2004年〜福 島〜
南湖公園〜松平定信公之像〜

天気はよかったのだが、東北自動車を行くと次第に雲が多くなり、道那須高原SAでは雪が降り出した。
東北自動車白河ICから国道4号に入る。
国道4号を右折して国道289号に入り、南湖公園へ。
南湖公園は、元々「大沼」と呼ばれた低湿地帯を白河藩主松平定信公が改修し、庭園としたもの。開園は享和元年(1801年)で、日本最初の公園だそうだ。
「南湖」の名は、李白の詩句「南湖秋水夜無煙」から、また白河小峰城の南に位置していたことから名付けられたといわれている。
雪の南湖

寒くて、とても長居は出来そうにない。
松平定信公之像も雪の中。

松平越中守定信公略譜
白河藩主。宝暦8年(1758年)田安宗武の子として江戸城内にて生まれる。のち松平定邦の養子となる。天明3年(1783年)家督を相続、白河11万石の城主となる。
田安家は徳川御三卿の1つ。三卿は徳川家の親族である田安・一橋・清水の三家の称。尾張・紀伊・水戸の御三家に次ぐ家格で、宗家に嗣子(しし)のないとき、養嗣子となる資格を有する。8代将軍吉宗の時に始まる。
折から天明の大飢饉、奥羽諸藩多くの餓死者を出す。この時、公は緊急に食糧を輸入、領民に配る。ために領内から餓死者を出さず。
殖産では、養蚕の普及、植林、製紙、製陶、たたらの設置など自給自足の基盤を確立
たたらは鋳物に用いる大きなふいご。
文化では、日本最初の公園、南湖の築庭、白河の関の検証、集古十種、花月草紙等多くの著述、郷学校敷教舎(ふぎょうしゃ)、藩校立教館の設置等教育に意を尽くす。
藩政は「政者正也」を理念として行う。このため名君として領民の崇敬を受ける。
「政者正也」は『論語』顔淵第十二の孔子の言葉。
天明7年(1787年)幕府老中首座となり、国政に参与、寛政の改革を断行。
文化9年(1812年)家督を定永にゆずり、楽翁(らくおう)(先憂後楽の意)と号す。
文化12年(1829)江戸にて歿し、深川霊巖寺に葬す。享年72。
石碑は昭和63年9月25日建立。
南湖神社へ。
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