十二月廿九日 曇、時雨、四里、二日市、和多屋。
十時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂欝だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひだしたやうに行乞しては歩く。
武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいゝ、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。
|
昭和30年(1955年)5月14日、高浜虚子は田中斐川の案内で二日市温泉「玉泉閣」に泊まる。
|
五月十四日、午前十一時。星野立子に誘導され羽田より空路。午後三時福岡の板付に著き、二日市に一泊。田中斐川東道。
「詫びの旅」 |
更衣したる筑紫の旅の宿
五月十四日 飛行機 板付著。福岡県二日市、玉泉閣。
|
「玉泉館」の前に高浜虚子の句碑があった。

更衣したる筑紫の旅の宿
虚子句日記による
|
|
昭和三十年五月十四日、飛行機 板付着 福岡二日市 玉泉閣
|
虚子は翌15日柳川、翌16日は熊本の江津湖を訪れた。
擴ごれる春曙の水輪かな
五月十四日羽田を発ち板付へ。二日市、玉泉閣泊。翌十五日柳川行。松涛園(お花、立花邸)泊。その日の句。それより熊本、江津荘泊。十七日三角港より島原。十八日雲仙を越え長崎、桃太郎泊。二十九日まで長い旅をつゞけた。
|
昭和35年(1960年)7月9日、句碑除幕。これを機に高浜年尾は好んで「玉泉館」を訪れる。
|
七月九日 筑前二日市温泉玉泉閣玄関に虚子句碑除幕
同所泊り
温泉に汗を落す間もなき人出入
温泉上りの冷房に先づ落著きぬ
|
昭和42年(1967年)5月16日、高浜年尾は二日市温泉へ。
|
五月十六日 秋爽会 二日市温泉玉泉館
サングラス伊達にはあらず病む故に
鳥蝶水際の砂に水を吸ふ
|
昭和46年(1971年)11月22日、高浜年尾は玉泉館へ。
|
十一月二十二日 偶会 二日市温泉玉泉館
初冬の旅の一と日を筑紫の湯
境内に冬の滝あり寺静か
|
昭和47年(1972年)11月5日、高浜年尾は玉泉館で朝句会。
|
十一月五日 二日市玉泉館にて朝句会
温泉の宿の朝日の軒の照紅葉
筑紫野の小春諸鳥かく多き
石庭の石にかげなき小春かな
|
昭和50年(1975年)10月10日、高浜年尾は四季会で玉泉館へ。
|
十月十日 四季会 筑紫二日市温泉 玉泉館
鰯雲今日の日和をうべなひて
残暑かくよくつづきつゝ筑紫路を
秋水のひそみ流れて筑紫路や
萱屋根に生ふ櫨さへも紅葉して
蟻の道落ちし熟柿につゞきをり
|
「玉泉館」中庭には高浜年男・稲畑汀子の句碑があったようだ。
温泉の宿の朝日の軒の照紅葉
| 年男
|
|
梅の宿偲ぶ心のある限り
| 汀子
|
大浴場には高浜年男の句「菜種咲く頃も筑紫の湯に馴染み」が刻まれていたそうだ。
「玉泉閣」は休業。
令和3年(2021年)、「玉泉館」の跡地は「マークスシティ二日市」になった。
2015年〜福 岡〜に戻る
