高浜虚子の句

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昭和21年

三月十三日。迷子、孔甫、泰、章子と共に。

 残雪の這ひをる畑のしりへかな

 薪を割る人に残雪遠くあり

晴子より病よしとの便り来る。

 遠く居る子は春霞親心

四月二十六日 二十五日素十と共に帰諸。此日小諸散歩所見

 桃咲くや足なげ出して針仕事

 山畑や鍬ふり上げて打下ろす

 畦にある桃が目じるし径曲る

六月三日。俳小屋開き。

 誹諧の火とはこれかやいざ焚くかん

 誹諧の火は涼しとも暑しとも

七月一日。柳原極堂八十の賀。

 緑蔭に静にありて寿(いのちなが)

八月二十九日 小海線に搭乗、甲州下部温泉に到る。
下部ホトトギス六百号記念俳句会。

 蝋燭の灯に読む人や露の宿

 酒折の宮はかしこや稲の花

 裸子をひつさげ歩く温泉(ゆ)の廊下

 向ふ側西日の温泉(ゆ)宿五六軒

 前通る人もぞろぞろ橋涼み

 橋涼み温泉(ゆ)宿の客の皆出でゝ

八月三十一日。富士山麓明見村、柏木白雨宅。

 椎茸の木を積み重ね水ほとり

九月一日、ホトトギス六百号記念下吉田大会。富士山麓下吉田、
月江寺。林鞆二の墓に詣る。

 羽を伏せ蜻蛉杭に無き如く

九月二十日。新潟より秋田へ行く。秋田、高木餅花宅。金谷旅館泊。

 汽車を見て立つや出水の稲を刈る

 忽ちに雨面白や稲架濡れて

 旅楽し沖の小岩に秋の波

 風吹いて葛の葉とんで夕立かな

九月二十二日。ホトトギス六百号記念秋田大会。千秋公園二の丸
松下亭。高木宅滞在。

 取出す秋の袷や旅鞄

 柳散り蓮破れお濠尚存す

九月二十三日。秋田より能代へ行く。ホトトギス六百号記念能代
大会。金勇倶楽部。竹田旅館泊。

 秋晴や寒風山の瘤一つ

 秋晴や陸羽境の山低し

九月二十六日。直江津五智、和倉楼一泊。ホトトギス六百号記念
頚城俳句会。光源寺。

 野菊にも配流のあとの偲ばれて

十月八日。加賀松任在北安田、明達寺

 草の実に急がずに曳く俥かな

 主先づうましと賞めてかます食ふ

 長き夜や老の必ず目覚む刻

 老僧の盲ひて榻(しじ)に秋彼岸

十月九日。ホトトギス六百号記念金沢俳句会。鍔甚。

 石段を下り来て映る秋の水

 盲ひたりせめては秋の水音を

 秋晴や盲ひたれども明かに

十月十日。浅野川畔逍遥、竹女邸披講。

 物漬けて即ち水尾や秋の川

十月十二日。昨夜愛居泊り。東尋坊一見。

 百丈の断崖を見ず野菊見る

 野菊叢(むら)東尋坊に咲きなだれ

 秋の波岩に遊べり章魚を突く

 病む人に各々野菊折り持ちて

三国俳句会。瀧谷寺。

 秋雨のなつかしきかな諸子に逢ふ

 迎へ傘三国時雨に逢ひにけり

愛子枕頭小句会

 明日よりは病忘れて菊枕

十月十六日。芦屋、年尾居新築庵開き句会。

 枝豆と栗をうでたる許りなり

 菊生けてこゝの柱にかく凭れ

十月十九日。名古屋中村公園。牡丹会吟行。

 よろめいて杖に支へつ秋の晴

 石に腰すれば親しや赤のまゝ

十月二十一日。年尾と別れ立子と同行。下諏訪、みなとや泊り。

塩尻峠。

 自動車に埃かゝりし紅葉濃し

十月二十四日。和田峠を越え小諸へ帰る。

 日を背に龍田姫立つ山紅葉

ホトトギス六百号記念、福岡俳句大会兼題。

 人々に伝はる噂稲を刈る

 粧へる筑紫野を見に杖曳かん

十一月十日。ホトトギス六百号記念、四国俳句大会。琴平公会堂
桜屋二泊

 たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

 老禰宜の紅葉かざして祭顔

 伝奇にも酒手くれうぞ紅葉駕

 片棒は凡哉なりしか紅葉駕

十一月十一日。松山行車中。

 秋の雲雲辺寺とは彼処とや

 柿赤く旅情漸く濃ゆきかな

 鳥渡る浜の松原伝ひにも

十一月十二日。昨夜道後鮒屋泊。松山焼跡の明楽寺、蓮福寺、お
築山等の墓に詣る。酒井黙禅居。

 それぞれの形の墓を拝みけり

 旅の塵払ひもあへず墓詣

 ひたすらの祖先の墓を拝みけり

 詣るにも小さき墓のなつかしく

 小さき墓その世のさまを伏し拝む

 墓詣残る香煙振りかへり

十一月十三日。ホトトギス六百号記念松山俳句会。正宗寺子規堂。

 斯く石にもたれて菊を見ることも

 城を見て菊を作りてたのしめり

十一月十四日。ホトトギス六百号記念別府俳句会。小池森閑居。
なるみ。岡嶋多比良居。

 わが旅や到るところに菊を生け

 菊生けて配膳青き畳かな

 旅枕きのふの時雨けふ思ふ

十一月十六日。小倉。玉藻俳句会。丸橋静子居。

 かりそめに描かん心郁子を見る

 瓶青し白玉椿挿はさむ

 耳しひし老に笹鳴来ては去り

 昼酒に少し酔ひたり小六月

福岡、鷹の巣、貝島素燈邸一泊。

 客室は別棟にあり雁渡る

十一月十八日 昨日ホトトギス六百号記念福岡俳句会に列席し、
甘木、上野嘉太櫨居一泊。
秋月に父曽遊の跡を訪ふ。

 一枚の紅葉且つ散る静かさよ

 わが懐ひ落葉の音も乱すなよ

 濃紅葉に涙せき来る如何にせん

 父恋ふる我を包みて露時雨

 秋耕の鍬ひゞき来る明かに

 稽古場の跡は此処ぞと菊残る

 その跡を訪ふ四十雀五十人

立花邸に於けるホトトギス六百号記念柳河俳句会を終へ、久留米、
いかだ、小句会。一泊。

 父を恋ふ心小春の日に似たる

十二月一日。『ホトトギス』六百号記念北関東俳句会。高崎、宇喜代。
成田山泊。

 金屏に描かん心山聳え

 もてなしは門辺に焚火炉に榾火

十二月二日。成田山にて小句会。

 四隅なる金具古風に火鉢かな

 火鉢に手かざすのみにて静かに居

十二月十九日。句一歩、占魚、健一、格太郎來。小諸山廬。

 雪の上に引く縄見ゆる雀罠

 風花の今日をかなしと思ひけり

 風花に山家住居もはや三年

諸氏と共に美寿子居に行く。

 凍道(いてみち)を小きざみに突く老の杖

 御馳走の熱き炬燵に焦げてをり

昭和22年

四月一日。病中愛子におくる。

 虹の橋渡り交して相見舞ひ

四月二日。愛子死去の報到る。

 虹の橋渡り遊ぶも意のまゝに

今井五郎、波止浜の町長になりし由祝句。

 浜焼の鯛の長とは頼もしき

七月九日。愛子百ヶ日。

 無くて過ぐ昼寝の夢に見ることも

七月十二日。土曜会一周年。小諸故郷宅。折から来諸中の杞陽、
柏翠、素顔、香葎、三拍子も出席。

 連峰の高嶺々々に夏の雲

 黒蝶の何の誇りも無く飛びぬ

 涼し過ぎ少し日向に出てみたり

 涼風の墓を揺がすばかりなり

 草の穂のわが顔撫でて吹撓み

八月二十九日 戸隠行。長野俳人、素十、春霞、立子と共に。犀川東道。

 虫の音に鳴き包まれてよき寝覚め

 割合に小さき擂粉木胡麻をすり

 昼寝してゐる間に蕎麦を打ちくれて

 戸隠の山々沈み月高し

八月三十日。戸隠宝光社、富岡滞在。

 いにしへの旅の心や蚤ふるふ

 時に出る老の力や秋の風

 山霧の襲ひ来神楽今祝詞

十月五日。桃花會。小諸山廬。

 案山子我に向ひて問答す

 遠山の雪に近くの紅葉まだ

 人々に更に紫苑に名残あり

 俳諧の炉火絶やさずに守り給へ

 俳諧の木の実拾ひに又来べし

 黄しめじを又つが茸を貰ひけり

 秋晴の名残の小諸杖ついて

十月十一日。土曜会。本町。掛川故郷居

 蔓もどき情はもつれ易きかな

 こゝもとで引けばかしこで鳴子かな

十月二十六日。二十五日足掛け四年振りに鎌倉に帰る。鎌倉俳句
会。光則寺

 コスモスの倒れ臥すには至らざる

昭和23年

五月二十八日。菁々子来。拐童の弔句を託す。

 人来れば卯の花腐しそのことを

六月十日。氷川丸乗船。

 舷側の夏潮早し伏して見る

 堪へ難き船の西日や下甲板

 夏海や一帆の又見え来る

六月十五日。自動車にて、札幌を経、登別温泉行き。

 北海の梅雨の港にかゝり船

 今朝もまた海霧のかゝるポプラかな

 草履ばき裸で馬に乗つて来し

六月十六日。登別滝の家泊り。第一滝本を見、カルルス温泉に遊び、
午後俳句会。

 三千の浴客そろひ浴衣かな

 よくぞ来し今青嵐につゝまれて

六月十七日。白老海岸。真證寺に休憩、小句会。支笏湖畔、郵便
局長官舎泊り。

 冬海や一隻の舟難航す

 難航の梅雨の舟見てアイヌ立つ

 梅雨寒の白老村といふはこゝ

 梅雨寒も蝦夷は厳しと思ひけり

六月十八日。湖畔翠明館にて俳句会。自動車にて札幌に向ふ。
願寺別院
一泊。

 はまなすの棘が悲しや美しき

 はまなすの棘が怒りて刺しにけり

 山の湖の風雨雷霆常ならず

 牧草に馬も仔馬も鼻うめて

六月二十日。映画カルメンを見る。中島公園吟行。北辰病院句会。

 岸草にボート鼻突き休みをり

 這ひ上る蟻を感ぜす居たりけり

八月二十五日。長野句謡会。上林温泉、塵表閣

 絵の如き秋の山家と指しぬ

 鹿垣かあらぬかいたく崩れたる

 間引くのも羽虫とるのも一心

 何事もたやすからずよ菜間引くも

十月四日 我国灯台創設八十年記念の為め、灯台守に贈る句を徴
されて、剣崎灯台吟行。

大久保海上保安庁長官、橋本灯台局長、星野立子と共に。

 秋風や灯台守と歓談す

 灯台守芒がくれに物干せる

 現し世や沙翁にもあるテムペスト

 台風や灯台守の妻われも

 霧如何に濃ゆくとも嵐強くとも

十一月一日。昨夜夜汽車にて今朝京都著。午後迄柊屋旅館に休憩。
午後烏丸一條南中田余瓶居に行き小野竹喬、福田平八郎、金島桂
華、高倉観崖、吉井勇、谷崎潤一郎、年尾立子と共に会席の饗
に預る。

 ざくと噛みよゝとすゝるや柿の味

 水飲むが如く柿食ふ酔のあと

十一月三日二尊院句碑除幕式。天龍寺にて記念句会。法筐院泊。

 参会の人に時雨は木の毒な

十一月二十四日 山梨明見町大明見、柏木白雨居泊り。句碑除幕。

 柿を食ひながら来る人柿の村

修祓の神主の袖散紅葉

昭和24年

四月二十六日。七尾に向ふ。柏翠、坤者同乘。七尾公園、七尾俳
句会、和倉、加賀屋泊り。

 河北潟見ゆる限りの霞かな

 昔この三里の渡し今霞む

 能登の畑打つ運命(さだめ)にや生れけん

四月二十七日。加賀屋にて句謠会。素十、櫻坡子来り会す。午後
輪島に行き鳳来館泊り。

 家持の妻恋舟か春の海

 能登言葉親しまれつゝ花の旅

 春も亦北国日和定めなき

五月一日。非無を訪ひ、永久女を見舞ふ。加賀松任在北安田、
達寺


 老松もあり老柳も老僧も

 山吹の花の蕾や数珠貰ふ

 老僧と一期一会や春惜しゝ

 本堂の横を流るゝ春の水

 惜春や金沢を経て明達寺

 諸共に病忘れて春惜む

 春惜しゝ人の別れも亦惜しゝ

五月二十三日。浅虫温泉。前日青森高木餅花居に来る。立子、宵
子と共に。

 出て見よといふベランダに出て涼し

 遊船の舳のひとり剽軽な

 湯の島の薫風に舟近づきぬ

 百尺の裸岩あり夏の海

 遊船の女に少し波荒し

 みちのくの今日の林檎の花曇

十月十九日。(十月十八日出発。四国九州の旅に上る。)「龍巻」
二百号記念俳句大会、高知市会議事堂。筆山荘泊り。

 海底に珊瑚花咲く鯊を釣る

 十月の雲の峰たつ土佐に来し

高知句謡会。林並木訪問。貫之邸址の句碑を見、要法寺に於ける
玉藻句會に列席。

 わが終り銀河の中に身を投げん

十月二十日。筆山荘に在り。

 朝寒の時の太鼓を今責め打つ

十月二十一日。高知出発。この日琴平さくら屋泊り。車中。

 大杉を神とし祭り村祭

丸亀城址延寿閣に遊ぶ。

 稲筵あり飯の山あり昔今

 治績とは団扇をつくること其他

十月二十二日。波止浜に向ふ。光潮館泊り。

 稲筵つゞきに伊予に這入りけり

 春潮や和冦の子孫汝と我

 門司鳴門中に渦潮春の潮

十月二十四日。(十月二十三日松山大和屋別館泊り)松山玉藻会。

 鶴子最も亡兄の墓をふし拝む

 香煙に心を残し墓参り

 伊予の日の暑しと思ふ墓参り

十月二十五日。早朝別府に向ふ。別府、お多福泊り。船中。

 墓参して直ちに海に浮びけり

 秋潮にわがるり丸の浮びたる

 秋の波たゝみたゝみて日の国へ

十月二十六日。地獄巡り。

 温泉煙に絶えず揺れゐる烏瓜

 遠足にまじりて地獄めぐりかな

観海寺平山邸句謡会

 一疋の蝶に籾干す家かくれ

十月二十七日。城島台高原ホテルに遊ぶ。

 秋の山重り抱く温泉の里

 綿羊を飼ふための丘草紅葉

 丘二つ霧やゝ晴れてなだらかに

昭和25年

三月十九日 喜寿祝賀同人会。丸ビル精養軒。

 闘志尚存して春の風を見る

 春風の心を人に頒たばや

 春風の滑らかにして寒からず

潮崎五句。

 大島はすぐそこにあり花の雲

 飛魚とる舟か夜焚の舟かとも

 林なす潮の岬の崖椿

 林なす椿とそれに似たる木と

 一斉に雲雀の空を打仰ぎ

四月十一日 那智の滝に遊ぶ。宿前に同じ。

 年を経て再び那智の滝に来し

 この滝を神として斎くことはしも

 風吹けばすこし乱れて那智の滝

 千尺の神杉の上滝かゝる

 滝見駕青岸渡寺の玄関に

 花の下那智の聖といふに逢ふ

久保晴、和布刈神社境内に其句碑を建つるとのことにて句を徴さ
れて。

 宗祇の碑と並びあること先づ涼し

十月二十八日。八幡宮文墨祭。

 秋深く又一日の良き日和

 彼一語我一語秋深みかも

禅寺洞自ら川にて釣し鯊を干したるを送り来る。

 干鯊を食積の昆布巻にせん

十二月二十四日 玉藻会。光明寺

 霜白き屋根にカーテン引きし窓

 大伽藍聳ゆる上の冬の雲

 霜の菊讃へて未だ剪(き)らずをり

 霜の声聞ゆるあなたこなたかな

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