2015年福 岡

二日市温泉〜碑巡り〜
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JR鹿児島本線二日市駅前に野口雨情の歌碑があるというので降りてみた。


野口雨情の歌碑


山ぢゃ天拝月見の名所
   梅ぢゃ太宰府天満宮

梅と桜は一時にゃ咲かぬ
   うすらおぼろの夜がつゞく

今日は武蔵の温泉泊り
   旅の労れを湯で治す

野口雨情作詩 筑紫小歌より

昭和63年(1988年)12月18日、筑紫野市建立。

二日市温泉まで歩く。

二日市温泉「御前湯」の前に夏目漱石の句碑があった。


温泉のまちや踊ると見えてさんざめく

 明治29年(1896年)9月、漱石が新婚旅行で二日市温泉に遊んだ際の句だそうだ。

 漱石は9月25日付正岡子規宛ての手紙で「小生当夏は一週間程九州地方汽車旅行仕候」と書いている。

 昭和5年(1930年)12月7日、種田山頭火は武蔵温泉に入浴している。

ぽかぽかと小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をこゝまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた(マヽ)、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。


 昭和6年(1931年)12月29日、山頭火は再び武蔵温泉に入っている。

 十二月廿九日 曇、時雨、四里、二日市、和多屋。

十時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂欝だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひだしたやうに行乞しては歩く。

武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいゝ、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。


 昭和30年(1955年)5月14日、高浜虚子は二日市温泉「玉泉閣」に泊まる。

 五月十四日、午前十一時。星野立子に誘導され羽田より空路。午後三時福岡の板付に著き、二日市に一泊。田中斐川東道。

「詫びの旅」

更衣したる筑紫の旅の宿

      五月十四日 飛行機 板付著。福岡県二日市、玉泉閣。


「玉泉館」の前に高浜虚子の句碑があった。


更衣したる筑紫の旅の宿

   虚子句日記による

昭和三十年五月十四日、飛行機 板付着 福岡二日市 玉泉閣

虚子は翌15日柳川、翌16日は熊本の江津湖を訪れた。

擴ごれる春曙の水輪かな

五月十四日羽田を発ち板付へ。二日市、玉泉閣泊。翌十五日柳川行。松涛園(お花、立花邸)泊。その日の句。それより熊本、江津荘泊。十七日三角港より島原。十八日雲仙を越え長崎、桃太郎泊。二十九日まで長い旅をつゞけた。

『虚子一日一句』(星野立子編)

昭和35年(1960年)7月9日、句碑除幕。

   七月九日 筑前二日市温泉玉泉閣玄関に虚子句碑除幕
   同所泊り

温泉に汗を落す間もなき人出入

温泉上りの冷房に先づ落著きぬ

『句日記』(第一巻)

昭和42年(1967年)5月16日、高浜年尾は二日市温泉へ。

   五月十六日 秋爽会 二日市温泉玉泉館

サングラス伊達にはあらず病む故に

鳥蝶水際の砂に水を吸ふ

『句日記』(第二巻)

「玉泉館」中庭には高浜年男稲畑汀子の句碑があったようだ。

      
温泉の宿の朝日の軒の照紅葉
   年男

梅の宿偲ぶ心のある限り
   汀子

大浴場には高浜年男の句「菜種咲く頃も筑紫の湯に馴染み」が刻まれていたそうだ。

「玉泉閣」は休業。今となっては見ることも出来ない。

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