阿波野青畝ゆかりの地


阿波野青畝の句

      定本 萬 両』

大正6年

虫の灯に読みたかぶりぬ耳しい児

大正11年

今朝からの日和うしなふ時雨かな

大正13年

さみだれのあまだればかり浮御堂

大正14年

木がくれて望のいざよふけしきかな

昭和4年

   落柿舎

晩翠翁障子のうちとなりにけり

けふの月長いすすきを活けにけり

      『國 原』

昭和10年

山涼し都忘れと聞くからに

水澄て金閣の金さしにけり

昭和15年

跫音の通天冬に這入りけり

昭和17年

十五万石の城下へ花の坂

      『春の鳶 改訂版

昭和22年

岸の梅魚獲る舟を行らしめず

従順に杭打ちこまれ梅の花

涼しさや鳶笛ならふ師団址

昭和25年

師の駕とともにあるなり花疲

領布振りし昔の浜の草桔梗

水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首

那智詣かなひて滝の写真撮る

      『紅葉の賀』

昭和27年

蟻地獄聖はめしひたまひけり

   まんさくの花を探す旅

耕人に信夫の鐘の鳴りにけり

  医王寺

雪の上杉の実落ちぬとぶらはむ

  平泉中尊寺

奥の雪つまごの跡のふかぶかと

那智の瀧木々草々の伏しなびき

滝壺の怒濤の岩に嗽ぐ

   戸隠村

戸隠の霧のにほひも宜(うべ)ならむ

戸隠の夏は短しさるをがせ

麻刈りて大きな水車まはるなり

夕焼の極みのはてに浅間見ゆ

大霧のうごける岩は手力雄(たぢからを)

昭和28年

   長崎旅行

   和布刈神社

動くなり潮待舟も和布刈男(めかりを)

磐境(いはさか)として突き出たり春の潮

ほんだはら速吸門(はやすひのと)の渦に浮く

   浦上天主堂址 三句

聖廃墟はるかなる火の畦焼ける

残壇にちらばる天使春の空

ケロイド無く聖母美し冬薔薇に

   大浦天主堂 二句

磔像(たくざう)の全身春の光あ

り 萌えはしる蔦御手ひろげたまふ主に

たんぽぽや信者の寝墓ばかりとぞ

名草の芽はグラバーの址に出づ

龍舌蘭洋人ポーチ繕はず

昭和29年

   虚子先生文化勲章を受けられ初波奈にて祝賀会

紅葉の賀わたしら火鉢あつても無くても

昭和30年

   桂 浜 三句

珊瑚あり五色石あり波涼し

島人は凪といへども土用波

土用波白緑(びやくろく)と映え土佐涼し

      『甲子園』

昭和34年

帯塚にあるべかりける落椿

春の水行くのみ古今伝授の間
            水前寺公園

流燈の帯のくづれて海に乗る
            江口君堂にて。

終焉のそのすこし前春の雷
            恩師虚子示寂。録3句。
花逡巡虚子西へ行くただ一人

突風や喪服黒白春うたた

戸隠の明るかりける月沈む
            富岡犀川弔句。

好きな山粧しませ御分骨
            横川虚子塔に埋骨される。

昭和35年

歌膝の露けさ知りぬ君如何
            那智札所青岸渡寺に泊る。

比叡の山粧ひて伽陀起りけり
            西の虚子忌となす。延暦寺。

昭和36年

行雁に向けり千体阿弥陀
            堅田浮御堂

治聾酒に鬼城先生厳しけれ

三夕の一夕の浦西行忌
            大磯鴫立庵
代田べり拙き文字の馬頭尊
            吾妻スカイライン開通。録3句。
旅行く日高嶺燕のむらがりを

明易し湯野飯坂の妓は寝ねず

蓑虫の此奴は萩の花衣

ローリングピッチングあり月跳び跳ぶ
            鳴門海峡。録2句。
観潮船淡路寄りにはた阿波寄りに

昭和37年

湯涌の湯ここよと夜半の雪達磨
            加賀湯涌温泉 録2句。
湯の町の目貫短し雪を掻く

内灘の一魚翁なり羽子を突く

雪吊の百万石の城曇る
            金沢兼六園 録2句。
雪吊に白山颯とかがやけり

寒釣の居るけしきなき河北潟

石上古杉暗き朧かな

かげろひて斯くも黄いろき毒の石
            那須殺生石

一つ葉や仏の顔の割目より

夏山に大きな龕や仏たち
          臼杵石仏。録2句。

天の川垂れて伊良虞は島ならず
            伊良湖岬

昭和39年

ベルツ、スクリツパ並びて日脚伸びにけり
      東大構内。内科のベルツと外科のス
      クリツパ両医学者の記念像がある。

昭和40年

空・寂の小墓二つやいとざくら
      法然院谷崎潤一郎の墓設定。

将軍の数寄まのあたり春の水
            銀閣寺

春空に虚子説法図描きけり
            知恩院法要。

      『不勝簪』

昭和40年

七卿を匿まひ障子暑からむ

            長府功山寺

      『旅塵を払ふ』

昭和41年

照り昃る安達ケ原の寒き石

尿前のしぐれて虹を立てにけり

尿前のしぐれ溜め在り実なし栗

鳴子の湯はなはだ匂ふしぐれかな

昭和42年

炎天と海とに面し天主堂

三伏やひそと身を折りまげ祈る

しづかなる流れは幽らし芭蕉林

流れつつ家鴨の漁る芭蕉林

昭和44年

放哉の終焉の島藷を挿す

活着の藷の畠を雉荒す

昭和45年

国東の仏ぞくらき螢かな

胎蔵寺卯の花くだし漏るならむ

穴仏異な顔したるしぐれかな

昭和46年

象潟や田螺空しき舟一つ

昭和47年

一つ家のその市振の月に吾

海の日のつるべ落しや親不知

昭和53年

   当別修道院

露の詩碑露風のいぶきこもりけり

十字架を象嵌したる天高し

   立石寺

姥堂に姥笑ひつつ秋の暮

   香椎宮

不老水旅人酌めばしぐれけり

   江津湖

江畔のすつぽん店もしぐれけり

      『あなたこなた』

昭和54年

   福岡室見川

海と川今一つなり白魚取る

   悼 富安風生

天寿とは申さるるらむ鶴の引く

   高知竹林寺

うてな皆一重山吹果てにけり

   高畑志賀直哉旧居

空蝉や直哉の在りしその壁に

志賀さんの坐臥の涼しさ覚えたり

   白河南湖公園

鳰涼し千世の堤と名付けあり

   白 河

旅暑し宗祇戻しといふ村に

   市振桔梗屋

一家にふたたび訪ね寝待月

市振の雨にはぐれし帰燕かな

   奈良手向山八幡

手向山障子はりかへられにけり

昭和56年

   悼 水原秋桜子

わが涙梅雨名残ともあらなくに

昭和57年

   四国八十八番大窪寺

仁王尊遍路を睨むにはあらず

香煙のさすらふさまに秋遍路

   岐阜羽島

円空のにこにこ閻魔煤の宿

   美 濃

干しもせぬ柿の小家や不破の関

寄墓の常盤御前や柿の秋

雨の柿不破の鴉に残りけり

錦秋となる雲巖寺履を入れず

   芦 野

一首の碑一句の碑とて柳散る

      『除夜』

昭和58年

   当麻寺

朝ぼらけ双つの搭と牡丹かな

   近江西教寺

衣更せし日も不断念仏かな

   小布施岩松院

安居寺大北齋を説きにけり

   都府楼跡

刻山は刻告げし山明易き

   美濃円興寺。源義朝の長男義長自刃

源義長の位牌に美濃の柿まつ赤

夜ばなれて小夜の中山花ふぶく

旧道や花一ともとの夜泣石

昭和59年

   弘法大師大遠忌

花衣高野法師の勢ぞろひ

阿波の渦淡路の渦と組討す

左巻右巻の渦船に触り

親子渦去就遑もなかりけり

大潮の擂鉢となる渦の笛

   郡 山

金魚田を築く十五万石の城

昭和60年

   湖西白髭神社

白鬚の鳥居は鷹を休めをり

      『西湖』

昭和61年

白鬚の鳥居は境雪しまく

昭和62年

深秋や逸然禅師お隣に

鶺鴒は夜泊石を教へけり

平成元年

   堅田浮御堂

湖中句碑明らかに月明らか

   筑前香椎宮

爽やかに宿祢杓みけむ不老水

      『宇宙』

平成2年

   伊勢二見浦

つながるや初東雲の夫婦岩

   平等院

羽ばたきす鳳凰に春立ちにけり

   浮御堂

蝙蝠の一過千体阿弥陀より

   袋田の滝

天ぎらふ滝より四つの段(きざ)しぶく

亭一つ飛竜の滝を股に架け

   石上神宮

布留涼し馬魚の有り処見えざるに

須磨涼し空缶のみの籠置けり

   延暦寺

玉座なりいちにんの椅子涼しげに

   戸隠神社

錦繍を囃す手力男の神鼓

   南御堂に誓子、青畝夫々の二つの句碑除幕す

翁忌に行かむ晴れても時雨れても

芭蕉忌を罷るも同じ御堂筋

平成3年

   石山寺

雁の浮く湖畔「紫式部展」

   幻住庵再築

秋風に坐すや六畳四畳半

   金閣寺

金鳳の飛ばんずらんや十三夜

平成4年

初旅となりて叩かむ一夜庵

琴弾の浜の蛤掘られけり

   琴弾公園

春千鳥寛永通宝飛びまはり

手帖みな十七字詩や囀れり

高館の牛若と逢ふ五月かな

ちぎりては蕗の葉飛ばせ衣川

草笛を高館に吹く旅ごころ

北上川代田の水を集めたり

誘蛾灯めきぬ文学館の灯も

   一夜庵

宗鑑の声には非ず障子貼る

敷松葉足らぬままなり一夜庵

平成4年(1992年)12月22日、93歳で永眠。

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