渉成園の名称は、陶淵明『帰去来兮辞』の「園日渉而成趣(園は日に渉って以て趣を成し)」に依る。 |
東本願寺の別邸で、周辺に植えられた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸とも呼ばれる。この地は、寛永18年(1641年)に徳川家光から寄進を受けた本願寺第十三代宣如上人が、承応2年(1653年)、石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところである。この地は、平安時代の初め、源氏物語のモデルともされる左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡に近く、作庭に際し、印月池と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現している。園内には、楼門傍花閣、書院ロウ(「門」+「良」)風亭、滴翠軒、臨池亭、茶席漱沈居、縮遠亭、持仏堂の園林堂、橋廊の回棹廊などいずれも蛤御門の変による大火後の再建であるが、庭園によく似合った建物が配されている。 昭和11年(1936年)、国の名勝に指定された。
京都市 |
昭和27年(1952年)5月23日、高浜虚子は枳殻邸へ。 |
同人会 京都 枳殻邸 月立たざるかなめ(※「木」+「要」)の花を眺めかな 伽羅は枯れゥ木は茂りたるまゝに 美人手を貸せばひかれて老涼し |
昭和37年(1962年)2月10日、高浜年尾は枳殻邸で京都ホトトギス会。 |
二月十日 京都ホトトギス会 枳殻邸 日脚のぶ車窓に眠り易きかな |
昭和41年(1966年)10月15日、星野立子は枳殻邸を訪れている。 |
十二時二十分大原発のバスで京都へ。 タワーホテルの地下、京藤でてんぷら定食を食べ、楠井光子さんに案内して頂いて枳殻邸へ。渡辺静子さんも来られ初対面の挨拶。予定の時間まで遊び、新幹線で帰途。 |