療養所に於て俳句批評。其夜は宿にて末子、
月影、浜子、晋平、立子と会食。三月二十九日。銀行集会所の午
餐に招かる。午後風早の西の下に赴く。豊田、猪野等に迎へられ
猪野宅招宴。

 麗かにふるさと人と打ちまじり

 風強し防風摘まんと浜に出る

 末子先づ防風見つけてうれしけれ

 ふるさとに防風摘みにと来し吾ぞ

 砂浜を斯く行く防風摘みながら

 防風積む波のさゝやき聞きながら

 何事も春や昔と思ほゆる

乗船

 春雨の叩くキヤビンの窓に立つ

五月十二日。近江坂本、延暦寺に渋谷座主を訪ひ、転じて紀州
歌ノ浦
望海楼に赴く。春泥招宴。

 いかなごにまづ箸おろし母恋し

成田の額堂に七代目団十郎の石像があつたが、久しく鼻が缺けた
まゝになつてゐた。七代目団蔵が之を嘆き、六代目団蔵の像と共
に別の銅像を建立した。今度襲名した八代目団蔵は七代目団蔵追
善供養の為め、其後撤去した銅像の残された台石の上に句碑を立
てることにした。

 凄かりし月の団蔵七代目

十一月十五日。昨夜八時五十分上野より乗車、金沢を過ぎて金津
駅下車。柏翠愛子・美佐尾の出迎を受け、それより三国に到る。
愛子居。

 里人の時雨姿の中にあり

 米倉は空しく干鱈少し積み

十一月十六日。芦原べに屋滞在。吉田郡椎谷村、永平寺に行く。

 野の道の時雨じめりや日もすがら

 毎日の時雨嬉しや旅つゞく

 黄葉山左右に迫りて永平寺

 滝風は木々の落葉を近寄せず

 廻廊を登るにつれて時雨冷え

 廻廊を登るにつれて紅葉濃し

 木々紅葉せねばやまざる御法かな

道元禅師。

 今も尚承陽殿に紅葉見る

十一月十七日。芦原出発、金津乗換、金沢に向ふ。金沢逍遥。

 何も彼も皆紅葉せり潟山津

 北国の時雨日和やそれが好き

十一月十八日。金沢、宮保旅館を出て雨中乗車。那谷観音には立
寄らず、山中、吉野屋に一泊。

 北国のしぐるゝ汽車の混み合ひて

 寒雨降る那谷の紅葉は見ずに過ぐ

 紅葉山見晴らす窓の置き鏡

 温泉(ゆ)に入りて暫しあたゝか紅葉冷え

 温泉(ゆ)に入りて皆沈みをり紅葉冷え

 寒くとも那谷の紅葉に廻りみち

一行と会食。金沢より追ひ来りたる一杉も席に在り。愛子の母わ
れを慰めんと唄ひ踊り愛子も亦踊る。

 不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く

十一月十九日。吉野屋を出で京都柊屋に泊。

 敦賀まで送り送られ時雨降る

 春水に沿ひ帯の如三国町

十一月二十一日。廿日は大阪毎日新聞社楼上に於ける、芭蕉
二百五十年忌俳句講演会に列席し、今日は大津義仲寺無名庵に於
ける芭蕉忌法要に列席、次いで膳所小学校に於ける俳句大会に列
席す。

 会衆は満ちぬ落葉は舞ふがまゝ

 無名庵に冬籠せし心はも

 袖無を著て湖畔にて老いし人

 湖の寒さを知りぬ翁の忌

 比良山の高きに鴨の渡りけり

十一月二十三日。昨夜は伊賀上野、友忠に泊る。この日愛染院
於ける芭蕉忌に列席。

 こゝ来てまみえし思ひ翁の忌

 笠置路に俤描く桃青忌

友忠旅館即事

 焚火するわれも紅葉を一と握り

菊山九園居

 掛稲の伊賀の盆地を一目の居

昭和19年

句佛一周忌追悼

 梅咲きぬ桜咲きぬと追悼す

四月二日。あふひ忌。青山善光寺

 隣る木は風を防ぎて花を守る

 一陣の風に俄に花曇

 一時(ひととき)を庭の桜にすごさばや

 行人を隠して垣や花の宿

 けふの花盛りと思ふ風雨かな

 さゝやかな句碑に花まだ早けれど

八月二十七日。高木餅花送別会を兼ね、鎌倉俳句会。星野立子居。

 秋蝉の声に包まれ静かに居

九月十日。之よりさき九月四日信州小諸に移住。年尾、古人、
と共に与良、小山榮一方にあり。六日朝年尾、古人、晴子帰る。
六日の晩食前より小山栄一の抱家野岸甲三二八八に移る。今日「奥
の細道」第二回演能の由申来りたる桜間金太郎に寄す。

 此頃はほゞ其頃の萩と月

小山武一一泊帰休を得て帰る。

 親子相語りて浅間秋の晴

十月九日。土筆会員と近郊散策。

 秋晴の浅間仰ぎて主客あり

 秋晴の裾野に小さき小諸町

 手ちがひの四日続ける秋の雨

 諸君率て小諸町出て秋の晴

 街道を貫く町や粟を干す

十月二十日。虹立つ。虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉に行んかと
いひし三国の愛子におくる。

 浅間かけて虹の立ちたり君知るや

 虹かゝり小諸の町の美しさ

 虹立ちて忽ち君の在る如し

 虹消えて忽ち君の無き如し

 麁朶(そだ)を負ひしめじの籠をくゝりさげ

十一月五日。越前三国愛子居。

 冬の日をかくし大きな鳶一羽

 冬海や漁師は凪げば出るといふ

滝谷寺吟行。

 山門の左右に倒れし竹の春

 しめりたる落葉の上に又時雨

柏翠留別

 相逢ふて相別るゝも時雨つゝ

十一月十日。同上。

 しぼりたる牛乳(ちち)飲む朝の炬燵かな

 山国の冬は来にけり牛乳を飲む

 からからと鳴りをる小夜の稲扱機

 一塊の冬の朝日の山家かな

十一月十二日。虚子慰問信州俳句大会。小諸草庵、小山栄一宅。

 土音健在村一番の稲架作り

 通り見るよべ迷ひたる落葉径

 落葉踏みすべり尻もちつき笑ふ

 名を教へ浅間連峰寒からず

 我寒さ訪ひつどひ来る志

 冬山路俄にぬくきところあり

 下り来るも登るも落葉籠背負ひ

 落葉籠背負ひし群をやり過ごす

 落葉踏むばさといふ音待設け

 我さむき訪ひ集ひくる志

昭和20年

三月十一日。偶成。

 風多き小諸の春は住み憂かり

 蓼科に春の雲今動きをり

三月十六日。即事。

 見事なる生椎茸に岩魚添へ

四月十四日。立子と共に懐古園に遊ぶ。

 紅梅や旅人我になつかしく

四月二十七日 村上村上平、杜子美居の祭に招かる。

 春雷や傘を借りたる野路の家

五月十四日。年尾、比古来る。

 山国の蝶を荒しと思はずや

 紙魚のあとひさしのひの字しの字かな

六月二十八日。宮坂古梁主催小句会。小諸懐古園内、山城館。

 熱き茶をふくみつゝ暑に堪へてをり

 古城趾といふ石垣のさいたづま

 城趾暗し夏雲はたと日をかくし

九月二十二日。姨捨行。

 今朝は早薪割る音や月の宿

九月二十三日。昨夜は小野憲一郎と言ふ人の家に一宿し今日は
隣駅稲荷山の長谷寺に向ふ。

 大和なる長谷寺よりも秋の雨

 月の雨こらへ切れずに大降りに

 友に肩たゝきもらふや秋の雨

 石段を上るにつれて初紅葉

十月二十四日 偶成

 与良氏(うじ)の墓木拱して紅葉せり

十一月四日。土筆会の続き。

 大根を鷲づかみにし五六本

 菊の酒借りて返すも懇意中

十一月五日。越前三国愛子居。

 冬の日をかくし大きな鳶一羽

 冬海や漁師は凪げば出るといふ

滝谷寺吟行。

 山門の左右に倒れし竹の春

 しめりたる落葉の上に又時雨

柏翠留別

 相逢ふて相別るゝも時雨つゝ

十二月六日。昨日の続き。

 炬燵にもあだには時を過ごすまじ

 句を玉と暖めてをる炬燵かな

 何事もぬるき炬燵も亦よろし

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